4 / 15
第二話 きっと雨になるだろう (前編)
死神
「何をしてる?」
魔女
「………!!」
そこは人が触れぬ山深くにある洞穴。あちらこちらにガサツに置かれた机の上に、異常な程の量の薬品や生物の断片が無造作に載せられている。薄く湿っている洞穴の内壁や地面一面にびっしりと呪文で陣が描かれているところを見ると、どうやら彼女はただ魔術の練習をしている訳ではなさそうだ。
コト……コト……。リーパーの履いているブーツが地面の湿った土に当たる度、洞窟内に彼の足音が響く。地面に描かれた緑色の怪しいげな光を放つ陣の中に足を一歩踏み入れようとした時、リリがそれを阻止した。
魔女
「来ないで。」
死神
「お前、死ぬつもりか?」
魔女
「………あなたには関係ないわ。どうしてこの場所が分かったの?」
死神
「俺を誰だと思ってんの?」
魔女
「もうこれしか方法が無いの……お願いだから邪魔をしないで。」
死神
「何があった?」
リーパーが陣の中に足を踏み入れた瞬間、バチっと火花が散る。動じずにそのままリリの元へと近付いていき、彼女の腕を掴んだ。振り向いたリリが戸惑った顔をしている。そんな彼女の頬を撫で、抱き締めようと両手を彼女の肩に回すとパンっと顔を叩かれた。リーパーの顔から外れたお面がカランっカラン……と音を立てて地面に落ちる。
魔女
「邪魔をしないでって言ってるでしょう………?」
死神
「いってぇーなこのクソウィッチ。」
魔女
「焼き殺すわよ?」
死神
「……アレンだろ?」
その名前を聞いた途端、リリの視線は地面に逃げた。
死神
「もう忘れろっつってんだろ、こんな事してあいつが喜ぶのかよ。」
魔女
「黙れ!!あんたに何が分かんのよ、殺す事しか能がない悪魔が!!」
死神
「………リリ。」
そっと彼女の名前を呼んだ。今も昔も変わらない、この女はいつだって自分を忘れてあの子のことを考えている。「本当に……何も変わっちゃいないよお前は。」リーパーはその腕で彼女をぎゅっと抱きしめた。カタカタと震わす小さな肩を抱きしめながら思うのだ……どんな言葉なら彼女を救える?彼女を抱きしめるこの両手で、他にしてやれる事は何だ?そもそも心を救うなど、死神の自分には無理な話なのだろうか。
死神
「あいつを救えなかったのは、俺のせいだ。だからお前はもう自分を責めるな。お前が死んで償いたいと思うんなら俺を殺せばいい。」
魔女
「ふふ………笑わせないでよ、死神をどうやって殺せって言うの?」
死神
「方法はある……他者に教えるのは禁忌だけどな。」
魔女
「モズの一員たる者が、たかが昔付き合ってただけの女にそんな大切な情報を漏らしちゃうなんて……あんたも大した死神じゃないわね。」
死神
「俺はお前のためなら死ねる。」
真っ直ぐなその眼差しに偽りなどは映らない。彼からの愛が、その道に迷いもせずにただ一直線にこの心へと届く。だがここで反応をしてしまったら、それは甘えてしまいたい自分を許すということ……リリは拳を握りしめ、彼の胸に飛び込む代わりにその目を睨みつけた。
リーパーは必死に抵抗しようとするリリの腰を掴み後ろの壁に無理矢理押し付けると、彼女の細い両手首を頭上でがっしりと固定し、強がる彼女の口を自分の口で塞いだ。リリが顔を反らしては、リーパーがその唇を追いかけ、また反らしては、また追いかけた……。彼からの熱が徐々にリリの心のバリアを溶かし、抵抗する力が弱まっていく。リーパーは隣にあった木製の机に並べられた試験管をザーっと片手で押し退けると、リリの腰を持ち上げて荒く机の上にのせた。激しく絡め合う唇は息継ぎをする度に「はぁ………」と熱を漏らし、肌寒い洞穴の中でその息は白くなった。
リリの頬を伝う涙を人差し指で優しく拭い、そっと柔らかな視線で彼女を見つめるリーパー。真っ黒な眼球の真ん中に青く煌めく瞳………その美しさはまるで、宇宙の中にある地球のよう。
すると急にリーパーはリリの体から離れた。
死神
「このままじゃ、お前を抱いちまう。」
魔女
「………!」
死神
「付き合ってる奴、居るんだろ?」
魔女
「………さぁね。」
死神
「……まだ、俺を恨んでるか?」
魔女
「………当り前じゃない。」
死神
「…………だよな。」
リリが握り拳を震わせ、陣を眺めてこう言った。
魔女
「何であの時、私を殺さなかったのよ……。」
死神
「…………。」
魔女
「私が死ねば、あの子は助かったのに!この死神の出来損ないが!あれだけ頼んだじゃない……お願いだから、お願いだから私を殺してって……そうすればあの子が解放されるからって………あんた分かったって私に言ったじゃない!!!その言葉を信じたのよ!あんたを、私は信じてたのに………ぁぁああああ!!!アレン!!アレン………!!!」
全身の震えが止まらない……泣き叫びながら素手で拳を地面に思い切り叩き続けるリリ。その手の皮が剥け、真っ赤な血が手首を伝う………焼ける様に痛い、痛い、痛い………それでも叩き続けた。あの時のアレンの痛みを、恐怖を、絶望を、自分に戒めているかの様に。
リーパーがその手を掴み、強く抱きしめた。リリの口からは彼への罵声が飛び交う。リーパーは何も言わず、震える彼女をただきつく抱きしめた。
リリがひとしきり泣いた後、リーパーは彼女の傷付いた手を取り、自分の手のひらの上に重ねて優しくキスをした。そしてその低い声で静かに歌い出す……。
死神
「Pain pain go away………」
リリの顔に笑顔が戻る。ほっとして、もう一度彼女を抱きしめた。自分を責めた日々なら、そんなものはもう数えきれない。今でも「あの時どの選択をしていれば良かったのか」と考える………考えた所で、死者は蘇らないのだ。
ともだちにシェアしよう!