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第16話

「わ。見て見て亜弓、富士山。真っ白」  新幹線の窓に張り付き、子どものように指をさす中村の肩越しに、亜弓も窓の外を覗き込む。 「富士山、珍しいですか?」 「え。なに、静岡県民はみんな富士山見慣れてるの?」 「いや、そんなこともないと思いますけど。でも柴崎の家、屋根に登ると富士山見えるんで」 「そーなんだ! いいなぁ、毎日観光」 「住んでたら観光になりませんって」 「一臣、お前もう少し緊張ってものを知らないか?」  さらに横の父から窘められ、中村は肩を竦めて口を尖らせた。けれど亜弓は知っている。中村は緊張している時ほど、いつもより多弁になるのだ。  翌週の日曜、新幹線は静岡へ向かっている。院長、中村、そして亜弓の三人は、柴崎の家にお許しをいただきに行く。他人の子を養子にしようというのだから、筋は通さねばならない。  亜弓は背もたれに体を預け、前方を見つめ深く呼吸した。ものすごく、緊張する。  亜弓の母方の祖母の妹夫婦。あの清く真面目で優しい老いた養父母に、この二十年間隠しつづけてきたことを、語らなければならない。  幻滅されるだろうか?  醜さを隠してきた自分を、嘘つきと罵るだろうか?  押しつぶされそうな重圧に、再び深く息をつく。すると、膝の上に固めていた拳に、中村の手がそっと重なった。 「…大丈夫だよ」  囁きは、本当なのだろうか。 「何があっても、僕はきみから離れないから」  ため息が出て、笑みがのぼる。 「中村さん…」 「こら」  手を伸ばし、頬に触れそうになった時、隣からストップがかかる。 「頼むから人前でいちゃついてくれるなよ」  見ていられない、と顔を背けた院長に、無粋な親父、と小さく中村が文句を垂れる。この仲が良いのか悪いのか、おそらくは良いのだろう親子に挟まれていると、何か気がまぎれるような、力が沸いてくるような気がする。要は居心地がいいのだろう。  そんな他愛もないやりとりを繰り返しながら、新幹線は静岡駅に到着し、そこから最寄駅までは電車で、そしてそこからはタクシーに乗る。目的地が近づくにつれ、さすがに中村も言葉数が少なくなる。  そうして昼過ぎに到着した柴崎の家は、高台の閑静な住宅地にある、趣のある大きな日本家屋だった。  亜弓の指が呼び鈴を押す。院長と中村は、二人してスーツの襟を正した。 「はぁい」  引き戸を開けて顔を出したのは、ナチュラルに着物を着こなした品のいい老女。その姿に、いつもどこか冷たい亜弓の表情にぬくもりがこもる。 「ただいま」 「ああ、お帰りなさい亜弓さん、お久しぶりね」 「お義母さん、こちらは僕の勤めてる総合病院の院長先生と、その息子さん」  養母の視線が自分の方に向いて、中村は背筋を伸ばした。養母は破顔して、握手を求めて手を差し出した。 「まあまあ、院長先生。いつも亜弓がお世話になっております。息子さんも、どうもぉ」  なんで親父が先で僕はオマケなんだ。  腑に落ちないではあるが、皺だらけの優しい手を握って、中村はにっこりと会釈した。 「主人は膝を痛めて自由が利きませんので、失礼ですが奥の座敷の方でお待ちさせていただいております。さぁさ、どうぞお上がりください」 「はい、お邪魔させていただきます」  促され、三人は玄関を上がって奥へ続く廊下を歩いた。外は晴れていい陽気だとはいえ、空調のない廊下は底冷えしている。 「あなた、いらっしゃいましたよ」  養母が襖を開けると、そこはエアコンでしっかり温もっており、そこの座椅子には養母よりさらに年嵩と思われる老爺が、やはり着物姿で座っていた。 「や、どうもどうも、よくおいでくださいました」  襖を閉めて、養母は下がっていった。 「はじめまして、中村総合病院の院長の、中村義晴(よしはる)と申します」 「息子の一臣です」  二人は養父の前に膝をつき、それぞれに名刺を渡した。 「ご丁寧にどうも。私の方は昔薬剤師をしておりましたが、引退してこのかた、名刺とはとんと縁がありませんでねぇ…。亜弓の父です、息子がお世話になっております」  一通りの挨拶を終えると、養母が準備していたらしいお茶とお菓子を持って部屋へ入ってきた。それを粗茶ですが、と断りながら五人分、木製のテーブルへ並べた。 「…それで、相談事があると亜弓から伺っておりますが、何か」 「はい、それが」  不思議そうな顔で核心を尋ねた養父に、中村は座布団の上から退き、畳に手をついた。 「僕の方から、お願いがあって参りました」  そのまま額が畳につくほどに頭を下げる。その姿に、亜弓の中に申し訳ないような思いが込み上げた。 「亜弓さんを、中村の養子にいただくことをお許し願えませんでしょうか」 「…えぇ?」  唐突な願いに、訳がわからない顔で養父母は顔を見合わせた。さらに院長までが畳へ降り、同じように頭を下げる。 「私からもお願いします。亜弓さんを、私たちの息子として迎えたいと思っております」 「ちょっ…院長、頭上げてください」  さすがに院長に頭を下げられたことには惑って、慌てて亜弓はその背に触れた。 「養子って…、どういうことなの亜弓さん」 「母さん、」  しかしそれ以上に困惑しているのは養父母の方で、特に養母は養父の制止も聞かずにヒステリックな声を聞かせた。 「ちゃんと説明して、どうして今になって他所へ養子に行くなんて言うの? うちに、私たちに不満があるから他のお宅に移りたいってことなの?」 「違うんです…」  普段は穏やかな養母のそんな声をそれ以上聞くのはとても耐え切れず、亜弓は正座の膝の上で拳を握った。 「今回の養子縁組は、僕が柴崎の家から中村の家へ養子に行くということ以上に」  中学に上がる前から今までの約二十年間、育ててくれた養父母にそれをカミングアウトすることは彼らの全ての厚意に背くことになるような気がして、到底言えないと思ってきた。しかし、二ヶ月をかけて中村がきちんと筋を通して来てくれた以上、自分も筋を通さねばなるまいと、決心を重ねて固める。  中村と幸せを迎えられるなら、どこにも蟠りを残したくないから。 「――これは、僕と中村さんの結婚なんです」

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