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第10話
「なっ」
と怒りを露わにした男たちが、一歩近づいてくる。良明はマキの肩を抱いたまま、男たちと対峙した。
「そこまでだ」
振り返ると、開け放たれた裏口に巨大な男のシルエットが浮かんでいた。傍らには、小柄な影も寄り添っている。逆行のせいで顔が見えないが、それでも誰だかわかる。堂島と志倉だ。
「うちのテリトリーで勝手なことをされては困るな」
コツコツと乾いた革靴の音が響き、良明の目の前にネイビーのコートが翻った。堂島の背中は岩のように揺るぎなく、静かな怒りで張っていた。
「……くっ」
何かを感じ取った男たちが、じりじりと後退していく。堂島の後ろについていた志倉は良明たちを下がらせると、命令を待つ犬のように主人と相手方、双方にじっと神経を研ぎ澄ましている。
秋の気配が濃厚な夜霧に、ぞくりとするほど重たい堂島の声が響く。
「お前たちの主人に言え。こいつらは俺の大事な客だ。手を出したら俺が許さない。二度とこの界隈をまともに歩けないようにしてやる、と」
男二人はどうするべきかと顔を見合わせていたが、そこへさらに鋭い堂島の一声がかかった。
「行けっ!」
男たちは雷に打たれたかのように、車に乗り込み、通りへ走り去っていってしまった。ヴロロロ……とエンジンの音だけが、いつまでもビルの間に木霊する。
「大丈夫だったか?」
堂島が肩越しに振り返った。良明は、ほっとしてマキを抱き込める力を緩めた。
「僕は大丈夫です。……でもマキ君が」
「大丈夫。このくらい。血がでているから大げさに見えるだけだし」
マキはシャツの袖でぐいっと額を拭ったが、それでも血は次から次へと溢れ出てきた。
「樹、手当を」
志倉は頷くと、マキの肩を引いてクラブの中へと連れて行こうとした。良明と身体が離れる瞬間、マキは何か言いたそうにみてきたが、やがて大人しく建物の中へと入っていく。
「あいつらは何だったんですか? もしかして──」
二人っきりになったところで堂島に聞く。彼はビル風で乱れたストールをちょいと手で直した。
「あぁ、マキの前のマスターの下っ端だ。どうやら相手は、本気でマキを取り返しにきたらしい」
「何で、そこまでして……」
堂島が機械的に首を振り、
「わからない。どうして、あの男がここまでマキに執着するのか。サブなら他にもたくさんいるだろうに」
と苦り切った息を吐いた。良明は、はたと思い出す。
「……そういえば、さっきの男たち、マキのことを奴隷 と呼んでいました。サブと言わずに」
堂島の動きが一瞬止まり、良明を鋭い視線を向けた。
「本当に、そう言ったのか? スレイヴと?」
「はい、確かです」
答えるより先に、堂島は裏口のドアに向かっていた。素速く、音もなく闇の中を駆ける姿は、まるで黒いオスの豹のようだった。
「マキ。お前、サブではなくスレイヴの契約を結んだのか?」
堂島が事務所に駆け込むなり、手当の最中だった志倉とマキが同時に顔をあげた。ようやく追いついた良明は事務所のドアの縁に手をかけ、はあはあと息を整える。
「堂島、さん……急にどうしたんですか……? それにスレイヴって?」
「奴隷のことですよ」
重々しい、恐れるような口調で志倉が言った。
「サブが基本、シーン限定の従者ならば、奴隷 は生活全てを通しての従者です。居・食・住──人としての権利全てをマスターの支配権に委ね、そのマスター一人だけに奉仕することを誓った、いわば独占契約みたいなものです」
「なっ、そんなのって……!?」
堂島を見ると、相手は大きなため息をついた。
「これでなぜ奴がマキに執着するのかがわかった。スレイヴの契約は、よほどのことが無い限り半永久的なものだ。だから奴はマキに目をかけていた他のマスターを押さえ込むためにも、相当な金をつぎ込んだんだろう。なのに、品物がないんじゃ躍起になって当然だ」
「品物って、マキは物じゃないっ……!」
命知らずにも、良明は堂島に向かって吼えていた。一瞬、殺されるかとも思ったが、堂島は飼い犬がじゃれついてきたくらいしか思わなかったらしい。わずかに肩を竦めただけだった。
「わかっている。ただ奴は、金に関することならどこまでも執念深い。それでのし上がってきた成金だからな。──マキ、どうしてお前はスレイヴの契約なんてした? また何も読まずにサインしたのか?」
