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第70話

雫は病院で手当を受け、傷が落ち着いてから病室で刑事の事情聴取をうけた。 体の回復を待って送検されることとなった。 誘拐犯は3人ともほどなく逮捕された。 灯真の白杖に、GPSが仕込んであったと聞かされて、雫も美風も驚いた。 「それにしても、脅迫電話をこっちから切るなんて、普通の人にはできないね。」 ベッド上の雫の言葉に、美風も大きく頷いた。 「わたしそれ聞いて、ああ、終わった、って思ったもの。」 灯真はうすく笑って舌をぺろりと出した。 「実は僕も、受話器を置いてからしまった、切っちゃった、って思ったよ。」 「ええええええ。」美風と雫が同時に声をあげた。 「灯真さま、恐るべし。」美風が恐ろしそうに呟く。 「わたしに秘書が務まるのかな。」 「美風ちゃんなら大丈夫だよ。」 「ほんと?」 「ああ、大丈夫だ。・・・美風、飲み物買って来てくれる?」 「はい。」 美風が居なくなると、ふっと病室が静かになった。 「やっぱり女の子がいると賑やかなんだな。」灯真が呟く。 「もう、あの声がしないと頼りないよね。」 雫の言葉に灯真も頷いた。「慣れとは恐ろしい。」 ふふ、と笑う。 次は、雫のいない暮らしに慣れねばならない、そう思いながら。 「舌はどうだ。」 「ん。10針縫った。まだちょっとしびれてる。」 「・・・・・・・バカだな。」 「ごめんなさい。」 俯きかけた雫は灯真の手でふと顎をあげられた。 やわらかい唇が触れる。 「優秀な弁護士つけるから。」 「うん。」 「僕も証言台に立つよ。」 「うん。」 「だから早く戻っておいで。」 「うん。」 再び口づける。 春の。淡雪のような口づけ。 また灯真と離ればなれになる。その現実を、こんなに穏やかな気持ちで 迎える日がくるなんて。 寂しくないといえば嘘になる。 けれど、また必ず逢える、共に暮らせるという、たしかな希望があった。 そしてその希望に向って、歩いて行ける自信も。 あのひりひりとした10代の日々が、まるでまぼろしのようだった。 灯真のいうように、僕ら、大人になったのかな。 「あのーーーーー。」入り口のところで声がして、ふたりはあわてて離れた。 少し開いたドアの隙間から美風の背中が見えた。 「もう入ってもいいでしょうか・・・?」 「あ、ああ。」 そのまま背中から入ってくると、もったいぶって振り返った。 ペットボトルをみっつ、胸に抱えている。 「わたしだからよかったけど、看護師さんに見られたらどうするの。」 「・・・驚かないのか。」灯真が少しうろたえた口調で聞いた。 「実はずっと前に、見ちゃったの。おにいさんと櫂さんがキスしてるとこ。」 「知ってたのか。」 「うん。」 「まいったな。」 灯真があまりに照れるので、雫は自分のことなのに笑ってしまった。 美風の笑顔にも屈託がない。 この子は・・・僕らが思ってるよりずっと、人間が大きいかもしれないな。 「あ、おにいさんはノンシュガーの紅茶。・・・でよかった?」 「あ・・・ああ。ありがとう。」 「あ、待ってね。」 先に雫に緑茶のペットボルを渡すと、自分のを小脇に挟んだまま 灯真の分のキャップを手際良くあけ、慎重に手渡した。 細やかなその動作をみつめて、雫の口元に笑みがこぼれる。 僕は、本当の自分として、必ずこの人たちのところに戻ってこよう。 たとえ何年かかっても。 必ず。

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