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第11話
「狭い部屋で、ほんとごめんね」
シャワーから出てきたマキに、良明が部屋を案内して回る。
良明の部屋は2LDKのアパートで、ザ・平凡と言っていいほどどこにでもあるような部屋だった。某北欧系インテリアショップのベッドカバーやカーテンに、実家から持ってきた家具。新しさと古さ、おしゃれとだささが、統一感なく同居している。一言で言えば、生活感が溢れた部屋だ。
「どうしたの、座れば?」
きょろきょろとリビングを見回しているマキに、テレビの前にあるコーヒーテーブルを指し示す。
マキの怪我の血は完全に止まり、今は小さなガーゼを当てているだけだった。先ほどの出来事がぶり返してきて、再び良明の頭に怒りと苦みがせり上がってくる。
あのあと堂島たちと話し合い、しばらくの間、マキを良明の家で預かることに決めた。マキの元マスターがまた部下たちを送ってくるかもしれないし、良明自身、マキが近くにいてくれた方が無駄な心配をせずにすむ。
てっきり本人には断られるかと思ったが、意外にもマキは大人しく従った。
思い違いかもしれないが、首輪をかけてから、マキの良明を見る目が少し変わった気がする。どこがどうとは言えないが、親しみと敬いのようなものを時折、感じるのだ。
良明の言葉に従って、マキは大人しくテーブルに座ったものの、まだ興味深そうに辺りを見回していた。
「どうしたの? なんか気になるものでも?」
「鞭はどこにあるんだろうって、それにシリングとかも。もしかしてプレイルーム──プレイ用の部屋とかがあるの?」
今すぐ相手の口を塞いでやりたい衝動を、良明はかろうじて押し込める。
「あのね、普通の人の家にはそんなものなんてないんだよ。そもそも、シリング? とかが何かも知らないし。何で君はいつもそうやって変な方向に話を進めようとするんだ」
ぶつぶつと文句を言うと、マキがプッと吹き出した。
「冗談だよ。あんたがそうゆう人じゃないってわかっているし。でも言っておくけど、あんたはもう普通の人じゃないんだよ。このSM世界のマスターになった時点でね」
良明はむむむ、と神妙な顔をして腕を組む。
「確かに、今まで生きてきた中でも『僕、マスターです』っていう人、会ったことないな……ということは、僕ってかなり変な奴?」
「うん。かなり変な奴。変の中の変だよ」
「うう……それは……かなり嬉しいなっー!」
拳を握って喜びを噛みしめていると、マキは口元に手をあて忍び笑いをした。
「きっとそんなこと言われて喜ぶのはあんた──マスターだけだ」
ふっと笑いを引っ込めると、マキは真剣な目で良明を見る。
「──ってこれからも呼んで、いいんだよね? これをもらったってことは──」
マキの指が、自らの首にかかっていた黒革の首輪を触る。シャワーの時に一度外したはずなのに、またそうしてつけていると言うことは、よほど外したくなかったのか。良明は、誇らしさと自責の念を同時に感じた。
「もちろんだよ。というかごめん。別に僕は、君に不満があったわけじゃないんだ。こっちの問題というか……いや、もう問題ですらなくなったけど」
マキの首輪をすくうように引き寄せると、息がかかりそうなほど近くで相手の瞳を覗き込んだ。
「君はもう僕のものだから。返すっていっても無理だよ」
マキの頬が赤くなり、濃い睫が伏せられる。天井のライトが雫の滴る頬に、睫の影をつくる。
「……でもそれって、前も言っていたようにフリなんだろう。前のマスターが俺のことを諦めたら、あんたは元の世界に帰っていくんだろう?」
「帰って欲しいの?」
「わからない。でも俺……あんたが嫌がるようなことはしたくないよ。俺は……前も言ったと思うけど、この世界でしか生きていけない。俺にはこの世界──痛みが必要なんだ」
「なぜ、そう思うの……?」
マキはしばらく考えて、力なく首を振った。
「わからない。俺は痛みで感じるタチの人間だ。それは否定しない。でも俺は……」
言葉にできない自分自身に苛ついて、マキは手の爪を噛む。
「無理だ……なんか疲れていて、何も考えられない」
「今日は色々あったしね。もう休もうか」
良明はマキの手を引いて、寝室に案内した。寝室は七畳ほどのフローリングの部屋で、セミダブルのベッドとサイドテーブル、その他どこの寝室にでもあるようなありふれたものが置いてあった。
「今日はここを使ってくれていいから」
