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第281話 温かいご飯をどうぞ
その晩、玄関で鍵の回る音を聞きつけた僕はぺたぺたとスリッパの音を響かせて駆け足で迎えにいく。
「……!」
帰ってきた愛しい人の顔を見たらもう我を忘れて抱きついてしまった。相良さんの胸に顔を埋める。ワイシャツをくんくんしても汗くさくなんかない。相良さんは僕がこうするのを笑顔ではいはいと受け流して靴を脱ぐ。その間も僕はしっぽをぶんぶん振りまくる子犬みたいにしてくっついている。
「こら。李子。くっつき虫はここまでだよ」
小さい子どもを叱るようなそれも全然怖くなんかない。だって相良さんはいつもーー。
「後でいっぱいくっつかせてあげるから。ね? 先にシャワー浴びせて」
「……はい」
甘い躾をするような言葉に期待してしまいとろんと頬がゆるむ。バスルームに向かう相良さんの背中を見送りながら足早にキッチンへ戻る。相良さんの好みは「よく焼き」だからオーブンでじっくりとガーリックチキンを加熱する。シャワーを浴び終えたらすぐに温かい夕食を食べて欲しいので、僕はカトラリーやコップ、小皿をリビングにあるガラス張りの丸テーブルに載せる。椅子は今流行りの無機質系のインテリアで、背もたれがアーチ型のカーブを描いた華奢なデザインだ。椅子の4本の足はすらりとしてスタイリッシュだが作りが頑丈で安心して腰掛けることができる。これらの家具も相良さんと一緒に近くの家具屋さんで選んだ。
シアトルに来て1ヶ月が経とうとしていた。海外へ行ったことがなかった僕は異国での生活に憧れと不安の両方を抱えて渡米した。相良さんは大学生の頃にアメリカの大学に2年ほど留学していたこともあり慣れ親しんでいる様子だった。そもそも飛行機にすら乗ったことのない僕にとってフライトもどきどきしてしまって、もし何かの手違いで墜落でもしてしまったらどうしようとか、もしハイジャックされちゃったら無事にすむのかなとアメリカの映画の見すぎによる妄想が膨らんでしまっていた。それを隣の席に座る相良さんに周りの人にバレないように小声で伝えたら「じゃあそのときは俺が守るから安心していいよ」と自信満々な顔で言うものだから、僕はさらに胸を撃ち抜かれて好きな人の頼りになるところにきゅんとしてしまった。
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