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1.月島由貴が運命を恨んでいる理由
大学を出て結婚式場の仕事について、月島 由貴 が本当にしたかったのは結婚式場で演奏をしたり、着付けをしたりすることだったが、そう簡単にはいくはずもなく、ウエディングプランナーの裏方として働くことになった。
式の花の手配をしたり、引き出物の手配をしたり、持ち込みの衣装の手配をしたり、お土産のお菓子の手配をしたり、由貴がすることはお客様の要望に応えて結婚式場と他の店とのツナギを取る営業のような立ち位置だった。
それでも人手が足りないときにはお茶くらいは淹れさせられる。
新人の一年目、お茶を出した結婚予定のカップルの新郎の方に目を付けられた。
「君が本当の運命だったんだ。一目で分かった」
運命の相手に出会うと一目で分かる。その相手とのセックスは最高に悦くて、それ以外の相手とはできなくなるくらいと言われている。
そんなのは都市伝説だと笑っていたが、由貴の中にも運命があればいいという考えがなかったわけではない。運命に憧れながらも、由貴はそんなものが自分に訪れるはずはないと諦めていたのだ。
高校時代に年下の可愛い女の子と付き合って、キスをして、服を脱いで。そこまでは良かったのだが、それ以上ができなかった。由貴の本能がこれは違うと告げていた。
自分は恋愛に向かない、恋愛のできない人間だと思っていながら、いつか出会う唯一無二の運命の相手ならば夢のような愛を育めるのではないか。そんな甘い考えを打ち砕いたのが、その男だった。
「一度抱かれてみれば分かる。君は俺の運命なんだから」
「近寄らないでください! 警備員を呼びますよ!」
新婦のことなど放り出して由貴を追いかけて来た新郎は、警備員に取り押さえられた。諦めずにしばらく式場にストーカーのように現れていたので警察にも相談した。
もちろん、そのカップルの式は台無しになって悪くもないのに新婦側に由貴は頭を下げさせられた。
それ以来運命なんて碌なもんじゃないと由貴は考えるようになった。
新人でそんな事件を起こしてしまった由貴に式場の上司たちは優しく、決して由貴を責めなかった。けれどどうしても由貴を表に出して仕事させるわけにはいかない。
「せめて月島くんが結婚してたらねぇ」
何度もため息を吐かれたが、運命を振りかざして自分を抱こうとしたあの男の影がちらついて、由貴は結婚など考えられなくなっていた。全く運命を感じなかったあの男は、由貴を勝手に運命の相手だと勘違いして、愛し合っていたはずの恋人を捨てて由貴を追いかけて来た。
恋人も「私のことも運命だって言ってたんですけどね」と苛立った様子で言っていたから、運命ほどあてにならないものはないのかもしれない。
仕事に着いてから四年経っても、由貴は他の店と式場を繋ぐ営業のような仕事を続けさせられていた。仕事にも慣れて来たし、文句もないのだが、美貌のせいでカップルを一組壊したという噂は消えてくれない。
式場での演奏も、着付けの仕事も叶いそうになかった。
26歳の由貴に上司が持って来たのはある陶芸家の作品を引き出物にしたいという客の要望だった。
「どうしてもこの器に惚れたんだって」
「どれですか?」
タブレット端末で写真を見せてもらって、由貴は息を呑んだ。
暗い黒に近い青の中にきらきらと光る星空が映し出されたような美しい器。
『星空の器』と名前が付いていて、天目釉と呼ばれる特殊な鉄釉をかけた陶器だと説明があった。
「これは……惚れる気持ちが分かります」
「その陶芸家さん、国際的な賞を取ったとかで、人気なのよね」
「あぁ……」
芸術家肌の気難しい陶芸家を想像してしまって、由貴は天井を仰いだ。しかし、これだけ美しいものを作る相手である。会ってみたいという思いが先に立った。
「口説いてみます。僕の営業力全部使って」
「なんなら、その魅惑の美貌で枕営業して来ても良いのよ」
「先輩!」
「ごめんごめん」