「あんたは?」
暗闇の中、マキが振り向く。寝室の窓からは、向かいの通りのランプの光と月光がもれていた。
「僕はソファで寝るよ。何か必要なものがあったら言って」
細々したものを用意して部屋から出ていこうとすると、マキが手を引いて引き留めた。良明の大きめのTシャツを着たマキは子どものように傷つきやすくみえた。襟元から繊細な鎖骨がのぞき、白い裸足の足はシャワーの熱でほんのり赤かった。
マキはもう一歩踏み込むと、良明の前に立つ。
「一緒に寝ないの? 俺たち、主従なんでしょう?」
「そう言われても……」
良明はなるべく相手──というか、自分を刺激しないように軽くマキの肩を叩く。
「さっきも言ったけど、今日は色々あったんだ。ちゃんと休まないといけないし」
「あんたは、俺がいると休めないの?」
「それは……」
良明も疲れているせいか、これ以上説明するのが面倒くさくなった。グイッとマキの手を引くと、相手をベッドに押し込め、二人の身体の上からブランケットをかける。月の光が淡く広がる暗闇の中、傍らのマキにちらりと視線をやる。
「ただし、今日はプレイもシーンも無しだから。ただ寝るだけ。いい?」
不満なのか、満足なのかわからない低い唸り声が響く。
「それは命令?」
「命令。命令中の命令。絶対命令」
念を押すように言うと、マキはぐるりと宙を見やり、頷いた。
「わかった」
その言葉をきっかけにして、良明はさらに相手の身体を引き寄せる。マキの高い体温が胸元を中心にして広がる。
「え? 何?」
とマキが身を硬くした。驚きというより、呆気にとられたという感じだった。
「やっぱり、何かするの?」
「へ? まさか。普通、一緒に寝るんだったらこうするものだろう?」
「え? そうなの? う~ん……」
初めこそマキは居心地悪そうにしていたが、やがて襲ってくる眠気に負けたのか、すうっと身体から力が気の抜けた風船のように抜ける。良明の胸元に顔を埋め、うとうととした声で呟く。
「前も思ったけど、あんたの側にいると、何か眠くなる……」
「マキ君、前も思ったけど、それは褒め言葉では──」
抗議しようとして顔を上げた時、マキは既に眠りの国にいた。すうすうと健やかな寝息をたてている。良明は喉まででかかっていた文句を引っ込め、代わりに相手の髪に顔を埋めた。
「ん……?」
生ぬるい湿った音で、目を覚ました。ヘッドボード側のカーテンから、ほんのり白んだ光りがもれている。
温かい。気持ちいい。
もぞりと身体を動かして、ぬくもりの元である小柄な身体を抱き寄せようと手で探す。しかし、求めたものはいつまでも得られなかった。
「マキ……?」
まだ惰眠を貪っていたい欲望に抗いながら、うっすらと目を開ける。
隣にマキはいなかった。不審に思って顔を上げようとすると、どこかからかすかな声が聞こえてきた。荒い息を押し殺しているような、喉の奥で高く引っかかった声。
「マキ……?」
起きあがろうとしたが、なぜか出来なかった。腰辺りに、何か重たいものが乗っかっている。
視線だけ下にずらして、良明はギョッとした。
Tシャツだけ着たマキが良明の腰に跨がり、手で良明の朝勃ちしたものをゆるく握り込んでいた。
「あ、おはよう」
驚きのあまり口の聞けない良明に、マキは何食わぬ顔で挨拶してくる。ただその息は痛みと欲情で上がり、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
そうしているうちにマキは良明のものを握り込めた手とは反対側の手で、自らの後孔を指で攻め立て始めた。ぐちゅぐちゅと明け方には似合わない卑猥な音が響く。
「マ、マキ……何やって──?」
「何って慣らしてるんだ。もう少しだから、ちょっと待っててっ……」
マキは指を埋めたままの後孔で、ゆるく立ち上がっている良明の屹立を慰撫するようにさすった。
「……っ」
眠気でぼやけていた良明の頭が、今度は違う──強烈な酩酊にさらわれる。明け方、しかも平穏な夜をともに過ごしたあと見るものとしては、今の光景──マキが自分の上に跨がり、腰を上下させている──は、あまりにも刺激が強すぎた。
「マキ……何でこんなことを?」
糾弾するように言ったつもりだったが、良明の声は必要以上に欲情でかすれていた。
「何でって、他のマスターが俺を泊まらせた朝は、いつもこうゆうことしていたから。でなきゃ泊まらせる理由なんてないでしょう?」
