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第13話

現れたのは、意外な人物だった。 彼を見たのは、ほとんど初めてだった。正確に言うならば、起きている時の彼を見るのは。 「〝眠り男〟……」 入口をふさぐように立つ巨躯を、まじまじと見つめる。 〝眠り男〟は夢遊病を起こしている時とは違い、落ち着きなく目をキョロキョロさせていた。 「に、〝人形〟と〝王様〟は、いつもそうしていた……」 「え?」 何の話かと聞く前に、〝眠り男〟が辿々しい口調で続ける。 「に、〝人形〟が〝人形〟だった時だ。あの時も、二人はそうやって抱き締め合っていた。ボ、ボク、見たんだ。夜中に、気がついたらここにいて……な、なんでこんなところにいたのかは、自分でもわからないんだけど……よ、夜のことは、いつも記憶になくて……」 自らの病に混乱しているのか、声が徐々に尻つぼみになっていく。 「わかるよ。君の言いたいことは」 そう言うと、相手はパアッと顔を輝かせた。 「ほ、本当? やっぱり〝人形〟は変わったみたいだ。優しくなった。い、いや、違う。昔から〝人形〟は優しかった。み、見ていればわかる。ここで〝王様〟を抱き締めている時、すごく優しそうな顔をしていたから」 無邪気に話す〝眠り男〟を見ていたら、自然と〝王様〟を抱き締める腕の力が弛んでいた。〝王様〟は、まだ眠りから醒める様子はなかった。 「君は……どうやってここまで来たの? 鍵もかかっていただろう?」 「む、昔、〝人形〟が教えてくれたんだ。ひ、人目につかない裏道とか、鍵の場所とか」 「裏道……? 〝人形〟が? 君に?」 「うん。ボクにって言っても、夜の時のボクにね。に、〝人形〟は、夜のボクが病棟の外に出たらどうゆう行動をするか、実験しようとしたんだ。だから、病院内を自由に抜けられる道を教えてくれた。き、きっと、ボクがすぐ忘れてしまうと思ったんだろう。だってボクは夜にあったことは、起きたらすっかり忘れてしまうから。で、でもボクは覚えていた。というよりも、夜のボクが覚えていて、たまにこの裏道を散歩に使っていたんだ」 (あぁ、だからか) 夢遊病を起こしている時の〝眠り男〟が神出鬼没と言われていたのは、そういう理由だったのだ。 「でも、どうして〝人形〟は、そんな道を知っていたんだ?」 「に、〝人形〟は小さい頃からここに住んでいたから、何でも知っているんだ。〝先生〟よりもいっぱい。ボ、ボクは何度か、〝人形〟が 〝先生〟も知らない裏道を使って、ここへ訪ねて行くところを見たことがある。そ、そうゆう日はきまって、〝王様〟が怒って暴れた日だった。〝人形〟はここに来ると、〝王様〟をギュッとしていた。い、今みたいに。そうすると〝王様〟が落ち着くから。ボ、ボクはそんな二人を見ているのが好きだった。だっておとぎ話みたいだったから。孤独な〝王様〟と心を知らない〝人形〟。二人が出会って、恋をする。そ、そして最後には、幸せになるんだ。いつまでもいつまでも。永遠に」 眠り男は夢見心地に言うと、丸い小さな目を私たちに向けた。 「ふ、二人をここから出してあげる。裏道から逃げれば、誰にも気づかれない」 「な……」 耳を疑った。同時に警戒もした。 この病院の者たちは、みんな、何かしらの歪みを隠し持っている。たとえ表面がどんなにまともであったとしても、裏はどうかわからないのだ。 以前は夢遊病を起こしていたから信じられた〝眠り男〟の言葉も、今はどうかわからない。 (──騙されてはいけない) 私の緊張を察したのか、〝眠り男〟はおどおどと目を伏せた。胸の前で組んだ手を、神経質に何度も組み直す。 「ボ、ボクは本当に〝王様〟たちに逃げて欲しいんだ。だってボクのせいだから。〝人形〟が自殺したのは……」 〝眠り男〟は、自らの頭を大きな拳でポカポカと叩き出した。 「ボ、ボ、ボクがいけなかったんだ。あんなことを言ってしまったから。あの時、〝人形〟が〝王様〟を、あの怖い機械にかけなくちゃならなくなった時に……」 「ちょっと待って。あの怖い機械って電気治療のこと? 〝人形〟が〝王様〟にあれをやったのか!?」 「……う、うん。 〝先生〟が命じたんだ。〝人形〟に。逃げ出した罰として、自分の手で〝王様〟をあの怖い機械にかけろって」 〝眠り男〟は、独房の中を見回した。 「今は、あの時とそっくりだ。