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柴犬も懐けば食を運ぶ 2

『今日のメニューはカレーにしよ』 「最近配達多いな」 「こんな時間に飯テロ」 葵は目に見えて、配達を頼むことが多くなった。 何となく配達アプリを開いて、適当な食事を頼む。 しかし、相変わらず食欲は戻っていない。 配達を頼んだら、1食分を2日に分けて食べるのが精いっぱいだ。 『お前ら、食べなかったら食べろってうるせぇのに、食べたら食べたでうるせぇのな』 葵はコメント欄を見ながら、くふふと笑う。 なんやかんや心配してくれているコメント欄と話すのが、葵の心の支えなのだ。 『あー、今日エイム最悪。全然敵見つけられねぇ』 いつもなら一発で仕留められるところを、今日は何度も撃ち漏らしていた。 致命傷まではいかずとも、普段より確実にミスは多い。 そして、今回の試合でも回復中に後ろから撃たれてゲームオーバー。 珍しい負け方に、コメント欄は葵を煽ってくる。 「今日調子悪いじゃん」 「雑魚すぎん??」 『やかましいわ。えー大会前にスランプとかだるすぎんだろ……武器変えようかな』 今日はうまくコメントも拾えない。 飯食ってもう1戦したら今日は終わっとこう。 一息ついていると、チャイムが鳴った。 『カレー来たわ。じゃちょっと休憩ね~』 マイクをミュートにしてヘッドホンを置く。 ゲーミングチェアから立ち上がると、軽くめまいがした。 「これ、結構ダメなやつか?」 ろくに確認せずオートロックを開錠する。 ここ数日、配達を頼んでも涼は来ない。 何百人といる配達員のうち、涼が来る確率は相当低いことは葵にもわかっている。 だが、しばらくは行かないと行った手前、バーには行きづらかった。 ぼーっと玄関で配達員を待つ葵。 「あー、来ないかな。あいつ」 2度目のチャイムが鳴った。 鍵を開けると、視界がゆがみ世界が回る。 あ、これダメなやつだったかもしれん。 そう思いながら葵はドアノブに手をかけていた。 「こんばんは~またまた赤柴でーす……って」 何も知らず陽気に笑う涼に向かって、葵がなだれ込んでくる。 涼は思わず手にしたカレーを放り投げて葵を支えた。 葵は意識が無いようで、目を閉じて浅い呼吸を繰り返している。 「ちょ、え、葵さん?!大丈夫ですか?」 応答はないが呼吸は確認できる。 ヘアバンドで晒された顔には、以前見た時よりも隈が青白く浮いていた。 成人男性にしては軽い身体を支えた涼は、葵へ呼びかけを続ける。 「葵さん、聞こえますか?立てます?」 「う……」 「こりゃダメだな」 パッと足元を見ると、無残な姿になったカレー弁当。 これはやっちまったな、後で拾いに来るからちょっと待ってて。 カレーにつぶやきながら、涼は葵の部屋へ足を進めた。 葵の部屋は思っていたよりもきれいなものだった。 そこら中に缶や空き容器が転がっているかと思いきや、そんなことはなく物が少ない印象だ。 「仕事部屋って感じだな……生活感ないなぁ」 葵をベッドに寝かせて一息つく。 この後配達の予定も入っていないし、近くにいるか。 ふとPCが立ち上がっていることに気づく。 そういえば、今日も配信してたな……。 ついさきほどまで自分が見ていた画面が目の前に。 他のリスナーは上名の帰りを待っているだろう。 「葵さーん。配信どうしますか~」 返事はない。 ただ葵は浅い呼吸を繰り返すだけだった。 「えー、配信の切り方なんか分かんないよ俺」 そういいつつ涼はゲーミングチェアに腰かけて画面をのぞき込む。 コメント欄では、すでに上名の戻りが遅いと心配するものが増えてきていた。 涼は配信サイトの説明まとめサイトを検索して、配信の切り方を模索する。 「えーと、とりあえずこのボタン押せば切れるっぽいな」 涼がボタンをクリックするが、画面は変わらない。 