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〔佑誠の覚悟・後編〕

 のえると万里英の案内のもと佑誠が連れて来られたのは、よく見知ったいつもの病院だった。聞けば、昨日からまた棗が入院しているのだという。 「お、久しぶりだね」  待ってましたとばかりに出迎えてくれたのは、やはりよく見知った医師の宮鳥だ。すでに何か話がついているのか、のえると万里英の二人は棗の様子を見てくると言い残して早々に去って行ってしまった。 「それじゃあ、まずは検査かな」 「……検査、ですか?」 「そう、いつものやつ」  棗と会う前にはいつも簡易バース検査が行われていたが、これまで特別何か指摘されたことはない。手を出して、といつもの流れで指示され、指先から少量の血液を採取される。  そうして宮鳥は、なぜか一緒に連れて来られた――万里英が「お前も一緒に来た方が話が早い」と半ば強引に拉致したためだ――塁に視線を向けた。 「そういえば玖珂嶺くん、どこまで話していいの?」 「特に隠すようなことはないので全部どうぞ――うちの親も、心配してたので」 「オッケー、それじゃ萩原くんはこっちね」  宮鳥と塁のやりとりを詳しく尋ねる暇もなく今度は佑誠だけが面談室へと促され、勧められるがままに空いた席に腰を下ろす。 「あの……何がなんだか」 「うん、そうだよね、わからないよね」  向かいの席に座った宮鳥は手元のタブレットを操作しつつも顔をこちらに向ける。 「答えたくなかったら答えなくてもいいけど」 「はい」 「もしかして萩原くんのご両親のどちらか、アルファじゃない?」  想定外の質問に、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。 「……どちらも、アルファです」  もっと正確に言えば、両親と兄と妹はアルファで、佑誠だけがベータという家族構成だ。しかし、だからといって何か区別や差別をされたりするようなことは一切なく、むしろ家族仲は良い方で、佑誠は大学進学を機に一人暮らしを始めたが、ほぼ毎日家族の誰かと電話やメールでやりとりをしているくらいである。  とは言え、これまで自分だけがベータであることに全くコンプレックスがなかったかといえばそんなことはない。  たとえば親戚からの「アルファの子なのにな」なんて一言や、ご近所さんからの「あの子だけベータですって」という一言、「お前だけベータなんて残念だな」なんて友人からの一言は、そこに悪意があろうとなかろうと、どんなに家族仲が良かろうと、佑誠の中で小さな棘となって刺さったまま未だに残り続けている。  確かに、自分がベータであることにコンプレックスを感じていなかったわけではない。が、それでも気にしすぎることなく、自分は自分らしく上手くやってきたつもりだった。  棗と出逢い、そして彼の力になりたいと、彼を守れるようになりたいと、そう願うようになるまでは――。 「ご両親ともか……、なるほどね」 「……それが何か関係あるんですか?」  うーんとね、と宮鳥は少し間延びした返事をした後、手元のタブレットをこちらへと向ける。 「アルファとオメガの定義づけは、バース性ホルモンの値だってことは知ってるよね」  画面に映し出された学校の教科書なんかにも載っている見慣れた図には、アルファ値、オメガ値というポップな文字が躍る。  バース性ホルモンのアルファ値が一定以上あればアルファ、オメガ値が一定以上あればオメガ――それは基本中の基本だ。 「それじゃ、ベータの定義づけは?」 「……え?」 「ベータの定義づけって、あまり考えたことないでしょう」  学校で習うのはアルファ値とオメガ値の二種類であって、言われてみればベータの定義というものに関して見聞きした記憶はない。 「アルファでもオメガでもない場合がベータ――と一般的には言われているんだけど」  そう言って、宮鳥は再びタブレットを操作し始める。 「正確には、アルファ値あるいはオメガ値のいずれも一定量に達していなければベータ」  ベータ値なんてものはこの世に存在しないからね、と言う宮鳥は、バース検査って実は単純なものなのだと笑う。 