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第32話

 電車に揺られて職場に向かう。最寄り駅からは3駅だ。大雨でも通えるように。そう思って、近場にした。  昼過ぎの電車の中は、やけにがらんとしていて。朝の出勤ラッシュに比べたらましなんだろうけど。人が少ないのは、僕にとっては少し寂しい。たくさんの人に囲まれていたかった。  ふと視線を上げれば、優先席で読書をしている老人や、抱っこ紐をかけてお腹で赤ちゃんをあやす女性。お腹がすいたのか、赤ちゃんがわんわんと泣き出す。隣に座っていた、眼鏡をかけたご婦人が「あらぁ。お腹すいたの?」と赤ちゃんの顔をのぞく。早帰りだろうか。男子高校生の3人組が、スマホを片手におしゃべりしている。楽しそう、だな。いいな。僕は職場に向かう途中、様々な人を見てしまう。監視しているわけじゃないけれど、自然と目に入ってくるのだ。そして、いいなと思ってしまう。自分には縁のないものだから。羨ましいんだと思う。妬むことも、正直ある。けど、妬んでも羨んでもなにも変わらないから。僕は今日も仕事をする。仕事をしているときだけは、孤独な自分を忘れられる。電話の向こうの君も孤独だから。ぼくは、ひとりぼっちではなくふたりぼっちになれる。 「おはようございます」 「おはようございます! ……えっ、怪我されてるんですか? 大丈夫ですか?」  入社して3ヶ月目に入った金森(かなもり)さんという女性社員が、元気に挨拶をしてくれる。僕の右手を見た瞬間、心配そうに眉を下げた。焦げ茶色に染めた髪をハーフアップにまとめている。黒いリボンがついた飾りをつけていて、女子力が高い。バレンタインデーには、手作りのパウンドケーキをくれた。味もとっても美味しい。ほっそりとした容姿は、男なら皆守ってあげたくなるだろう。 「ちょっと料理中にね……」 「お大事にしてください」  ありがとう、と口にして僕は自分のデスクに座る。パソコンと、電話機と、メモ用のノートが置いてあるデスク。B5のノートが僕のお気に入りだった。電話機が主役の職場だから、かなり性能のいいものが置いてある。

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