〝先生〟に捕まったあと、二人も同じようにこの部屋に閉じ込められた。〝人形〟は〝王様〟をギュッと抱き締めながら泣いていた。ここから出たら、自分が〝王様〟をあの怖い機械にかけなくちゃならないから」 〝眠り男〟は、ちらちらと窺うような視線をよこす。 「だからボ、ボク、言っちゃったんだ。眠ってしまえば、幸せになれるって。夢の中でなら、好きな人と永遠に一緒にいられるって。だってボクがそうだから……そ、そしたら次の日、〝人形〟は自殺した。睡眠薬を飲んで。〝王様〟をあの機械にかける直前だった。き、きっと〝人形〟は眠ろうとしたんだ。そうすることで現実の〝王様〟を守って、自分は夢の中で永遠に幸せになろうとしたんだ……」 〝眠り男〟の大きな肩が、がくりと下がる。 「ご、ごめん……ボクがあんなこと言ったから。まさか、こんなことになるなんて……本当に、ごめんなさい……」 子どものような嗚咽をもらす〝眠り男〟に、私は何も言えずにいた。 信じられなかった。頭脳明晰と言われていたあの〝人形〟が、まさかそんなおとぎ話のような話を信じるなんて。 でも、と思い直す。 もしかしたら〝人形〟は、そこまで追いつめられていたのかもしれない。 ──〝王様〟を助けたい。 その気持ちでいっぱいになって、冷静な判断が出来なかったのかもしれない。 わからなくはなかった。 きっと〝人形〟は、そこまで〝王様〟ことを想っていたのだ。しかし、ずっと感情を持たなかった彼にとって、その想いは冷静な判断を見誤らせるまでに激しいものだった。 だからこそ、彼は──自殺した。 それが〝王様〟を一人っきりにしてしまうことだと気づかずに。 私は、狭い房の中を見回した。 今の自分は、どうやらその時の〝人形〟と同じ状況にいるらしい。 ここで〝人形〟は死ぬことを選んだ。 (──では、私は?) 膝上におかれた〝王様〟の顔に目をやった。無心に眠るその姿は、まるで少年のように若く安らかに見えた。 苦しいといっていいほどの愛おしさがこみ上げてくる。 私は、この人を救いたい。守りたい。 〝人形〟がいなくなったあとも、一人、孤独の中で〝人形〟の影を追い続け、その果てにボロボロになったこの男を。 〝人形〟は彼への想いの強さのあまり、その手を離した。 ──でも、私は……。 〝王様〟の手をギュッと握る。 私は、この手を離したりしない。もう二度と〝人形〟──前の自分と同じ過ちは犯さない。 何があっても絶対に。 私はひとつ深呼吸をして、〝眠り男〟を見上げた。 「〝眠り男〟。君に、お願いがあるんだ」 ※ 「そろそろ時間だ」 日が昇りきった頃、〝先生〟が〝笑い犬〟を従えて保護房へやってきた。キイッと重たい扉が開く。 「さぁ、治療室に行こう。今日で君たちは生まれ変わるんだ」 〝先生〟は、房の壁際で身を寄せ合っている私たちを見て手を差し出してきた。私は〝王様〟を抱く手に力を込める。 「嫌だ。〝王様〟は連れていかせない」 「往生際が悪いね。でも王様〟は、もう限界だ。見ればわかるだろう。あまりにも精神をすり減らし過ぎて、肉体まで限界に達している」 〝先生〟が、私の腕の中にいる〝王様〟に目を落とした。 〝王様〟は、いまだ死んだように眠り続けていた。いや、意識を失っていると言った方が近いかもしれない。認めたくはないが、〝先生〟の言っていることは正しいのだろう。 「さぁ、わかったならワガママはよしなさい。もしこれ以上続けるようなら──〝笑い犬〟」 〝先生〟の脇から、忠実な僕が現れた。カツカツと靴の音を響かせ、私たちに近づいてくる。だが、私は〝先生〟を真っ直ぐに睨み付けた。 「〝先生〟っ! あなたは間違っている! こんなの絶対にっ……!」 「おや、まるで僕が研究のためなら何でもするマッド・サイエンティストみたいな言い方だね」 「その通りじゃないか」 「いや、違う。こんなのまだまだだ」 〝先生〟は、心底悔しそう瞼を伏せた。 「昔から、僕はどうしても狂気に徹しきれないところがあった。研究に対する好奇心も情熱も人一倍あるというのに、理性や良心がそれを阻むんだ。道徳、倫理、節制、規律。小さい頃、徹底的に教え込まれたものが、最後には僕を縛る。実を言うとね、僕も〝人形〟に憧れていたうちの一人なんだ。君のその、まっさらなゆえの残酷さと無垢さを愛していた」 〝先生〟が房の中に足を踏み入ると、さっと〝笑い犬〟が道を譲った。 私の前まで来た〝先生〟は、すっと手を差し伸べてくる。 