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第59話

学校行事のための練習で、遅くなると言っていた美風から電話がかかった。 長瀬がとって、雫を呼んだ。 「美風からなんだが、ダンスで足を痛めて今病院だそうだ。    たいしたことはないが、一人で歩けないらしい。」 「じゃ、僕が迎えに行って来ます。」 「そうだな。車のほうがいいだろうけど、私はもう飲んでしまったし、    運転手は帰ってしまったしな。」 素性を偽っている雫にはもとより自動車免許はない。 「学校のそばの病院ですよね。大丈夫、歩いて行って来ます。」 「ごめんなさい、櫂さん。重いですよね・・・。」 「平気。しっかり掴まって。」 雫が美風をおぶって夜の町を歩く。 怪我はたいしたものではないが、一昼夜ほどは体重をかけないように、 と言われた。美風は恥ずかしいといって騒いだが、タクシーを呼ぶ程の 距離でもなく、しぶしぶ雫の背にはりついたのだった。 黙っていると照れくさいので、必死に話題を探した。 「わ。櫂さん、見て。あの月。」 薄い上弦の月が、地上近くで赤く輝いていた。 「チェシャ猫が笑ってるみたい。」 「ああ、ほんとだね。」 「あ。星もいっぱい。」美風の声につられて、雫も上を見上げた。 バランスを崩して少しよろける。あわてて美風が、彼の首にぎゅっと しがみついた。 「ごめんごめん。」 「わ、わたしこそ。ごめんなさい。」 あああ。どうしよう。すっごく胸がドキドキしてきた。 櫂さんに聞こえてるかも。顔が火照る。 「あ・・・あれっ。あれオリオンですよね?」 少し声を裏返しながら星に話を戻す。雫も今度は慎重に美風の指差す方向を見た。 「ああ、うん。見えた。オリオン座。」 「じゃあ、あっちがプレアデス。」 「うん。」 「櫂さん、何個見えますか?」 「え・・・1・2・3・・・・5個かな。」 はてなマークのかたちに寄り添った星団を、目を眇めて凝視する横顔に、思わず見とれる。 「わ、勝った!わたし6個見えます。」 「目がいいんだね。」 「ふふ。なんだか、こうやって誰かと星みるのって、楽しいですね。」 「・・・・・。」 ふいに黙り込んだ背中に、しばらくしてはっとなった。 「ごめんなさい・・。わたし・・・・無神経ですよね・・・。」 「え?」 「おにいさんは見られないもの。星。」 「・・・ああ。・・そうだね・・。」 「自分ばっかりはしゃいじゃって・・・。ほんとにごめんなさい。」 「美風ちゃんが謝る事じゃないよ。」 「でも・・・。」 「ん。たしかに・・・今ちょっと考えた。ああ、灯真さんとはこういう    会話、できないなあって。」 あの、離れていた日々もそうだった。 夜空の月や星、朝焼けの空やオレンジに輝く夕日をみるたびに。 今同じときに、灯真もこれを見ていると思えたら、どんなにかなぐさめられるのに・・・と、 何度思った事か。 「櫂さんって、すごくおにいさんのこと大切にしてますね。」 「僕のボスだしね。とても尊敬しているよ。」 美風は二人が抱き合っている光景を思い出した。 とても愛し合っている二人に見えた。 櫂さんの心はきっと、おにいさんのことでいっぱいなんだろうな。 私の入る隙間は、おそらく全然、ない。 今だって、わたしと星を見ながら、おにいさんのこと考えてた。 そう思ったらなんだか泣きそうになった。 だめだ。こんなところでわけもなく泣いたらきっと櫂さん困る。 いや、わけはある。私が泣きそうな理由は、ちゃんとある。 涙がにじんできた目を再び夜空に向けた。 ぼやけて星が見えない。訳はあるけど、言えないよ・・・。 「ぐすっ。」 「美風ちゃん?」 「あの・・・足がちょっと。痛・・・・。」 「ほんと?大丈夫かな。病院に戻る?」 「あ!平気です。ちょっと痛むだけだから。」 「帰ったらもう一度長瀬先生に診てもらおう。」 「はい・・・。」 櫂の後頭部に頬をつけてぎゅっと抱きついた。 ほんとに痛いのはココだよ。押し付けた胸に、櫂の背中の暖かみが伝わる。 櫂さん・・・。わたし、櫂さんが好きになっちゃった。 心のなかでそっとつぶやいた。 雫が灯真の部屋を訪れると、彼は厚紙のようなものを膝において、表面を指でなぞっていた。 よくみると裏側から針でついたような穴が開いていて、周囲が少し盛り上がっている。 だが点字にしてはずいぶんランダムで間隔が広い。 「それは?」 「ん?ああ、美風が持って来た。・・・この間、櫂さんと見た星が綺麗だったので    おにいさんにも見えるように作ってみた・・・とか言ってたな。」 「あ・・・。」そう言われてはじめて、星座のかたちに気付いた。 よく思いついたものだ。無意識に口元が緩んだ。 美風。やさしい子だ・・・。 灯真のかたわらにしゃがむと、彼の手をとって星座をなぞる。 「そう、これがオリオンの三ツ星。そこからまわりによっつ・・・。」 「美風がさっきおなじようにしてオリオン座を教えてくれたよ。」 灯真がおかしそうに言った。 「そうなの?」 「そのとき、神話も話してくれた。オリオンは、アポロンの妹の恋人だそうだ。」 「へえ、そう。」 「雫。」 「ん?」 「美風はお前が好きなんじゃないかな。」 「え。」 灯真はふふ、と笑った。 「もっとも、妹にお前を譲る気はないけどね。」 顔を寄せて来る灯真に軽く口づけながら、雫の胸は少し痛んだ。 あの時の彼女の涙の意味が、違って見えて来たから。 自分には決して応えられないその想い。

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