「リトマス試験紙を想像したらいい」  赤になれば酸性、青になればアルカリ性といった具合に――実際には試験紙ではなくバース検査用の試験液だが――その色の変化でアルファかオメガかの診断確定がなされている。  つまり、具体的な数値ではないということだ。 「だからアルファ値もオメガ値も『一定量』って曖昧な表現なんだよね」  もちろん医学的には具体的な数値が示されているが、結局は試験液での検査で十分なため、その数値を測定することは何か病気等が見つからない限りほとんどないらしい。ましてやベータと診断確定されていればなおさらだ。 「だから、ベータであっても単に一定量に達してないってだけの場合もあるんだよね」  そう言って次に宮鳥がタブレットで見せてくれたのは、時系列に沿ってまとめられた表とグラフだった。 「萩原くんの場合、もともとアルファ値は高めだったんだけどね」  簡易検査と言いながらも少量の血液で数値まで測定できる実はものすごく優秀な検査器具だったのだと、種明かしをするかのように宮鳥はグラフを拡大する。 「最初は棗くんが救急搬送された時で――それで、これがさっきの数値ね」  検査のたびに緩やかに数値は上昇し、そして今日の値は赤いライン――恐らくは一定量の基準ラインだろう――を明らかに超えていた。 「たぶん、今日バース検査したら萩原くんアルファの確定が出ると思うよ」 「……そんなこと、って、あるんですか?」 「ない――けど、条件がそろえば、ありえなくはない」  一般的にバース性ホルモンの値は生涯を通じて大きく変動することはないと言われている。だから、バース検査も一度きりで十分なのだ。 「君が一緒にいたのはさ、アルファを狂わせることができるほどの強いオメガだよ」  棗は言わずもがな基準ラインを大幅に超える、オメガの中でも最上級に属するオメガだ。そんな彼に呼応するかのように、佑誠の中にもともとの素養としてあったアルファの部分が機能し始めた、ということらしい。 「もちろん、一緒にいるからってだけじゃないよ」  そうしたら棗くんの周りの人間はみんなアルファになってしまうだろう、と宮鳥は言う。 「オメガが――棗くんがそう望んでるってのもあるだろうし」  じっとグラフを見つめたまま半ば放心状態の佑誠に、宮鳥は優しく問いかける。 「萩原くん自身も――そう望んでるでしょう?」  結局のところ、アルファにしろオメガにしろベータにしろ基本となるのは信頼関係であり、そして互いの意志だ。 「……ナツさんと、それからご両親も……このこと、知ってるんですか?」 「棗くんにはまだ何も伝えてないよ――でも、ご両親の方は……当事者を呼ぼうか」  そう言って、ちょっと失礼と席を立った宮鳥は内線電話をかけた。そうして、ややしばらくしてノックの音が響くとともに姿を見せたのは、のえると万里英――ではなく、まさかの塁だった。 「……当事者?」 「正確には、玖珂嶺くんのご両親が、だね」 「え? でも、玖珂嶺、ってアルファの家系で……」  そんな佑誠の言葉を塁は鼻で笑う。 「表向きは、な。だけど普通に考えて全員アルファなわけがないだろ」 「え、それじゃあ……」 「うちの親は、オメガとベータだよ」  玖珂嶺家に男性オメガとして生まれた塁の片親は、棗よりも更に強い最上級の中でも最高級なオメガで、フェロモンでアルファを昏倒させるくらい朝飯前だったという。そして大学時代に出逢ったベータの男性と恋に落ち、番い、彼を玖珂嶺に婿入りさせ、塁を含めた二児を授かり現在に至っているとのことだ。 「棗の両親とうちの両親は、大学時代からのつきあいらしいから」  その辺りの事情を知っていたからこそ、のえるも万里英も佑誠がベータであることに頓着しないどころか、むしろなぜ番わないのかと責め立てたのだ。 「だから前に言っただろ――覚悟の問題だって」  再び放心状態に陥った佑誠を前に、塁は不敵な笑みを浮かべた。

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