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第7話
自宅から両親を伴って出かけた正装姿の中村は、郊外の高級料亭にいた。
両家の両親と当人を交えた会食を終え、中村は見合い相手の女性と連れ立って、料亭内の広い庭へと降りた。小春日和のやわらかい日差しが注ぐ。
「やれやれ、という感じですね。やっと堅苦しい場を抜けられた」
笑顔を見せた中村に、藤井 家長女の春華 はそつなく笑い返した。
「総合病院の長男様は、こういう所にも慣れてるんじゃないんですか?」
セミロングのストレートヘアが美しい三つ年下の彼女は、華奢な体つきをした、いわゆる庇護欲を掻き立てるような可愛らしい女性だ。
「男の一人暮らしですよ、懐石料理よりはよっぽどカップ麺にビールの方が性に合ってます」
「あら、意外と庶民的」
「家柄とかにとらわれるのはね、本当はいやなんです」
口元の笑みを消さないまま、中村は春華の目を捉えた。
「あなたもでしょう?」
問いに、春華も表情を変えずに笑みを返す。
「何のことかしら」
「ご遠慮なさらず、多少知ってますから」
「どこまでお調べに?」
「おつき合いなさっている男性が一般家庭の出だという程度までです」
「人が悪いわ、知っていて父からの見合い話をお受けになったの?」
「義務ですから」
さっぱりと言い切って、池の縁にしゃがんで中村はネクタイを緩めた。
「いやですね、家とか後継ぎとか何だかんだと時代錯誤な。子どもの頃から覚悟はしていましたが、どこかで自分の宿命が変わることを願っていました。…でも変わらないものですね」
その中村の隣にしゃがんで、肩までの髪を春華は耳にかけた。
「あなたのお相手はどんな方?」
「びっくりされるかも」
「私には関係のないことよ」
「男です」
「まあ」
目を瞠った春華はしかし、すぐに真顔に戻って見せた。
「理解がない方ではないので、安心なさって」
まったくとんでもない猫かぶりだ、と中村は苦笑する。
「素晴らしいポーカーフェイスだ」
「それに自信がなければこんな所へは来られませんもの」
狸が化かし合うように、同調に同調を重ねるだけの上辺の会話が続く。
しかしふと、春華が雰囲気を緩ませた。
「私たちって、特殊に不幸だわ。そう思いません?」
賢明な女性だ、と中村は思った。先に自分の手の内を見せ、共感を呼ぶことで自分の要求を通そうとする。お互い、それぞれのつき合いを終わらせたくないのは同じなのだ。
「子どもの頃から、あなたは病院を継ぐことだけを望まれて、忠実にそれを遂行して生きてきたのね。つらいこともあったでしょう? 人一人の肩にあの病院は荷がかちすぎるわ」
中村は答えないまま微笑だけを保った。
「私もそう…会社は兄が継ぐけれど、あなたとの縁談は私の初恋より以前から存在してた。会社の安泰のため、中村総合病院との関係維持のため、私はそんなことだけのために生まれてきたわけじゃないって反発したこともあったわ、でも違うの。結局その道を歩いてきた私こそが私自身なのよ。どんなに愛する人がいても逃れられないの、私たち」
吐き気がするほど様々なものを見透かして、春華は嫣然と微笑む。
「家の呪縛から」
中村はついにその目を逸らした。そこまでを考える自由すら与えられていなかった自分の不幸を、たった今思い知る。
「僕は、そんな風に広い視野を得ることもなく、わき目もふらずにここまできたから」
そうやって家のために生きることをそれほど窮屈に思わずに生きてきた自分に対する羞恥を明かして、けれどそれ以上の弁解は続けられずに俯く。
「……この縁談、僕らの利害は一致しますね?」
問うた中村に、春華は目を伏せた。
「干渉一切無用、ということかしら」
「ええ。お互いが愛する相手と共に在るよう。子どもも、いざとなれば技術的にはどんな方法ででも可能でしょうし」
「あら。私、夫婦愛はまた別に築けるものと思いますけど?」
「いえ…僕はあなたほど器用ではないので」
中村は苦笑して、正直な照れを晒した。
「一度に一人しか愛せません」
「まあ」
衒いもなく言った中村に紅潮を誘われて、春華はこの日初めて、心からの笑みを見せた。
「誠実な人。あなたに浮気は似合わないわね」
完璧な男性を前にした女としての情を嗤って、春華は握手の手を差し出した。
「素敵な方と出会われたのね。大事にして差し上げて」
「ええ」
笑みを返し、おそらく遠目からこちらの様子を伺っているだろう両家の親たちへのパフォーマンスも兼ねて、中村は春華の手を握った。
夕方、マンションに帰りついた中村は、スーツを脱ぎながらまずリビングに向かった。
「ただいま……亜弓?」
けれどリビングには誰もおらず、いつにもまして室内が静まり返ってガランとしているような気がする。妙な胸騒ぎを覚えながら、ならば自室か寝室にいるのだろうかと振り返った廊下から、亜弓の部屋のドアが開く音がした。
「あ、亜弓。ただいま」
「…お帰りなさい」
廊下に出てきた亜弓の、ドアを閉めながらの呟くような声に中村は目を見開いた。
「亜弓っ、声が」
「中村さん」
高揚した中村に、けれど亜弓は静かに告げた。
「別れてください」
――中村の手から、スーツの上着がバサリと落ちた。
そんなことを言うために
どうしてきみは
声を取り戻したの
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