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第60話

結局、以前雫が提案した藤色を長瀬も採用して、美風のドレスが出来上がって来た。 「いや、わたし、こんなの無理・・・・。」 尻込みする美風をなだめすかして着替えさせる。 「とてもよく似合ってますよ。」 肩を縮めながらふたりの前にたった美風を見て、雫が灯真に伝える。 灯真は満足そうに微笑んだ。 その灯真の手に同じ藤色の生地があるのに気付いて「それは?」と尋ねた。 「これはお前のだ。雫。」 ほかのものに聞こえないように、櫂、ではなく雫と呼んだ。 ネクタイとチーフ。 「でも僕は。」 「これは命令だよ。」灯真は有無を言わせなかった。 パーティの夜。 灯真に付き従った雫は、会場のロビーにある大鏡に映った自分をちらりと見て複雑な表情をし た。いつも通り黒尽くめなのに、胸元に色をさす藤色がひどく落ち着かない気分にさせる。 どうして灯真さんはいきなり・・・。 会場内では盲目の灯真のサポートと、初めての経験に舞い上がっている美風のエスコートで、 雫は大忙しだった。ビュッフェ形式でみな飲み物や食べ物をもって歩いているので、ぶつから ないように気をつけるだけで骨が折れる。 財界の大物や、旧知の人物が近づいてくれば、それを知らせて、どんな様子かも伝えねばなら ない。美風は近くでその様子を見ていて、ほとほと感心した。 おにいさんもすごいけど、櫂さんもすごい。 そしてなにより、二人がぴったりと寄り添って行動している様子に胸をうたれた。 櫂の目が見たものが、まるで同時にふたりの脳裏に浮かんでいるように、 よどみなく灯真に伝えられる。 マスク越しのしゃがれ声を、灯真は驚く程正確に聞き取っていた。 魂の双子、そんな形容が美風の頭に浮かんだ。 おまけにスーツ姿の二人が・・・・すごく綺麗でお似合い。悔しいほど。 色素の薄い灯真と黒尽くめの櫂。 陰と陽、表と裏、異なる姿を見せながら、けれどそれはぴったりひとつなのだ。 あのふたりの間になんて、きっと誰も入れないわ。 口をぽかんとあけて眺めていたら、誰かと歓談していた灯真に呼ばれた。 「妹の美風です。」紹介されてあわててお辞儀をする。 「こちらの、お供のかたとはパートナー?」 相手の初老の男性は、美風のドレスと雫のネクタイが同色なのに気付いてそう聞いて来た。 「あっ、いえ。これは・・・」 慌てる雫と美風の前で、灯真が微笑んでさらりと言った。 「そういうわけではありませんが、二人ともわたしの大切な家族なので。」 その言葉に美風は素直に眼を潤ませたが、雫は灯真の後ろで絶句していた。 人気のないバルコニーに出たとき、思わず口にした。 「あんなこと、今まで言ったことなかったのに。」 「あんなこと?」 「大切な家族とか。」 「ほんとうのことだ。まあ、人にわざわざ言うことでもないけどね。」 「美風ちゃんはそうだけど・・・・。」 「お前もだよ。雫。」 「灯真さん。」 「雫は影なんかじゃなくて、パートナーだと思ってる。」 それで・・・このネクタイ・・・。 「・・・・・。」 「でもたしかに今は、お前に別の名前を名乗らせてる・・・それも事実だ。」 「僕が自分で決めたことだから。」 「このままではだめだ。方法とか・・・まだなにも考えてないけど、    いつかきっと、お前の名前を取り戻す。約束するよ。」 「灯真さん・・。」 美風が、料理と飲み物を持ってバルコニーに出て来た。 「櫂さん。これ。」まっすぐ二人のほうにきて、雫に皿を渡す。 「全然食べてないでしょう。」 会場で、火傷痕を晒すのがはばかられて、雫はマスクを一度もはずしていなかった。 美風はそれに気付いていたようだった。 「ここなら暗いし、だれも見てないから。」 「・・・・ありがとう。」 美風はほんとうにやさしい。 灯真の言葉は嬉しかった。想いは痛いほど伝わって来た。 けれど、このままそっと、影のままでいさせてほしいと思う気持ちもあった。 未来を夢見れば過去が陰をさす。 雫の名前を取り戻すことは、雫の罪も、(つまび)らかになることだった。 美風はいったいどう思うだろう。 もしかして本当に、僕を好きになってくれたのだとしたら。 それはとても残酷な真実になるだろうな・・・。

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