14 / 16
第14話
〝眠り男〟が教えてくれた裏道は、野バラに覆い尽くされていた。小さく素朴な見た目の花に反して、枝と葉は四方に強靱な触手を伸ばしている。この中でなら、姿を見られずに進むことが出来るだろう。
「もう少しだ、〝王様〟」
私は横にいる〝王様〟に話しかける。
〝王様〟はまだ目を覚まさなかった。瞼はきつく閉じられたまま、ぴくりとも動かない。ただ眠っているだけにしてはおかしかった。
不安はどんどんと大きくなるが、立ち止まっている暇はなかった。いつ 〝先生〟が、私たちが逃げ出したことに気づいて追ってくるかわからない。
(〝眠り男〟たちは、無事だろうか……?)
茂みの間から、閉鎖病棟の屋根をちらりと見る。
明け方、私は〝眠り男〟に頼んで、閉鎖病棟で一騒ぎ起こしてもらった。こうして保護房から出られたのも彼と、彼に従ってくれた他の患者たちのおかげだ。
今のところ、全てが計画通りに進んでいる。
あとは無事に〝王様〟を『外』へ逃がした後、残りの患者を迎えに戻るだけだ。彼らをここに連れてきたのが私ならば、彼らを外の世界に戻すのも私の役目だ。それが今の自分にできる最低限の償いだった。
しばらく歩くと、バラの香りが漂ってきた。この先のバラ園を抜けさえすれば、正門はすぐそこ。
(あと少し。あと少しで『外』だ……!)
逸る気持ちを押さえつつ、一歩一歩を進む。肩に抱えた〝王様〟も、今は軽く感じた。
「やぁ、待ちくたびれたよ」
正門の前につくと、〝先生〟が待っていた。まるで友人と待ち合わせでもしているように、軽く手を上げている。
「なんで、ここに──」
「当たり前じゃないか。君が逃げることくらい初めからわかっていた。何せこのシナリオは、前に〝人形〟が逃げた時とまったく同じだからね。〝眠り男〟が君に協力することも、〝笑い犬〟が寝返ることも、全部、あの時とそっくりそのまま。患者たちの何が困るって、すぐに同じことを反復したがることだ。それでいて本人たちは、まったく初めてやることだと思いこんでいるんだから参るよ」
やれやれと 肩をそびやかした〝先生〟を、私は呆然と見つめた。
「じゃあ……私は〝人形〟と同じことを……?」
「そうだよ。今の状況は一寸たりとも、二ヶ月前と変わらない。ということはだ、結果もおのずとわかるだろう?」
(このままでは捕まる!)
私は急いで〝王様〟の身体を抱え直そうとした。が、トンと背中を押され、驚いて振り返る。
「……お前だけで逃げろ」
後ろには〝王様〟がいた。片手を額にやり、ふらふらしながらもかろうじて立っていた。
「おや、ようやくお目覚めのようだね?」
〝先生〟が興味深そうに目を細めて〝王様〟を見た。
「どうやら良く効いたみたいだね、当院オリジナルの睡眠薬は。相当いい夢が見られただろう。それこそ、目覚めたくないと思うほどの。たとえば〝人形〟と一緒に『外』で暮らしている夢とかね」
ぶるりと〝王様〟の身体が大きく震える。
「……やっぱり、あんたの仕業なんだな! 鎮静剤を切れやすくしたのも、睡眠薬を混ぜたのも」
射るような〝王様〟の視線をものともせず、〝先生〟は肩をそびやかした。
「まあね。発作を起こした〝王様〟に痛めつけられれば、〝人形〟も失望して諦めると思ったんだ。まぁ、上手くはいかなかったみたいだけど」
〝先生〟が薄笑いを浮かべながら、私たちを交互に見た。
「まったく君たちは、いつも僕の予測の上をいってくれる。だがこれぐらいなら、まだ許容範囲内だ。多少の誤差はあるものの、今のところ君たちは、ほぼ私のシナリオ通りに進んでくれている。そのご褒美として、〝王様〟。君にプレゼントをあげよう。これは、前のシナリオにはなかったものだ」
「プレゼント、だと……?」
〝王様〟が訝しげに眉を寄せた。
その時、正門脇の茂みがガサリと揺れ、中から小柄な人影が現れた。
〝王様〟は驚きのあまり、ぐらりとふらつき、近くのパーゴラに背から倒れ込んだ。茂みから出てきた少女を凝視する。
「樒!? どうして、ここにお前がっ……!」
樒はいつもの黒いセーラー服ではなく、真っ白なワンピースを着ていた。生成 の布から薄い胸元や、傷だらけの両手足がのぞいている。
「お兄様……やっと会えた」
