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第31話 僕の日常は

「何から何までありがとうございました」 「大丈夫だよ。また、連絡するね」  僕の住むマンションの下まで車で送り届けてくれた相良さんは、そのまま仕事に向かっていってしまった。朝ごはんは相良さんお手製のチャーハンだった。柚子胡椒を入れるのが、相良さん流なのだという。柚の香りが食欲をそそった。それから、せめて恩返しにと家事を手伝ったら時間があっというまに過ぎてしまって。仕事前でバタバタしているだろうに、彼は僕を家まで送ってくれた。僕が電車で帰りますと言っても、車で送っていくよと譲らず。なんというか律儀というか、心配性というか……。とにかく、お世話したがりの人なんだと思った。 「ただいま」  おかえりと返ってくる声はなくて。一人暮らしのマンションは、やけに広く感じてしまう。2LDKの築12年のマンション。最寄り駅からは徒歩15分だから、いい立地だと思う。近くには、スーパーやドラッグストアがあって。駅前には商店街なんかもあるから、ついつい立ち寄ってしまう。この街に住んで3年。仕事も慣れて、今では新人さんに指導をすることも増えた。こんなに良いことがたくさんあるはずなのに、僕にはそれを良いことだと認識できない理由がある。 それは、僕が人と深く関わったことがないからだ。  何年も付き合っていても知人レベル。職場では同僚や先輩としか見てもらえなくて。素の僕を見せたことは1度もない。学生時代も、引っ込み思案な僕は影の存在で。それに気づいてくれる人はいなかった。同級生が皆、輝いているように見えた。彼らは、あまりにも眩しくて僕には手が届かなかった。高校卒業まで、連絡先を交換した人は誰もいない。簡単に雑談することはあっても、僕と長く話したいという物好きはいなかったから。僕はひとりだった。

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