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第54話

「今日はまたずいぶんとシックだね。」 長瀬が眼鏡の奥の目をすこし(すが)めて灯真に言うと、後ろに控えている 雫がきゅっと肩をすぼめた。 おそろしく無難にまとめた地味なコーディネイトに身を包んだ灯真は 「なるほど、安全策に出たか。」と小さな声で呟いた。 「悪くはないよ。よく言えば大人っぽい。」 ますます体を縮める雫を見て、得心した長瀬が笑いながらフォローした。 「やっぱり先生に・・・。」雫があわてて言いかける。 「いや、今日は商工会の会長と会うから、このくらい大人しくていいだろう。」 「なんだっけ。基金の話?」 「そう。かなり懐をあてにされてるよ。」 「ふふ。」 飛鳥井財閥の当主である灯真の父は、財を築くことには才能があったが、運用したり、管理す ることは不得手だった。経済に興味を示しはじめた灯真に、長瀬は専門の教師をつけてみっち りと学ばせた。盲目のハンディキャップは傍らで懸命に雫がフォローした。 今では放蕩三昧の父より、息子の灯真のほうが、経済界では有名人だった。 「ああ、それから午後にちょっと、会って欲しい人がいるんだが。」 長瀬がふいにそう切り出して、灯真は首を傾げた。 「会って欲しい人?」 長瀬が連れてきたのは、少女だった。 長い髪を後ろで無造作に束ねた、地味な女の子。だが顔立ちはどことなく、 灯真に似ているような。 「美風(みかぜ)です。」 うつむいたまま上目づかいで灯真と雫を交互にみながら、そう自己紹介した。 「君も知ってると思うけど、旦那様には何人かお付き合いされてる方がいてね。」 長瀬の言葉に灯真がふっと鼻で笑い、美風はさらに下を向いた。が、 「まさかこんな若い娘さんと?」雫が思わず声をもらすと、ばっと顔を上げ 「ち、ちがいますっ!」と真っ赤になって叫んだ。 「お母さんが亡くなったんだよ。病気でね。」長瀬が補足する。 「つまり灯真、きみの妹だ。昨日旦那様から連絡があって、  うちで引き取る事になったそうだ。」 肝心の父親は不在のままでか。灯真はふたたび鼻で笑った。 「年は17だ。とりあえずあと1年、高校に通う間ここに住まわせるから、   ふたりとも仲良くしてやってくれ。」 灯真は返事をせずに席をたつと、「部屋に戻る」と言った。 「灯真さん。」 美風の途方にくれたような顔をちらりと見て、雫は灯真の腕を掴んだ。 「なに。」 「い、妹なんだし、なにか言ってあげ・・・。」 「女は嫌いだ。知ってるだろう。」 雫の手を振りほどくと、ついてこようとするのを、 「いい。一人で戻れる。」とはねのけて、手すりづたいに行ってしまった。 「まあ、想定内だな。」長瀬がため息をついた。 美風も、聞かされていたようで、大きなショックを受けているふうでは なかったが、さすがにしょんぼりしている。 自分も、突然両親を亡くして、訳も解らずここに連れてこられた。 雫には今の彼女の心細さが痛いほど理解できた。 とても灯真のようにしらんぷりはできない。 長瀬を見ると、彼も雫に目で頷いた。よろしく頼む、ということだろう。 「美風ちゃん。灯真さんの秘書・・・みたいなことをしてる、櫂です。」 優しく声をかけると、少し目を泳がせながら美風がこちらを見た。 黒マスクで顔を隠した男。目のやり場に困っている風だった。 「よろしく。」右手を差し出す。 その手をしばらくじっと見て、そろそろと手を出して来た。 握った手は、女の子らしい、柔らかくてしなやかな手触りだった。

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