「おいで。もう何の心配もいらない。君は、僕の愛した〝人形〟に戻るんだ」 「い、嫌だっ……!」 差し出された手を振り払う。パシンと、高い音が房の中に反響した。 「……まったく聞き分けのない子だね」 聞いたこともない低く重たい声に、私はハッと顔を上げた。 〝先生〟は先ほどと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。しかし、その目の奥は少しも笑っていなかった。 「君はいつから、こんなに悪い子になってしまったのかな? 仕方がない、〝笑い犬〟。少しお仕置きしてあげなさい」 「はい」 〝笑い犬〟が私の前に来たと思ったら、いきなり頬に平手が飛んできた。衝撃で目が眩む。ぐらりと身体のバランスが崩れ、片腕を床につける。しかし〝王様〟の肩に回した腕だけは、絶対に離しはしなかった。 そんな私を、〝先生〟が哀れみの目で見てくる。 「ごめんね、〝人形〟。僕だって本当は、こんなことしたくないんだよ。でも心を従わせるには、身体に教え込むのが一番だ。〝笑い犬〟、君の好きなようにしていいよ。ただし、やりすぎないようにね」 〝笑い犬〟はこくりと頷くと、私の頭を鷲掴みにした。そして、おもむろに自らのベルトを外し始める。後ろで〝先生〟がやれやれと肩を竦めた。 「まったく、〝笑い犬〟の病気にも困ったものだよね。君を殴って興奮してしまったみたいだ」 「咥えて下さい」 〝笑い犬〟が自らの猛ったものを、目の前に差し出してきた。 「言っておきますけど、噛んだりしたら歯を全部抜きますよ」 〝笑い犬〟なら、本当にやりかねない。屈辱と恐怖で、私は唇を噛んだ。できることなら、今すぐにでも逃げ出してしまいたい。しかし前みたいに感情に動かされ、焦って行動すれば何もかもが台無しになる。 私はギュッと目を閉じて、おずおずと口を進めた。 「……んっ」 ピチャピチャと、水音が耳の中に籠もる。 〝笑い犬〟のモノは、口の中でさらに形を増し、いっぱいになる。ピリピリとアルコールのような苦い味が口内に広がる。 「ん……んんっ!?」 物足りなくなったのか、〝笑い犬〟が私の頭を掴み、激しく出し入れする。喉がえづいて、吐き気がこみ上げてきた。 「〝先生〟! 今すぐ来て下さいっ!」 その時、突然、保護病棟の扉が開いた。入ってきたのは、閉鎖病棟のスタッフの一人だった。 「どうしたんだね?」 「広間で患者たちが暴れているんです! 私たちでは手の施しようがなくて」 〝笑い犬〟が何事かと、自ら身体を離した。〝先生〟は、慌てるスタッフとは対照的に静かな様子で尋ねる。 「全員?」 「はい、全員です。〝眠り男〟が暴れ出したと思ったら、〝さかさま〟もあっちこっち逃げ回るし、〝長老〟は〝長老〟で意味不明なことばかり演説をぶち始めるし……とにかく混乱状態なんです。早く来て下さい」 「わかった。すぐ行くから、先に戻っていてくれ」 〝先生〟はスタッフが出ていくのを見ると、私の方を振り返った。 「一体、これはどうゆうことかな?」 私は荒れ狂う心臓をひた隠しにし、口元を拭いながら肩を竦める。 「さぁ、知りません。私はずっと、ここに閉じこめられていましたから。それは貴方が一番よく知っているでしょう?」 「まったく……僕にそんな口をきくとは。これが反抗期と言うヤツかな……まぁ、いい。〝笑い犬〟」 「はい」 「お仕置きは中断だ。今すぐ外に出て、鍵をかけなさい。僕が戻ってくるまで、二人を見張っておくんだ。決して、外に出してはいけないよ」 そう言い残し、〝先生〟は保護棟から出ていった。コツコツと足音が遠ざかっていく。〝笑い犬〟は命令通り房の外に出ると、鍵を閉め、門番よろしく扉の脇で待機する。 「……〝笑い犬〟」 覗き窓から名前を呼ぶと、扉の前で身じろぎする音がした。 「お願いだ。ここから出して欲しい」 「何を言っているんですか? そんなこと、出来る訳ないでしょう」 ハッと嘲りの声が響く。だが、その声には、隠すことの出来ない期待が滲んでいた。 それが何なのかはすぐにわかった。むしろ最初から、彼はそれを尻尾をふって待っていたに違いない。 私は、できうる限りの低い冷たい声を出す。 「〝笑い犬〟。これは命令だ。お前の主人は、一体誰だ?」 しばし沈黙のあと、恐怖で震えているような、歓喜でうわずっているような声が返ってきた。 「〝人形〟です。