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第143話

「シャワーありがとうございました」  リビングに戻ると、テレビは消えていて。しん、と静まり返っている。ソファに横になっている相良さんの姿を捉えて、足音を忍ばせて近寄る。寝てる、みたい。すうすうと呼吸をしながら、相良さんの胸が膨らんだりへこんだりしているのが見える。僕はソファの背もたれにかかっていたブランケットを相良さんの身体にかけた。  しばらく相良さんの顔を見つめる。瞳は深く閉じられていて、長い睫毛が束ねられている。髪型は先程の行為で少し乱れていて、濡れている。輪郭の整った顔。薄く引き伸ばされた唇。どれもが相良さんを形作る魅力そのものだ。 「っ」  僕は目を見開く。相良さんの瞳から、つう、と滴がたれていたから。 「ごめん……ちはや、ごめん……」  夢を見ているのだろうか。相良さんは小声で謝り続けている。僕の知らないちはやという人物に。僕はなんて反応していいかに迷って、何もしないことにした。相良さんを起こさないように白いクッションに座って、ただ待っていた。相良さんが夢から醒めたら、また「李子くん」と名前を呼んでもらえるだろうから。僕はそれだけでいい。相良さんが悲しむ姿は見たくないから。  相良さんが目を覚ましたのは、それから1時間後だった。もそ、とソファの影が蠢く。それはゆっくりと身体を持ち上げた。 「ごめん……俺、寝てたね」  呆れたような笑い声。僕は相良さんの傍に近づいた。さっきのことには触れない。 「お仕事疲れてるだろうし……ゆっくり休んでください」 「ううん。大丈夫。李子くんとの時間を優先したいから。俺もシャワー浴びて眠気覚ましてくる」  相良さんがいなくなったリビングで、僕はソファに横になった。 「好き、だなあ……」  膝の上に顎を乗っけて、思わず口から言葉が飛び出た。それに驚いたのは自分自身。慌てて口を両手で押さえた。幸い、その言葉が聞こえたのは自分だけだった。そんな……心の中の声が出てしまうくらいに、僕はこの場所に、相良さんに気を許しているんだ。    そのあと、相良さんとベッドにくるまって、眠るまでお喋りをした。先に寝落ちしてしまったのは、相良さんの方だった。よっぽど、仕事の疲労が溜まっているんだろう。  相良さんは僕と過ごす時間を優先してくれているようだけど、まずは自分を大切にしてほしいと思った。しっかり寝て、食べて。 「ゆっくり休んでください」  相良さんの耳元で囁く。届いていなくたっていい。僕だけが、知っていればいいのだから。

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