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第134話
「……」
上顎の裏を執拗に歯ブラシで擦られる。そこ、だめだ。僕が1番弱いところだから。それを知っているはずなのに、いや知っているからこそ相良さんはそこばかり歯ブラシで擦ってくるんだろう。口から溢れた唾液が顎を伝う。ぽたぽたと相良さんのズボンに染みを作ってしまう。
「……はい。おわり」
僕は最後の方は涙目になって相良さんを見上げていた。相良さんが僕の背中を持ち上げてくれる。僕はコップを借りて口をゆすいだ。歯磨きしてもらうなんて、本当に子どもみたいだ。そんなことを考えていたら、今度は相良さんが僕の腕を引いた。
「李子くん。してくれる?」
目の前に差し出されたのは青い柄のついた相良さんの歯ブラシで。僕はこくりと頷いた。相良さんがしてくれたように正座をしてみる。相良さんは躊躇なく僕の膝の上に頭を乗せてきた。顔、近いな……。ご満悦といった表情で僕を見上げている。僕はおそるおそる相良さんの口の中に歯ブラシを差し込んだ。痛くないように、と優しく奥歯を磨く。つづいて上の歯を。その間、相良さんは無言で……歯を磨き終わる頃には目を伏せて寝ているみたいに見えた。
「おわり、ました」
人の歯なんて磨いたことない。僕は小さな声で報告する。すると相良さんは僕の髪の毛をさらさらと撫でてから口をゆすぎに行った。
「李子くん。ありがとう」
相良さんにぽんぽんと頭を撫でられる。この瞬間がすごく好きだ。
相良さんに手を引かれて向かったのは、相良さんの部屋。僕はまだ1度も入ったことはない。ふっと香る相良さんの匂い。それを嗅ぐと僕の心はくぅと締め付けられるのだ。部屋はモノトーンの家具で揃えられている。白いデスクと黒いチェアが部屋の角に置いてあって、ウォールラックには現代アートというのだろうか。不思議な模様をした四角いミニキャンパスが飾られていた。
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