樒が、懐かしそうに両手を広げた。一歩、一歩、〝王様〟に近づいていく。
よく似た黒い瞳同士が見つめ合うこと数秒。
「ずっと探していましたわ、お兄様。あの時──あの事件から、ずっと」
「言うなっ!」
〝王様〟は何も聞きたくない、見たくないというように頭を抱えた。
「……クソッ! まさかお前がここにいるなんてっ……!」
一心不乱に首を振る〝王様〟の目は血走り、瞳孔も拡散していた。まるで何千キロも走ったかのように呼吸は乱れ、肩がぶるぶると痙攣している。
——発作の徴候だ。
このままではまずい、と思った私は相手に駆け寄ろうとした。しかし寸前のところで、本人に払われてしまう。
「俺はいいっ……! お前は、早く逃げろ! 」
「嫌だっ! 一緒に──」
「それは無理だよ」
〝先生〟が、のんびりとした調子で言った。
「〝王様〟は逃げられない。彼女──樒がここにいる限り。自分の一族を殺してまで助けた妹を、置いていくことは出来ないから」
困惑の表情を浮かべる私に、 〝先生〟は微笑みかける。
「前にも言っただろう。ある地方の旧家の者たちが次々と惨殺され、屋敷に火が放たれた事件を。その事件の犯人こそ、ここにいる〝王様〟──殺された一家の長男なんだ。そして樒は、彼の血のつながった実の妹だ」
〝先生〟が樒を手で示す。
「彼女──樒はね、〝王様〟が収容されて少し経った頃、僕の元を訪ねてきたんだ。お兄様に一目会いたいと言ってね。僕は姿を現さない事を条件に、彼女を自分の養女と言って、ここに通ってくることを許可した」
「な、何のために、そんなこと……?」
「もちろん、〝王様〟のことを色々と教えてもらうためだ。なぜあんな事件を起こしたのか、いつから発作を起こすようになったのか、とかね。警察の事情聴取では、納得出来る答えはどうしても得られなくて。樒の話してくれた話は、実に興味深いものだったよ。特に、〝王様〟の家に伝わるおぞましい風習のくだりは」
「やめろっ、やめろっ……! それ以上、言うなっ!」
〝王様〟は、駄々を込める子どものようにぶんぶんと首を振った。
「言わないよ。私からはね。この先は、当事者である樒本人に話してもらおう」
「はい、〝先生〟」
樒が、まるで舞台に立つ女優のように優雅に一歩、前に出た。信じられないものを見るかのように〝王様〟は自分の妹を見上げる。
「やめろっ、樒! やめるんだっ! 何をしようとしているのかわかっているのか!?」
「やめないわ。知ってもらうのよ、〝人形〟さんに。私たちのことを」
ちらりと私の方を見た樒を〝王様〟は止めようとしたが、再び発作の波が襲ってきたのか、その場で膝をつき、頭を抱えだした。低い唸り声が噛みしめた口元からもれる。
早く逃げなければ。そう思いながらも、私は物語を読みあげるように淡々と語られる樒の話に引き込まれずにはいられなかった。
「私たち兄妹は、とある山間の村で生まれた。村は、住人以外の人間は滅多に訪れることのない辺境の地で、戦前の古い風習が多く残っていた。特に、私たちの家は、その昔、中央の内乱で落ちのびた高貴な血筋の末裔ということで、村人から深く崇拝されていた。家の者たちも、自らの〝血〟にひとかたならぬ矜恃を持っていて、その〝血〟を守るため、自らの家の者としか婚姻しなかった」
「待って、そんなことをすれば──」
「えぇ、〝人形〟さんの言う通り。私たちの家には、障害を持って生まれる子どもの割合が異常に多かった。知能の遅れた者、言語を解さない者、精神に異常がある者。でも同時に、何もかもが完璧な子供が生まれる確率も多かった。容貌は美しく、頭脳は明晰。身体も鋭敏で洗練されており、あらゆる方面での才能に恵まれている。私たちの家では前者を『醜い者』と呼び、後者を『美しい者』と呼んでいた。一族と村は『美しい者』たちを筆頭にして長い間、管理され、繁栄し、そこで『醜い者』たちは小間使いとして一生、一族のために働かされていた」
樒の顔に誇らしげな笑みが浮かぶ。
「私たち兄妹は、『美しい者』として生まれた。当時、一族は長きに渡った近親婚の果てで、虚弱な子どもしか生まれてこなくなっていた。そんな中、久しぶりに生まれた完璧な子どもとして、私たちは祝福された。だけれど──」
