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第67話
街はずれの渓谷にかかる橋。
観光道路なのでシーズンオフの早朝、走っている車や人影は皆無だった。
交渉場所の橋の、対岸のたもとまでは、車を許された。
白くて長いアーチ状の橋を、灯真一人で向こう岸まで渡る。
中央が高くなっているので、向こう岸の様子はこちらから全くわからなかった。
目の見えているものですら、不安を感じる状況。
運転席の長瀬は、もう一度遺留を試みたが、灯真の決意は固かった。
こちらもどうしてもと着いて来た美風が灯真の手を握った。
「おにいさん。」
「大丈夫。櫂は僕が連れて帰るから。待ってて。」
妹ににっこり微笑んで、ずっしりと重いトランクと、白杖を手に車を降りる。
重さ10キロの札束の入ったトランクは、非力な灯真が持つにはかなりの負担になった。
普段の灯真が言葉一つで動かしてきた金額の重みが、ずっしりと腕に響く。
だが、雫の命の重みだと思えば、まだまだ軽い。
いや、雫や美風に、値段なんかない。
金とひきかえにできると思われたことがすでに赦せなかった。
怒りの感情をエネルギーに、トランクを持つ腕に力を込める。
噛み締めた奥歯に、血の味を感じた。
雫。僕が行くまであきらめずに待ってろ。
死んだら許さない。
今、行くから、待ってろ。
対岸の橋のたもとに止めたバンから、犯人達は灯真の様子をうかがっていた。
家の車以外は見当たらず、早朝の橋を、灯真が一人で歩いて渡って来るのが
認められるだけだった。
「おい、お前も見るか。」
後部座席に転がされていた雫の髪を掴んで、リーダーの男が顔を起こさせた。
猿ぐつわを噛まされ、後ろ手のままさらにぐるぐると縛られた状態で、
ひどく苦労して体を起こした雫は、朦朧としながら車の窓ガラスに顔をつけた。
アーチ状になった橋の頂点に、風になびく銀髪が見えた。
あの髪。目をこらす。
そこから順に、灯真の姿が見え始めた。
右手に白杖を持ち、左手にトランクを、なかば引きずるように下げ、
ふらつきながらこちらに向ってゆっくりと歩いて来る。
ああ。
灯真さん。
涙で視界が霞む。手が使えないので眼が拭えない。
雫は喉の奥で唸った。
灯真は杖が嫌いでめったに使わなかった。いつも僕の肘を掴んで歩いた。
あんな重いトランクも、持った事ないはずだ。
今だって生まれたての仔馬みたいによろよろしてる。
それでも、凛とした顔を上げ、
見えない眼でまっすぐ前を睨み、
口を真一文字に結んで、
なんの畏れもない表情で、たったひとりで歩いて来る。
橋上の強い風になぶられた銀髪がたてがみのように逆立ち、
早朝の陽のひかりにきらきらと輝いていた。
こんな状況の中でも、そんな灯真の姿に、一瞬雫はみとれた。
うつくしく気高い、僕の愛する人。
傷つけられるかもしれないのに。
殺されるかもしれないのに。
それでもあなたは歩いて来る。
僕のために。
こんな・・・穢れてる僕のために。
自分の涙で、ついに灯真の姿が見えなくなった。
来ないで。最初はそう思った。
僕はあなたにふさわしくない。
罪を背負い穢れを背負って、今また男達に汚されたこの体で、
あなたの隣に立つ資格など。
けれど。
求める。こころが。
灯真、灯真。
たすけて、灯真さん。
僕を。
あなたのそばで生きさせて。
「うっ。うー。う。」ドアに自分の体を打ち付けながら暴れ始めた雫の
猿ぐつわを、うっとおしそうに犯人の男がはずした。
血まみれのタオルを口からはきだすと、傷口から新しい血が流れた。
「とーーーーーーーーま!!」
血を吐く叫び。上手く発音できなかった。
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