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第240話

「相良、さ」 「ごめん」  僕が名前を呼ぶ前に、彼が謝った。  抱きしめられたまま、ぽそぽそと彼が呟く。シンとした部屋の真ん中。相良さんと僕の宇宙だけが、そこに漂っている。 「李子」  少し、声のトーンが落ちた。僕の名前を確かめるように呼ぶ。ゆっくりと、相良さんが身体を離していく。 「まずは、話してくれてありがとう」  相良さん。なんだか急にしおらしくなってしまう。枯れた朝顔みたい。しょぼしょぼだ。 「そんなに震えて、怖かったんだよね。俺に聞くのが」  僕はこく、と頷く。 「それなのに、聞いてくれたんだ」  相良さんが、不意に僕の手をとる。重ねられる手に言いようのない温もりを感じた。 「俺の悪癖なんだ」  ぽつ、と言葉を洩らす。その後に続く言葉を、僕は信じられない気持ちで聞いていた。 「俺、小さい頃両親から虐待を受けてたんだ」 「……っ」  一瞬、世界が停止したみたいだった。相良さんは床に目線を落とす。 「特に、母親のほう。俺に愛してるって囁きながら、毎晩俺の背中を叩いたり、頭を蹴ってきた。暴力は愛情の裏返しなんだって言われた」  ちら、と僕のほうを伺う。なにかを言い淀んでいるようだった。 「俺は、そういう愛の受け取り方しかしてこなかったから。だめなんだ。李子くんを見ていると、大好きで大切でしょうがないのに、手を出してしまう」

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