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<多難の佑誠・前編>

 大勢の学生で賑わう学食でようやく目当ての顔を見つけ、萩原(はぎわら) 佑誠(ゆうせい)はいつものように声をかけようとした。  が、思い止まる。  視線の先にいる高校時代からの友人、碧の纏う雰囲気が、普段とは違うように感じたからだ。具体的に何が違うのかを説明しろと言われると困ってしまうのだが、とにかく何かが違う。それだけはわかる。  しかし、いつまでも躊躇っていたところでどうしようもない。 「おはよ、アオ」  意を決して声をかければ、いつものように柔らかい笑顔であいさつが返ってきた。 「びっくりしたよ。昨日、急に休むって言うから」  佑誠と碧は学科も一緒のため、必修も含めほぼほぼ同じ授業を履修している。唯一違うのはなぜか一年次から所属することになっているゼミくらいかもしれない。  碧の向かいの席に腰を下ろし、バッグからプリントやらノートのコピーやらを取り出し手渡そう、としたところで碧の反応がおかしいことに気づいた。 「……アオ?」 「えっ、あ、いや、うん、ごめん、急に休んで……」 「いや、別に全然いいけど……なに、何かあったの?」  碧の性格上、すすんで授業をサボるというようなことはないはずだ。それならばどこか具合が悪いのかとも思うが、特にそういった様子も見受けられない。 「え、っと、いや、まぁ……うん」 「……なんだその反応は」 「なんて言うか……色々とあって……」  話す気があるのか、ないのか。なんとも煮え切らない友人の態度にこれは問い詰めるしかない、と小さな決心をしたその時だった。 「ここ、いいかな?」  唐突に自分の背後から掛けられた声に驚いて振り返る。そして佑誠は、思わずごくりと固唾を飲み込んだ。  そこにいたのは学内でも有名な美人オメガ、北星(きたほし) (なつめ)。誰がどこからどう見てもオメガだと識別できる、オメガの中でも“最上級”に属するオメガだ。 「……っ、はい、もちろん」  ぽかんと口を開けたまま棗に見惚れる碧より、佑誠の方が先に答えを返した。  ありがとう、と笑顔を向けられ、一瞬舞い上がった佑誠だったが、しかし、棗の目的は自分ではないということにすぐさま気づく。  佑誠の隣に腰を下ろした棗は、ニッコリと微笑みを浮かべたまま碧に話しかけた。 「ずいぶん、可愛がってもらったみたいだね?」 「……え?」 「気づいてないの? すごいマーキングだよ?」  棗その言葉を聞いて、思わず佑誠は碧のことをまじまじを見つめる。そうしてようやく、先ほどから感じていた碧の雰囲気の違いに納得がいった。  碧はオメガではあるが、良くも悪くもベータにしか見えない。それも、オメガ寄りのベータというわけではなくベータど真ん中だ。しかし、言われてみれば今日の碧は、ベータど真ん中ではなくなっている。ちゃんとオメガっぽい雰囲気が、どことなく感じられるのだ。 「……アオ、そうなの?」  一般的な知識として、マーキングはアルファが特定のオメガに残す一種の所有の証と他のアルファへの牽制だと佑誠は理解している。  正直なところベータである佑誠にはそのマーキングとやらは感じ取れないのだが、棗の言葉を信じるとすれば、碧はどこかのアルファと何らかの関わりを持ったということだ。  つまるところ、昨日碧が突然学校を休んだのもそういうことなのかもしれない。  碧がオメガとしての自信を失っていることを知っている佑誠としては、碧にそういう相手ができたというのは喜ばしい限りのはずなのだが――  ふと、隣の棗の存在が気にかかり始めた。  なぜそんなことを棗が知っているのか。そして、知り合いでも何でもないはずの碧にわざわざ近づいてきた理由は何か。  学内でも有名な美人オメガの棗。そんな彼には確か、番候補のアルファがいたはずだ。そちらも棗に負けず劣らず学内で有名な美形“王子様”なアルファで、名前は確か―― 「そういえば、自己紹介してなかったよね」  なんだか嫌な予感がする。