威圧的な問いかけに、マキは唇を噛みしめ下を向いた。かすれた声で呟く。
「読んだ……でも、覚えていない……」
「今は、ふざけている場合じゃないんだぞ」
「ふざけてないっ! 本当に、何にも覚えていないんだっ……!」
マキは頭を手で抱え込むと、ぎゅっと自分自身を守るように身体を縮こませた。
「何度も殴られて、気づいたら契約書が目の前にあった。俺……痛くて、すごく疲れていて……早く家に帰りたかった……だから、なんだかよくわからないうちにサインしていたんだ……」
息を飲んだのは誰だったか。ただ、良明がそのうちの一人であることは確かだった。
「ご、ごめんなさいっ……!」
マキは頭を腕に抱えたまま、うわずった声で言った。
「自分でどうにかできると思ったんだ。まさか、それがスレイヴの契約だったなんて知らなくて──」
「もういい。マキ、顔を上げろ」
重厚な〝マスターの声〟に、マキが顔を上げた。大きな瞳から、大粒の涙がほろりと一筋こぼれ落ちる。
堂島は安心させるように、大きな手をその肩に置いた。
「今回の件は俺に任せろ。お前は、ただ自分の安全のことだけを考えろ」
ひっくとマキの喉から嗚咽が漏れ、震える手が堂島の腕のシャツを握った。
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」
「マキ君っ……」
壊れたプレイヤーのように呟き続けるマキの肩を、志倉が横からぎゅっと抱きしめた。良明はただその光景をじっと見つめるしかできなかった。
「堂島さんっ……!」
廊下へ出た堂島を追いかけ、良明は相手が振り返るより先に、深々と頭を下げた。
「あのっ、色々と、ありがとうございましたっ……!」
「何のことを言っているんだ?」
衣ずれの音で、堂島が振り返ったのがわかったが、良明は頭を下げたまま言う。
「その……今回のこととか、今までマキにしてくれたこと、色々……とにかく、ありがとうございます!」
「だから、どうしてあんたがお礼を言うんだ?」
その声は不思議がっているようにも、面白がっているようにも聞こえた。
「そりゃ、だってマキは──」
僕のサブだから──と、自然に言おうとした自分自身に驚く。
サブという言葉がこんなにも抵抗もなく出てくるなんて、数週間前の自分には考えられないことだった。思い返してみれば、この数週間だけで、自分の世界は一八〇度変わってしまった気がする。
でも、前の世界に戻りたいとは思わなかった。
いくらそこが平穏で健全な世界だったとしても、今となっては無味乾燥としたつまらない世界のように見えてならない。
──マキがいなければ。
あぁと、砂漠に染み込む雨のように思う。
──僕は、マキが好きなんだ。いや、好きなんてものじゃない。
彼を所有したい。
彼の本当のマスターになりたい。
彼を慈しみ、気遣い、世話を焼き、そして自分の思うがままに支配し、守るマスターに。
今思うと、初めから全てが繋がっているように思えた。
平凡だと言われ続けたことも、過保護だとフラれ続けたことも、きっとこの世界でマキと出会うためだったのだ。マキと出会うために、今までの自分がいたのだ。夢見がちだと言われてもいいから、そう信じたい。
良明は身体の底から上がってくる高揚と戦きを抑え込むように深呼吸を一つし、決然と顔を上げる。
「マキのことは、僕がこれから全力で守ります。力不足かもしれないけど、僕は──彼のマスターだから」
堂島は大きく頷き、笑い皺がくっきりと寄るほど目元を緩めた。
「ありがとう。あんたはいいマスターになった」
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3/19(土)
本日、ビュー増加数が同数であったため
『マイ・フェア・マスター』の方を更新させていただきます。
動画を見てくださった方、ありがとうございます!
〈現在レース更新中〉
↓↓以下の作品の動画のPV増加数に応じて、
その日更新する作品を決めさせていただいていますm
◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
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