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第102話
「今日はありがとうございます。初めてのことだらけでご迷惑をかけたかもしれませんが……とても楽しい時間を過ごせました」
志麻さんは手を振って答える。
「そんなことないよ。俺も、雛瀬くんみたいかに素敵な子を担当出来て嬉しい。これからも、専属スタイリストとしてサポートさせてもらうからよろしくね」
差し出された手を握る。その手は僕と同じくらいの大きさで、爪にはカラー剤が入ってしまっているのか色が入っている。お客さんを大切にする美容師さんの手だ、と僕は思った。
相良さんが仕事の電話から戻ってきた。僕の席からは入口のドアがよく見えるけど、向こうからは僕の姿は見えない。相良さんどんな反応するかな。
「李子くん。ごめん、もう終わっーー」
最後まで言葉が出てこなかったみたいだ。相良さんのまんまるな瞳。驚いてるみたいだ。口を半分開いて固まっている。お地蔵さんみたい。僕はくす、と口元を手で隠して笑ってしまう。
そして大股で歩いてきたと思ったら、相良さんは僕の髪をさらりと撫でてきた。さらさらさら。無言で髪を撫でられる。喜んでくれてるのかな。僕はちら、と相良さんの表情をうかがう。
「……かわいい」
ぽそ、と彼は呟くと僕の肩に手を置いて耳元に口を近づけた。
「俺の言うこと聞いてくれてありがとう。あとでご褒美あげるからね」
僕の心臓がびく、と跳ねた。ご褒美……その甘い言葉は裏側で危ない空気もはらんでいるようで僕は身体に熱がこもった。
「先に支払いしてくるから、座ってていいよ」
自分で払いますと言っても、いつものように「だめだよ」と言われて僕は申し訳ない気持ちになる。相良さんが支払いをしている間、志麻さんが僕のお喋り相手になってくれた。おすすめのスタイリング剤を教えてもらい、僕はさっそくドラッグストアで買ってみようかなと考えていた。そのときだった。志麻さんの纏う空気が変わったのは。
「こんなに甘やかされてたら、いつか自分で立てなくなるよ」
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