冗談にしてくれるだけこの上司は良いひとだと分かっているが、由貴にとって新人一年目の事件は笑えるようなものではなかった。
「それに、こんな美しいもの作るひとが、僕に興味なんて持たないでしょう」
有名な陶芸家のはずなのに工房は山奥にあって、メールで約束を取り付けて、車で直接会いに行くまでに相当時間がかかってしまった。夕暮れ時で昼ご飯も忘れて車を飛ばしていたので空腹だし、疲れているし、酷い顔を取り繕って会ったその陶芸家。
癖のある髪を一つに括って、褐色の肌に彫りの深い顔立ち、長い睫毛に凛々しい眉、余りの美しさに由貴は電撃に打たれたように立ち尽くした。扉を開けたままの体勢で、僅かに小首を傾げて、三十代くらいに見えるその美しい男は穏やかに微笑んでいる。
「結婚式の引き出物に星空のぐい飲みを作って欲しいんです」
名乗ってもいない。
名刺も出していない。
切羽詰まって口から出てきたのはその単語だけだったのに、彼は穏やかに微笑んだままで答える。
「メールで伺っています。とりあえず、お上がりください」
玄関先で何をやっているのかと慌てて靴を脱いで上がって通された応接室。スーツを着ている彼の背丈は由貴より高くて、シャツの下の分厚い胸板を想像してこくりと喉が鳴った。
運命がこんなところに転がっているはずがない。
自分がしているのはあの新郎の男がやったことと同じことではないのだろうか。
それでもこれが運命だと由貴の本能は告げていたし、由貴は目の前の彼が欲しくてたまらなかった。渇いて渇いて、彼以外が潤せないような飢えが体の奥に生まれる。
「時吉 志信 です」
「志信さんって言うんですか。志を信じるって、いいお名前ですね」
しのぶ、だなんて美しく穏やかで慎ましやかな彼にぴったりの名前だとか頭を過って、これはセクハラかもしれないと飲み込む。好感した名刺に書かれている文字よりも、間近にある志信の胸が気になって仕方がなかった。
スーツを暴いて素肌に触れたい。
仕事中なのに自分は何を考えているのか。
運命とはこんなにもひとを狂わせるものだなど、由貴は想像もしていなかった。
「由貴さんですか。この漢字で読ませるのは珍しいですよね」
「よくユキって間違えられます。ユキって呼んでください」
初対面で仕事相手なのに愛称で呼ばせようとしている自分の下心に冷静な部分がいけないと警鐘を鳴らし、本能がこのまま志信を食らってしまいたいと告げる。
美しく繊細な作品を作るひとは、想像よりもずっと美しかった。
「お茶を淹れてきますね。紅茶で良かったですか?」
「なんでも平気です」
あまりにも凝視しすぎたのか、志信が席を立つ。
紅茶を淹れると言っていたのですぐに出て来るかと思ったら、時間がかかっているのに気付いて応接室の扉を開けて覗き見ると、簡易キッチンで志信は茶葉から紅茶を淹れていた。ポットから甘い香りが漂ってくる。
「茶葉から淹れてるんですね。ティーバックかと思った」
「ティーバッグじゃないですか? ティーバックだと、その……」
「あ、そうですね」
ティーバックとティーバッグを間違えたのを聞かれてしまった。
指摘して恥じらっている様子が可愛くて、つい由貴も口が滑った。
「冗談の通じるひとみたいだし、ちょっと安心しました。ティーバック、志信さんに似合いそうですよね?」
シャンプーの香だろうか。志信は嫌ではない爽やかな匂いがする。気が付けば近寄りすぎていたようで、蚊の鳴くような声で志信が言う。
「ユキさん、近いです……」
それに、由貴は本心が駄々漏れた。
「慎ましやかなひとなんですね。ますます好みです」
「好みって……」
戸惑っているのも分かる。嫌な感じをしていないように志信が見えるのは、由貴の勘違いではないはずだ。
仕事の話に戻ると、志信は低い落ち着いた声で対応してくれた。見せられたカタログの写真にやはり見惚れてしまう。作るものも美しければ本人も美しい。
明日は由貴の仕事は休みだ。
仕事の話をしながらも、完全に由貴は志信を落とすことを考えていた。
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