15 / 16
第15話
「……もしかして、間引き……?」
「正解」
樒は、教え子を誉めるような大きな笑顔を浮かべる。
「バラというのはね、植物の中でも一、二位を争うくらい病気や害虫に弱い種。長年、人の手によって改良され、近親交配が繰り返されてきた結果ね。だからこそバラは、人の手で徹底的に管理してやらなくちゃいけない。弱い枝や蕾や花は、早々に切り捨て、強く美しいものだけを残す」
樒は、茎先に小さくついた蕾を手でむしり取った。滲んだ血が、その細い指の間から伝い落ちる。
「同じことが、私の家でも行われていたの。考えてみれば、おかしなことはたくさんあった。いつの間にか見かけなくなる赤ん坊。異様なまでに綺麗な庭のバラ。ふと、小さかった頃の記憶が甦ってきた。あれはお兄様と二人、大人たちに黙って、夜の屋敷を冒険した時だった。数人の大人たちが、白い包みを庭に埋めていたのを見てしまったの。『あれは何?』と聞くと、お兄様は青白い顔をして、逃げるように私を部屋に連れ返した。考えてみれば、それからよ。お兄様が、発作を起こし始めたのは。たぶんお兄様は、その時に知ってしまったのね。自分の家で行われている忌まわしい因習を。四肢がない者、皮膚が爛れている者、頭部が異常に大きいもの。あるものがなく、ないものがある赤ん坊。彼らは、生まれてすぐ淘汰された。他の花を咲かせるために摘まれる蕾のように。そして、お兄様はその事実に神経が耐えきれず、狂ってしまった。『あいつらは、何も悪いことはしていないのに』。ようやく私は、お兄様が言っていた言葉の意味を理解した。ただ身体が欠け、崩れていただけで、淘汰された私の兄弟姉妹たち。彼らは何もしていない。していないのに命を奪われた。一方で、美しく完璧に生まれついたゆえに、もてはやされかしずかれた私たち。でも、でもね……」
樒はバラを拳で握りつぶし、顔を上げた。その頬は、涙に濡れていた。
「私も、彼らと同じだったっ……!」
悲鳴に近い叫び声が、空気に木霊する。樒は自らの腹部を両手でぐっと握り締めた。
「私には子どもが出来ない! 当然よ! だって私は女じゃなかったんですもの! でも、男でもなかった。私には生まれつき、子宮がごっそり抜け落ちていたの!」
一陣の風が吹き、樒の周りのバラたちが母親を守るかのように一斉に揺れる。
「こうゆうのを、半陰陽と言うんですってね。〝先生〟が教えてくれたわ。結局のところ、私も間引きされた兄弟たちと同じ、欠陥品だったという訳。違うのは、私の欠落が目には見えないところにあって、気づかれなかったというだけのこと。でもね、私は思うの。あの家に欠けていない人間なんて一人もいないって。輝くほどの美貌と、怜悧な頭脳を持っていた『美しい者』たちも、見えないところで大事なものがごっそりと欠けていた。それは心よ! 彼らは長きに渡る純血主義の中で、心をどこかに置いてきてしまったの!」
樒は、次から次へと流れてくる涙を手の甲で拭った。
「自分の体のことを知った時、これは神様からの罰なんだって思った。これ以上血を濃くしてはならないという。でも、それだけじゃ駄目だと思った。こんなおぞましい血は、根絶やしにしなくてはならない。だから私は家の者を殺して、家に火を放ったの。綺麗だったわ。赤々と家を飲み込む炎は、まるで大輪の花のようだった。一族の者たちが間引いて間引いて、最後にようやく咲かせた華こそが、この炎なんだって思った。この狂気の華とともに、私たちは終わるんだって。その時ふと、思った。お兄様だけは助けなくちゃって。だって、お兄様は、この家で唯一まともな人だったから。あの凶暴性も、殺された兄弟たちを思い神経が耐えきれなくなった結果だった訳だし。私は急いで土牢に行って、お兄様を解放した。お兄様は驚いていらっしゃったわ。私のしたことを見て。そして、逃げろと言ってくれた。ここは俺にまかせておけと。私は何が何だかわからないまま、お兄様の言葉に従った。その時の私は何かをまともに考えられる状態ではなかった。それから何日もかけて山を下り、麓の町まで降りた時、ようやく知ったの。お兄様が放火殺人の容疑で捕まったことを。すぐに私は刑務所を訪ねたわ。でもそこにお兄様はいなかった。それからあらゆるところを調べて調べて、ようやくここに辿り着いた」
煉瓦作りの閉鎖病棟をちらりと見たあと、樒は一歩ずつ〝王様〟に近づいて行った。地面に落ちたバラの花が、樒の足の下で音をたて、甘く熟れた芳香が広がる。
