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〔棗の意地〕
「ったく、いい加減にしろよ」
「うるっさい、万里英さんこそいい加減にしてよ」
「なんだと」
「はいはい、二人とも喧嘩しないの」
一時帰宅した初日の夜以降、幸いにも突発的な発情状態に陥ることはなかった。が、その代わりに睡眠障害を起こしていた棗は両親の帰国後、無理やり病院に引き摺り出され、再び見慣れた病室の住人となっていた。
そして見舞いと称してやって来た両親は、好き勝手に言いたいことを言ってくる。
「あのね、なっちゃん。いくらなんでも今の状態で大学に通うのは無理よ」
「わかってる……、わかってるけど、でも」
どう説得すれば棗を連れて海外に戻ることを諦めてくれるのか、ここ数日何度も話し合っているのだが、互いの意見は平行線を辿るばかり。
「わかってるなら、さっさと番えばいいだろう」
「だ~か~らっ、そんな相手いないんだって!」
番さえいれば体調は安定する、それならばこちらに残っても構わないという短絡的な万里英の思考はわからないでもないが、いくら親でもデリカシーに欠けているし、なにより棗にとってそれはそう簡単な話でもない。
「相手がいないって、そんなわけないだろう」
「いません!」
「それなら聞き方を変えるけど」
そう言って、何もかもを見透かしたかのような真っ直ぐな視線を向けてくる万里英に、棗は自然と身構える。
「番ってほしい相手はいるんだろう」
そんな万里英の問いかけに、思い浮かんだ姿はただ一人――ただ一人いたけれど、棗はぐっと押し黙る。
とても世話になった後輩がいるという話はした。恐らくは、燕もそういった話を両親に伝えているはずだ。だから棗も下手に隠すようなことはしなかったし、当然、彼がベータであるということも付け加えた。
単なる後輩で、友人で、それ以上でも以下でもないのだと、まるで自分に言い聞かせるかのように。
「……そんなの、いるわけない」
ようやく絞り出した棗の答えに、万里英は大げさに溜息を吐き出してみせる。と、病室のドアをノックする音が聞こえた。
「いいか、棗」
はいはーい、と答えるのえるを横目に、いつになく真面目な表情で万里英が言う。
「体は正直なんだよ――心と体は繋がってるからな」
どうぞ、とのえるに促され姿を見せたのは主治医である宮鳥と、そしてつい今しがたその姿を思い浮かべてしまったばかりの佑誠だった。
あの日以来、棗は不自然にならない程度に佑誠を遠ざける努力をしていた。電話には居留守を使うようにしたし、体調を気遣うメッセージには短く簡潔に大丈夫と返した。もう彼の優しさに甘えるつもりはなかったからだ。
それなのに、なぜ、どうして、と言葉にするよりも先に佑誠と目が合い、いつもと変わらない微笑みを向けられたら、だめだった。
泣きたくなんかないのに、目の奥が勝手にじわじわと熱くなってくる。
「ナツさん」
棗のすぐそばにやって来た佑誠に名前を呼ばれたら、もう何も考えられなくなった。
「そんなにひとりでがんばらなくてもいいんです」
そんなふうに優しく告げられたら、すぐそこに両親がいるだとか、宮鳥がいるだとか、そんなことはどうでもよくなって、ただ目の前にいる佑誠だけが棗のすべてになった。
ぼろぼろと零れ落ち始めた棗の涙を、佑誠のてのひらがすくう。そうして抱き寄せられ、佑誠の匂いに包まれてようやく、棗はずっとずっと――それこそ佑誠と離れてからずっと――無意識のうちに全身に張り巡らせていた緊張を解いた。
いつものように背中をゆったりとしたリズムでさすられ、ぽかぽかと体が温かくなってくると、途端に猛烈な眠気に襲われ始める。
呆れたように「この意地っ張りが」とつぶやく万里英の声や、「あとはよろしくね」と告げるのえるの声をどこか遠くに聞きながら、棗は久しぶりに深い眠りへと落ちていった。
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