いや、もはや嫌な予感しかしない。 「北星 棗って言います――玖珂嶺 塁の、番候補の」  案の定、碧の顔からサッと血の気が引いていくのを見て、聞かずとも相手が誰なのかを佑誠は悟った。よりにもよって、なんでそんな厄介なアルファと関係を持ったのか、と佑誠は説教をしてやりたい気分だったが、時すでに遅し、というやつである。  もともと社交的な佑誠とは対照的に、碧は内向的な性格からか噂話の類には疎いため、棗はもちろんのこと、お相手である玖珂嶺 塁のことを知らなかった可能性は十分にあるのだが、それにしても、である。助け舟を出してやろうにも、学内でも有名なカップルの間に割り入ったとなれば、どうにも分が悪すぎる。 「学食(ここ)に入ってすぐわかったよ、君だ、って」  棗は笑顔で話をしているが、逆にその笑顔が怖い。 「すっごいルイのニオイがするし……、ほんと、うらやましいくらい」  碧にはオメガとしての幸せをつかんでもらいたい、と佑誠は常々そう願っている。が、今のこの状況はそんな願いとは真逆の、最悪の事態と言っていいだろう。   「アオイくん、だっけ?」 「……え」 「君が、アオイくん、でしょう?」 「……そう、です」  本妻 vs 愛人、という構図が咄嗟に佑誠の頭の中に思い浮かんだ。もちろん、棗が本妻であり、碧は愛人である。 「それで、アオイくんはどうするのかな?」 「え、あ……」 「これからも、ルイと仲良くしていくつもり?」  そう笑顔で問われ、碧は今にも泣き出しそうな顔をしたまま唇を震わせた。どう考えても、“本妻”の棗が“愛人”の立場である碧を牽制しているようにしか見えない。一度関係したくらいで本気になってくれるな、と釘を刺しに来たのだ。  ほぼほぼ恋愛初心者でオメガとしての自信喪失中の碧には、あまりにも荷が重すぎる。こんな修羅場になるようなアルファと関係なんてしてほしくなかった、と佑誠は心の中で碧の不憫さに同情しながら、どうにかフォローを試みる。 「……えっと、あの、たぶんアオも、悪気があったわけじゃ」  と、口にした途端、ヒュンっと真っ直ぐな視線が碧から自分の方へと向けられ、佑誠は思わず言葉の末尾を飲み込んでしまった。好戦的、とも言える棗の瞳は破壊力抜群で、それ以上言葉が続かない。  その様子に満足したのか棗はニッコリと微笑み、再び碧の方へと視線を向けると、更に満面の笑みを浮かべて口を開いた。 「なーんてね!」 「……え?」 「ごめんごめん、アオイくん、こう見えてボク性格悪いからいじわるしちゃった」  つい先ほどまでの刺々しい雰囲気はどこへやら、クルっと掌をひっくり返したかのような棗の親しげな様子に、碧も佑誠も思わず口をポカンと開けて一時停止してしまった。 「ボクとルイは何ともないからさ」  面倒事を避けるため、便宜上、お互いを番候補ということにしておいただけ、と棗は笑う。  とは言え、これから先、事実を知らない噂好きの連中は塁と棗の関係について、あることないこと好き勝手に碧に吹き込む可能性も高いため、先手を打って本人自ら説明をしに来たということらしい。  もっとも、そうならないよう塁の方も手を打つはずだ、と棗は断言する。 「だから、アオイくん、安心してルイと愛を育んでね」  そう言ってニコニコと満面の笑みを棗は浮かべるが、碧はショックが大きすぎたのか、未だに固まったままだ。 「……お~い、アオ~?」  テーブルの上で血管が浮き上がるほどきつく重ねられていた碧の手に佑誠が触れようとした、その瞬間―― 「わお、王子様、ご立腹」  間違いなく、佑誠は殺気を感じた。というよりもはや、あ、俺死んだ、と思った。  とにかくそのくらい、入口から一直線に碧の元へとやって来たアルファから放たれる佑誠への威嚇はこれでもかというくらいに容赦ないものだった。

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