「ごめんなさい……お兄様……私のせいでこんなことに……」
樒は〝王様〟の足元に膝をつき、相手の頬に手を添わせた。顔を上げた〝王様〟は、発作を必死に押しとどめるかのようにぶるぶると首を振る。
「……ち、違う、お前のせいじゃない。お前がやらなければ、いつか俺がやっていたことだ」
「お兄様……」
次の瞬間、涙に濡れていた樒の顔が一石を投じた湖面のように歪んだ。あははは、と引き攣った高笑いが虚空に響く。
「お兄様、あなたって人は、どこまでお優しいの! 私が本当は、何のためにここに通っていたのか、知っていらっしゃって?」
「樒……? 何を──」
〝王様〟は、まるで知らない人間を見るように自らの妹を見つめた。
「やっぱり気づいていなかったのね。お兄様。私がここに来たのは、あなたの人質になるためよ。私から〝先生〟に提案したの。お兄様をここに留める最後の手段として使って下さいと。私がここにいると知れば、あなたは絶対に私を置いて逃げることはできないから。その代わり、私は〝先生〟にあるお願いをした。実験が何もかも終ったあとは、あなたを私にくださいと」
愕然とする〝王様〟を見て、樒は口元に手をあて、ふふふと含み笑う。
「どうやらお兄様でも、私の狂気には気がつかなかったみたいね」
樒は傷だらけの両腕を〝王様〟に向けて広げ、甲高い笑い声を上げた。それは、発作を起こした時の〝王様〟とよく似た笑い方だった。
「愛しているわ、お兄様。離れてみて、強く確信した。家で行われていたことを知った時、火を付けてしまうくらいに私が絶望したのは、あなたと違って他の兄弟たちの末路に怒りを覚えたからじゃない。あのおぞましい因習のせいで、私がお兄様の子どもを産めない身体になってしまったことが許せなかったからよ!」
樒は傷だらけの手を、そっと兄の頬に這わせた。
「ねぇ、お兄様。この中で誰が一番狂っていると思う? 患者たち? 〝先生〟? いえ、違う。私よ。『外』にいる私こそが、一番狂っていたの。だって私は、こんなにもお兄様を愛しているんですものっ! 血のつながった兄妹なのにっ……!」
「……ッ!」
頬に爪をたてられ、〝王様〟は大きく体を震わせた。今の〝王様〟にとってはどんな刺激さえ発作を起す導火線になりかねない。それを知ってか知らずか、樒はさらに爪を立て、少女とは思えない妖しい微笑みを浮かべた。
「お兄様、私にあなたを頂戴? それが叶わないのなら、あなたの子どもを頂戴? 大丈夫。子宮なんて、そこら辺の女から奪えばいい。大切にするわ。きっと私たちの子どもは、これ以上ないっていうくらい醜くて歪んでいる。でも私は可愛がるわ。絶対に、間引いたりなんかしない。檻に閉じこめて、私だけしか見ないようにして、骨が蕩けるくらい可愛がってあげる。誰も私たちの邪魔はさせないわ。もしそんなことしたら、〝人形〟のようにしてあげるだけ」
ぴくりと〝王様〟が反応した。大きく見開かれた黒い瞳に、微笑む樒の顔がうつる。
「樒……お前、もしかして……」
「やっと気づいた? 〝人形〟は自殺などしていないわ。私が殺したの。保管室の劇薬庫から適当な薬を持ってきて、お兄様からだと言って渡した。『この薬は仮死性があるから、あなたが眠りについている間に、お兄様が必ず迎えに来てくれる』って言ってね。ほら、シェイクスピアの劇にもそんなシーンがあるでしょう? 結局、人を騙すなんて簡単なのよ。『ロミオとジュリエット』の神父様しかり、『ハムレット』のホレイショーしかり、親切で無害そうなふりをしていれば、相手に毒薬を飲ませて悲劇にすることだってできる。案の定、〝人形〟はコロッと騙されたわ。私が〝王様〟の妹だと聞いた瞬間、完全に心を許していたから。まさに恋は盲目ね。『ヴェニスの商人』でも言っているわ」
くすくすと笑う樒を、〝王様〟は呆然と見上げた。二人の顔は、息がかかりそうなほど近かった。
「樒、お前が、本当に? あいつを……」
「そうよ。だって〝人形〟が自殺をする訳ないじゃない? あなたを一人、おいて。そうでしょう?」
小さく首を傾げた樒を見て、〝王様〟の口元からグゥと低い呻きがもれる。
「まさか……そんな……う、うあああぁぁぁああ……!」
〝王様〟は、頭の中で蠢く虫を追い払うかのように激しく髪を掻きむしり始めた。ぶるぶるとその身体は痙攣し、ハッハッと獣のような短い息がもれる。視線が定まらない黒い瞳には、あの夜、バラ園で見た時と同じ狂気の炎が燃えていた。
「来ないで、〝人形〟さん」