雨雲がかかったかのように、樒の顔に濃い影がさす。
「だんだんと、お兄様は変わっていった。あんなに聡明で優しかったお兄様が、ある時からひどく暴れるようになったの。一族の医者は初め、少年期と青年期によくある癇癪だと言っていた。でも成長するにつれて、お兄様のそれは酷くなっていった。ささいなことで突如暴れだしては、家の者たちを傷つける。とうとう一族の者たちも限界を迎え、お兄様を地下の土牢に閉じ込めた。彼らは言ったわ。『結局、あいつも欠陥品だった』って……」
樒はぶるりと震え、自分の身体を両腕で抱き締めた。
「なぜお兄様が急に変ってしまったのか、私にはわからなかった。一族の中には、同じような精神障害をもって生まれてくる者もある程度はいた。お兄様も結局はそれだったのだろうと、皆は言ったわ。でも、私は納得出来なかった。だって昔のお兄様は、こんなんじゃなかったから。そして私はある日、聞いてしまったの。夜、牢の中で叫ぶお兄様の声を。『あいつらは、何も悪いことはしていないのに!』。一体、何を意味しているのか、その時の私にはわからなかった。ただお兄様が可哀相可哀相で、何とか牢から出してあげたかった。そんな私に両親はある提案を持ちかけてきた。もし私がお兄様を自分の夫とすれば、牢から出してあげられると」
私の表情に浮かぶ驚愕を見て取ったのか、樒は満足気に目を細めた。
「私とお兄様はね、兄妹であると同時に夫婦だったの。私は両親の提案をすぐさま了承した。その頃、私は次期女当主として、婚約相手を一族の中から探さないといけなかった。でもまだ幼かった私は、異性に興味を持つことが出来なかった。でも、お兄様ならいいと思った。ずっと一緒に育ったし、お兄様はいつだって私に優しくしてくれたから。だけど、お兄様は最後の最後まで抵抗していた。でも一族にとって、彼の意志はもはや、あってないようなもの。話はトントン拍子に進んでいき、一ヶ月後には私たちの婚姻の儀式が行われていた。そしてその日の晩、私たちは次の義務をせかされた」
「義務……?」
「えぇ。私たちは、かつて完璧な兄妹として、一族の者たちから祝福を受けた。そんな二人の子どもなら、必ず『美しい者』に違いない。彼、もしくは彼女は必ず、この斜陽を迎え始めた家を再興してくれるに違いない。そんな大人たちの考えのもと、私たちは心身ともに結ばれることを強要された。私はよくわからずお母様の言うことだけに従っていた。お兄様は……『こんなのは間違っている』と何度も私を説得しようとしていたけれど、最後には……一族の大人たちに無理矢理、薬を飲まされて……私達は結ばれた」
樒はバラの茂みの元で頭を抱え、発作と闘う兄を穏やかな目で見つめた。
「もしかしたら、私はあの時が一番幸せだったのかもしれない。大好きなお兄様と、ひとつになれて。でも何ヶ月、何年経っても、私たちの間に子供は出来なかった。それどこか、十五になっても私には生理すらきていなかったし、身体だってこの通り、未発達のままだった」
樒はワンピースの胸元を広げてみせた。そこには、少年のような平坦な乳房があった。
「何かがおかしい。ようやく気づいた私は、色々と調べてみたわ。そして、とうとう知ってしまったの。自分の家で行われていたことを。……〝人形〟さんは、以前、私が言ったことを覚えている?」
樒の手が、そばにあるバラの花に触れ、ポキリと茎を折った。ひやりとしたものが、私の背中を這い上がる。
「……もしかして、間引き……?」
○●----------------------------------------------------●○
3/25(金)
本日、『白い檻』のPV増加数の方が
2ビュー分多かったので、こちらを更新させていただきます。
動画を見てくださった方、ありがとうございます!
〈現在レース更新中〉
↓↓以下の作品の動画のPV増加数に応じて、
その日更新する作品を決めさせていただいていますm
◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
○●----------------------------------------------------●○
ともだちにシェアしよう!