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<二人で歩む未来>

 何か話し声がする――、と不意に気づくのと同時に目が覚めた。 「……っ、あお! 大丈夫!?」  見慣れない天井をぼんやりと見つめながら、自分の身に何が起きたのか記憶の糸を手繰り寄せようとしたところで、ガタンっと派手な音を立ててこちらを覗き込んでくる顔が一つ。 「……茜ちゃん?」 「そうだよ、茜だよ! よかった~、無事でほんとよかった~!!」  すでに結婚し、実家近くのマンションに幼馴染と一緒に暮らしているはずの双子の姉がなぜ、とゆっくりと身を起こし辺りに目をやれば、茜の旦那である幼馴染はもちろん、両親の姿までもがそこにはあった。 「具合はどう? 気持ち悪いとか、ない?」  心配そうに尋ねる母親に大丈夫と答えを返したところで、ようやく頭が回転し始め、自分の身に起きた出来事に思い当たる。 「大丈夫! あおを襲った愚か者はもう捕まってるから!」  あんなやつらのブツなどちょん切ってしまえ! と物騒な言葉を吐く茜に、少しは口を慎め、と父親が呆れたように諭すのは、懐かしいいつもの光景だ。 「ひとまず落ち着いたら警察の方も話が聞きたいということだが――とりあえず碧は必要最低限の範囲で、あとは塁くんの方で対応してくれるそうだ」  さらりとした説明に、そうか、と納得しかけたが、父親の口から出る耳慣れない名前に気づき、碧はピタリと全ての動きを止めた。 「あ、塁くんなら、今、ぼくたちが泊まるところを手配してくれてるんだ」  だからそろそろ戻ってくると思うよ、と茜の旦那の幼馴染が言い、 「そうそう、碧は今夜一晩だけ病院で様子見ましょう、って宮鳥医師(せんせい)が」  検査結果に異常はないから明日には帰れるはず、と母親が告げ、 「あおには塁さんが今夜は付き添ってくれるっていうし――あおも(パートナー)と一緒にいる方が安心でしょ」  と、今度は至極当然のことのように茜が断言した。  まったく予想していなかった展開に呆然としていると、茜がぺしっと優しく碧の両頬を両手で包み込む。 「あお、よかったね」  そう言って笑う茜の瞳には涙が浮かんでいた。 「あおがいい(ひと)と巡り会えて、ほんとによかった」  そうしてそのままぎゅうっと茜に抱きしめられる。  碧のオメガとしての身体的な部分も精神的な部分も、実は両親以上に一番気にかけていてくれたのは他でもない双子の姉である茜だ。  そんな茜の言葉に、たまらず碧もぎゅうっと抱きしめ返す。 「……報告、すぐにできなくて、ごめんね」 「いいよ、いいんだよ、そんなこと――あおが幸せなら、いい」  そんな茜の言葉に同意するように、父親も母親も、ついでに茜の旦那である幼馴染まで、うんうん、と笑顔で頷いてみせる。  だから碧も笑顔で答える。 「すごく、すごく幸せで――塁と番になれて、すごく幸せなんだ」  ややしばらくすると塁が姿を見せ、あれやこれやと説明をし、それではまた明日、と丁寧に挨拶をしながら碧の家族たちを見送る。  最後の最後に父親が「よろしくお願いします」と頭を下げ、塁もまたしっかりと頭を下げて応える様子を、碧は不思議な心持ちで見守った。 「――塁」  さきほどまでの賑やかさが嘘のように静まり返った病室に、碧の囁きにも似た声が響く。 「いろいろありがとう」  すぐさまその声に反応しベッドの傍へとやって来た塁に、碧は感謝を告げる。 「体調は?」 「大丈夫――大丈夫なのは、塁のおかげだって聞いたよ」  そう言ってもう一度感謝を告げれば、塁は碧の頬に優しく手を伸ばす。 「無事でよかった」  そうしてそっと抱き寄せられ塁の匂いに包まれて、ようやく碧は言葉にできないほどの安心感に全身の力を抜いた。茜が言っていた通り、番の効果は絶大だ。 「父さんたちにまだ言えてなかったのに……こんな形になっちゃって、ごめん」 「謝ることじゃないだろ――まぁ、こういうのはまったく想像してなかったけどな」  さすがに緊張した、とこぼす塁に碧が思わず噴き出せば、笑うなよ、とぎゅうぎゅうに抱きしめられる。 「あぁ、それから、碧が大学卒業したらすぐ結婚します、って伝えてあるから」 「――えっ!?」 「してくれないの?」 「しっ、……ます、けど」  結婚!? と目を白黒させつつ、そうか、そうなるってことだよね、と恐らくは無意識に自分のうなじに手を当てる碧を、塁は微笑ましく見守る。 「……塁のおうちにもご挨拶に行かなきゃだね」 「それはもう少し体調が落ち着いてからな」  そんな未来の話を二人で語り合えることが、今はただただ嬉しい。 「――そういえば、棗さんは……?」  自分や家族のことで頭がいっぱいいっぱいになっていた碧だったが、ふと一緒にいたはずの棗の安否が気にかかった。 「命に別状はないが――しばらくは入院になるらしい」  別室でまだ治療を受けていると聞き、碧は小さくため息をこぼす。  狙われたのは棗の方であって、碧よりももっと直接被害が及んでいるであろうことは想像に難くない。 「あいつのことだから、大丈夫だろ」 「……うん」  どうか大丈夫であってほしい、と祈りながら、碧はゆっくりと瞳を閉じる。  今日一日であまりにも色々なことがありすぎた。あまりにもいろいろ色々なことがありすぎたせいで、身も心も疲労のピークに達しているのだろう。  この腕の中は安心できる場所、と思えるからこそ余計に碧の身体から力が抜けていく。 「眠い?」 「……うん」 「ゆっくり休みな――ずっとそばにいるから」 「……うん」 「おやすみ」  その言葉に、おやすみなさい、ときちんと返したような気もするけれど、返せなかったような気もする。いずれにせよ、碧がそのまま穏やかな眠りに落ちていったのは確かだ。  翌日、退院手続き中に塁の家族が突如現れ、濱名家と玖珂嶺家のちょっとした両家顔合わせになってしまったり、碧の大学卒業後の予定が今すぐにでも籍を入れればいいという話になってしまったりと予想もしなかった急展開に驚き慌てふためいたりもしたのだが。  けれどそれは、唯一無二の番を得た二人が歩む、幸せな未来の始まりだった。  << 碧と塁編・完 >>

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