駆け寄ろうとした私の前で、樒は〝王様〟の身体を後ろから抱き締めた。細いその腕のどこにそんな力があるのかと思うほど、樒は暴れようとする〝王様〟の身体を抑え込んでいた。
「ねぇ〝人形〟さん。お兄様はもう駄目よ。完全に怒りに飲み込まれてしまったわ。もうあなたのこともわからないでしょう。だからお願い。お兄様を私に頂戴?」
にっこり笑う樒の黒い瞳の中には、水に浮かんだ油のように歪んだ光がゆらゆらと揺れていた。その後ろで 〝先生〟が満足そうにことの成り行きを観察している。
私は自分の中で、何かがぷつりと切れたように感じた。
「こんなの、異常だっ……! 狂っているっ! ここにいる者みんなっ……! どうかしてるっ! どうして、どうしてこんな……」
返ってきたのは、冷静な〝先生〟の声だった。
「そうだね、異常だ。でも狂気は、人の魂に最も近い、純粋な感情だと思う。人は狂気を知って初めて、自らの本当の心に気づく。君だってそうだろう。〝王様〟に狂おしいほど執着したことで、感情を知ることが出来た。樒も〝王様〟も同じだ。何かを強く純粋に愛したからこそ、ここまで狂ってしまったんだ」
〝先生〟は、〝王様〟を抱きながら幸せそうな顔をしている樒に目をやった。
「彼女はやるよ。狂ってしまった〝王様〟を種馬にし、他の女の腹をかりて、彼の子どもを産ませるだろう。そして兄の血を守るため、自分の家がしたことと同じことを繰り返す。そこで彼女は、兄の子供たちにかしずかれながら、〝女王〟として君臨するだろう」
〝先生〟は苦笑しながら、私に向き直った。
「樒から〝王様〟を救いたい? 僕なら、出来るよ。樒の記憶を操作して、彼女が『外』でずっと暮らしていたかのように細工することも出来る。ただし、それには一つ、条件がある」
〝先生〟はゆったりとした足取りで、私の前にやってきた。白衣が後ろから差す日の光を受けて、冴え冴えと輝く。
「それは、君の手で〝王様〟を電気治療にかけることだ。もう準備は済ませてある。どうせこのまましておいても、いずれ〝王様〟は自らのうちにある狂気に飲まれて終わるだけだ。なら君が、真っ新な平穏をプレゼントしてあげなさい。それが出来たら、君の記憶だけは消さないでいてあげる。そうすれば、君は一生、ここで〝王様〟の面倒を見続けていられる。彼との思い出とともに」
〝 先生〟は、自由はこの中にこそあるというように、手を差し出してきた。
「さぁ、〝人形〟。僕の手を取るんだ。〝王様〟の側に、ずっといたいなら」
私は差し出された手を、ジッと見つめた。〝先生〟の言葉が、頭の中で木霊する。
きっと〝人形〟は、この手の中に何の希望を見いだせなかった。だから、この閉鎖病棟から逃げ出そうとしたのだ。
そして、捕まった。最後には樒に騙され、〝王様〟とも永遠に離ればなれになってしまった。
(また、そんなことを繰り返すのか……?)
いや、と首を振る。
私は〝人形〟と同じにはならない。あの保護房で、誓ったではないか。
絶対に〝王様〟を一人にはしない。彼の傍にいると。
(なら──)
〝王様〟に目をやる。彼は樒に抱き締められ、低い唸り声を上げていた。彼の爪が食い込んだ樒の腕は、血で真っ赤に染まっていた。
「ごめん、〝王様〟……」
小さく呟くと、私は〝先生〟を見上げた。
逆光を背に微笑む〝先生〟は、不思議と神々しさすら感じられた。
この人の差し出す手の中には、きっと光があるはずだ。
それがたとえ、絶望の果てに見る歪んだ光であったとしても、それさえあれば人は生きていける。
「ごめん……〝王様〟……」
何度も繰り返しながら、私はゆっくりと手を伸ばした。 〝先生〟はその手を取ると、私の額に優しくキスをしてきた。
「いい子だね。よく出来ました」
私の目から涙が一筋、こぼれ落ちた。
○●----------------------------------------------------●○
3/26(土)
本日、『白い檻』のPV増加数の方が
1ビュー分多かったので、こちらを更新させていただきます。
動画を見てくださった方、ありがとうございます!
〈現在レース更新中〉
↓↓以下の作品の動画のPV増加数に応じて、
その日更新する作品を決めさせていただいていますm
◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
○●----------------------------------------------------●○
ともだちにシェアしよう!