私の主人は、誰よりも美しく冷徹な、貴方です」 「じゃぁ、わかるだろう? 自分が何をするべきか」 それ以上何も言わずにいると、ほどなくしてキイッと扉が開いた。扉の前には、〝笑い犬〟が立っていた。その肩はわずかに上下し、頬には赤味が差している。茶色い瞳は普段よりも暗く沈んでいた。 私は〝王様〟から手を離すと、〝笑い犬〟に向かって腕を広げた。 「おいで。私に痛めつけて欲しいなら。それとも、痛めつけたい? どっちでもいいよ。何でも許してあげる。君が私に従うなら」 にこりと微笑むと、〝笑い犬〟はフラフラと近づいてきた。母親を求める子どものように両手を伸ばしてくる。 その指先が届く寸前、私は相手の手首を引くと、もう片方の腕を相手の首に回し、羽交い締めにした。グッと首に回した腕に力を入れる。 「……グッ!」 〝笑い犬〟は驚いた顔をしていた。だが抵抗はしなかった。むしろ息苦しさを楽しむようにかすれた笑い声をたてる。 「い、いいですよ。もっとキツくしてくれて。あぁ、イキそうだ。あとで、あなたにも同じ思いを味わわせてあげます」 〝笑い犬〟のズボンの中身は、再び形を取り戻していた。どうやら、本当に感じているらしい。 私は、彼を哀れに思った。 痛いのは哀しい。 それなのに〝笑い犬〟は、本当に痛みを快楽として感じているらしい。 (……歪んでいる。やっぱりここの人間はみんな……) いや、とふと思い直す。本当にそうなのだろうか。カルテを見た今なら、わかる気がする。 〝笑い犬〟が本当に望んでいるのは、痛みではないはずだ。むしろ逆の──。 「……?」 私の腕が外れたことを不審に思い、〝笑い犬〟が振り返った。私はすかさずそれまで首に回していた腕を離し、代わりに思い切り相手を胸元に寄せた。 「……!?」 〝笑い犬〟は驚き、離れようとしたが、私はさらに引き寄せ、その短い髪に手を這わせた。 「……大丈夫。もう痛いことはないから。ごめんね、いっぱいひどいことをして」 「お、お母さん……?」 〝笑い犬〟は、ガクリと膝から崩れ落ちた。ゆるゆると私を見上げた相手の目には、先ほどまでの情欲はなく、あるのは純粋な恐れと乞いだった。 「お母さんっ……僕を、僕をぶたないでっ……!」 〝笑い犬〟は、自分自身を守るように身体を縮めた。 「お願いだから。僕を、愛して……!」 痛切な叫びとともに、〝笑い犬〟は糸の切れた人形のように意識を失ってしまった。床に倒れ込んだ彼を見下ろしながら、私は確信した。 〝笑い犬〟だって初めから、痛みが悦かった訳ではない。 耐えがたい痛みから逃れるために、わざと痛みを快楽に変えただけなのだ。絶望の中ですがる、たった一つの救いとして。 それを歪んでいると、どうして言えよう。 (もしかしたら、ここにいる者たちも、みんなそうなのかもしれない……) 生きるため、正気でいるために、歪んだ希望(きょうき)にすがらざるをえなかった。 私は目を伏せ、〝笑い犬〟のポケットから鍵を取ると、房の扉を開けた。そして〝王様〟の脇に手を回し、相手の腕を自分の肩にかけて持ち上げる。疲弊しきった人間の身体は、岩のように重かった。だが、〝王様〟の払った犠牲に比べればこれくらいなんてことはない。 「……ごめん、また来るから……」 保護棟を出る前、もう一度 〝笑い犬〟を振り返ってから、私は〝王様〟を抱えて外に出た。 ○●----------------------------------------------------●○ 3/24(木) 本日、調整のために『白い檻』を更新させていただきます。 動画を見てくださった方、いつもありがとうございます! 〈現在レース更新中〉 ↓↓以下の作品の動画のPV増加数に応じて、 その日更新する作品を決めさせていただいていますm ◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL) https://youtu.be/L_ejA7vBPxc ◆『白い檻』(閉鎖病棟BL) https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ ○●----------------------------------------------------●○

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