ハッと息をはいた瞬間、冷ややかな嘲笑がマキの顔に広がる。昨夜まで見せていた親しみのこもった笑顔とは違う。まったく知らない人を見ているような気分だった。
いや、違うと良明はすぐさま否定する。初めてあった時、彼はよくこんな顔をしていたではないか。まるでマスターを──世の中全てを見下しているような顔を……。
じわじわと沸き上がってきた熱が一気に冷めたのを良明は感じた。代わりに静かで獰猛な波が身体を浚う。
「僕が、そのマスターたちと同じとでもいいたいの?」
声に潜んだ不穏さに気づき、ぴたりとマキは手を止めた。問うように瞬きをしたのち引き攣った笑みを浮かべる。そして前屈みになると、蕩けきった後孔をぴたりと良明のものの先端につける。
「でも好きでしょ? いいよ、あんたは寝てて。もし何かして欲しいことがあれば言ってくれれば、俺、何でもするし──」
「そういうことを言っているんじゃないっ……!」
ひび割れた悲鳴のような声に、自分自身が驚いた。良明はグイッとマキの手を掴み引き寄せると、息がかかりそうなほど近くで吼える。
「君はまだ僕が、他のマスターと同じように君を扱うと思っているのか!?」
マキの大きな目が、言っている意味がわからないと言うように瞬きを繰り返す。
「どうしたの……? 機嫌でも悪いの? 俺、帰ろうか? それか黙っているのが好きなら──」
「そういうことじゃないっ……!」
湧き上がってくる苛立ちから、片手で寝癖のついた髪の毛をかき乱す。
「君はどうして、そうっ──」
残酷なのか。
心を開いたと思った次の瞬間、するりと手の中からすり抜けていってしまう。前もそうだった。まるで野生の動物のように近づいた途端、逃げていってしまう。いつまでも掴まりはしない。
──逃げる……?
もしかしてマキは自分から逃げようとしているのか? 他のマスターのもとを転々としていた時のように、自分のもとからも姿を消すつもりなのか?
すうっと頭が冷え切り、胃の奥で青い怒りの炎が点火した。残酷とも思えるほどの衝動が、せり上がって喉を締め付ける。
──駄目だ。絶対に、そんなことはさせない。
自分のもとを去るなど、絶対に許さない。
「──マキ」
低く吠えるような声で言うと、ぴくりとマキが反応した。何かを感じ取ったのか、冷笑を浮かべていた顔が恐怖と怯えにとって変わる。ぴっと背筋を伸ばし、背後で手を組む。
「は、はい……マスター」
「マキ、君は自分が何をやろうとしているかわかっている?」
マキはごくりと喉を鳴らしたあと、躊躇いがちに唇を開く。
「俺はただ……マスターを喜ばせようと……」
「他のマスターたちと同じように?」
「それはっ……」
「マキ」
良明は、さらに低く威圧的な声で相手を遮った。
「君が僕をいつ、どうやって喜ばせるかは、全部、マスターである僕が決めることだ。君じゃない」
マキは後悔したように、しかしどこかで安堵したようにわずかに頭を垂れた。
「ごめんなさい……俺、別に、マスターを支配しようとか思ったわけじゃなくて──」
短く息を吸うと、今度は媚びた笑みを浮かべた。瞳に人形のような無機質な光が宿る。
「いいよ。マスターがして欲しいこと何でも命令して。俺を好きに使ってくれていいから──……ッ!」
首輪を後ろから強く引かれ、マキが短い息を呑む。良明はその首もと歯を立てるように顔を近づけ、さらに首輪を引く手に圧をかける。
「じゃあ、僕がこうゆうプレイをしたいって言っても従うの……?」
クッと息苦しそうな息を吸ったあと、マキは天井を仰ぎ、ぎゅっと目を閉じる。
「……マスターが望むなら、何でも……」
従順だが、なげやりな声に良明は目の前が真っ赤になるほどの怒りを覚えた。首輪からバッと手から離し、シーツの上で噎せるマキに向かって冷たく宣言する。
「マキ。君は僕の気分を害した。これは懲罰に値する」
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3/21(月)
本日、『マイ・フェア・マスター』のPV増加数の方が
1ビュー分多かったので、こちらを更新させていただきます。
動画を見てくださった方、ありがとうございます!
〈現在レース更新中〉
↓↓以下の作品の動画のPV増加数に応じて、
その日更新する作品を決めさせていただいていますm
◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
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