コメント欄もまだ動いていた。 配信は切れていないらしい。 『これ、まだ切れてない感じ?』 「え、誰」 「知らない声聞こえる」 「ミュート外れてない?大丈夫?」 『あ、これミュートボタンか。やべ』 手元を見ると、配信終了ボタンの横のマイクボタンを押してしまったようだ。 全世界に自分の声が発信されている。 そう自覚すると、途端に何を話せばいいかわからなくなった。 この状況を説明しなければ、と焦るたびに手汗がにじむ。 『えーと、リスナーのみなさん。今上名さんはちょっと体調がよくなくて横になってます』 「え、大丈夫か」 「てかあんた誰」 『俺は上名さんの知り合いで、たまたま遊びに来たら鉢合わせた……って感じです。なので、今日の配信は一旦終わりますね』 「これ事件じゃないよね」 「お大事にやで」 「通報案件?」 確かに、この状況は強盗に押し入られたり、脅されていたりするのではないかと懸念されてもおかしくない。 しかし、事の経緯を説明することは憚られる。 どうしたものか、自分の信頼を得るには何ができるか……。 『あ、俺柴犬です』 涼が選んだのは、リスナーとしての自己紹介だった。 「柴犬ってあのヘビー投げ銭リスナー?」 『そうそう、古株ヘビー貢ぎリスナーの柴犬です。何なら上名配信クイズでもする?負けないよ俺』 涼はリスナー間では少し有名な上名リスナーだった。 登録者数2桁時代から上名を見ており、古株と呼ばれるほどだろう。 自分はリスナーだと分かってもらえれば、何とかならないだろうか。 「家まで押しかけてるの?やばくね?」 『あ、違う違う。えと、前から知り合いだったんだよ。絶対上名さんには危害加えてないって誓えるから』 すべてを話すわけにもいかないこの状況。 涼は話しながら、自分のスマホを取り出して操作する。 その数秒後、コメント欄に流れる投げ銭最高額の赤枠コメント。 『俺の投げ銭に誓うよ』 「やば、本物じゃん」 「優良リスナーで有名だし、大丈夫じゃね?」 『ごめんね、カメラオンにしちゃうと部屋とか映るかもしれないし……絶対明日には元気な上名さんが帰ってくると思うから!』 「結局俺らにできることってないしな」 「お大事に伝えてくれ」 柴犬だと信じてくれる流れになり、ひとまず息をつく涼。 普段使わない頭を使って話すことが、こんなに気疲れするのかと身をもって経験する。 『あんまり話大きくしないでくれると嬉しい。明日配信無かったら大荒れさせていいから、今日だけ!』 「それはいいんだ」 「柴犬、頼んだぞ」 『じゃあ、配信終わります!ありがとう~!』 そう言って、今度こそ配信終了ボタンを押す。 どっと疲れて、ゲーミングチェアに体を預ける。 自分の真実に嘘を混ぜて話すこと、それにズレを生じさせないこと。 流れるように話している配信者たちは、いつもこんなに神経をすり減らしているのか。 眠っている葵に目を向ける。 「ほんと、すごいんですね。葵さんって」 さて、病人を置いて去るわけにもいかない。 葵の栄養源になるはずだったカレーは放り投げてしまったし、今できることは……。 「勝手に失礼します」 涼は一言冷蔵庫に声をかけてから扉を開く。 中には食べかけの弁当とエナジードリンク、水と基本的な調味料。終わり。 「弁当、全然食べきれてないじゃん……」 食欲が落ちているのは本当らしい。 まぁ、あれだけ顔色が悪いと信じざるを得ないのだが。 涼は冷蔵庫を閉めて、今度はキッチン下の戸棚を開ける。 そこにも、最低限の備蓄が乱雑に入っているだけだった。 「男の一人暮らしってこんなもんか~?うーん、とりあえず……」 涼はそのまま玄関に向かい、扉を開く。 「ひどい目に合わせてごめん、カレー」 無残な姿になったカレーを優しく部屋へいれてやるのだった。

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