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<碧の結論>

「それで? 何がどうしてああなったわけ?」  学食で別れた後、再び講義室で顔を合わせた佑誠は、講義が終わるやいなや碧をカフェテリアへ誘うと興味津々といった表情で問いかけてきた。 「……色々と、偶然に偶然が重なって?」 「偶然って、おまえなぁ……」  そう言って佑誠は訝しげな表情を浮かべるが、碧としてはどう考えても“偶然”としか言いようがないのだ。 「……ちょっと他の人の発情期(ヒート)にあてられちゃって」 「は? いつ? どこで?」 「一昨日のゼミ終わりに、無人棟で……その時に、助けてもらって」  本当に、あの日あの場所で塁に出逢わなければ、碧はきっと一生オメガとしての歓びを知らないままだっただろう。  とは言え、碧は自分の身の程をしっかりとわきまえているつもりだった。  だから、オメガとして初めてアルファに満たしてもらった後、碧は丁寧に感謝の意を表しつつ早々に塁の元から離れようと試みた。どう考えたって、塁は碧のようなオメガなんかがいつまでも一緒に居ていいような相手ではない。  けれど残念なことに、発情は落ち着いたにも関わらず、碧の身体は全く言うことを聞かない状態に陥っていた。俗に言う、腰が抜けたというやつである。  力が入っているのか入っていないのか、感覚がよくわからず、立つことすらままならない。そんな自分の状態に愕然としていると、その一部始終を見て笑いを堪えていたらしい塁にヒョイと抱きかかえられ、今度はシャワールームに連れ込まれてしまったわけで。  ほんのちょっと前までもっとすごいことをしていたとは言え、改めて塁と向かい合うなど碧にとっては非常事態でしかない。恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかったが拒めるはずもなく、むしろ素直に身を委ねてしまえば、塁は楽しそうに笑って碧の面倒をみてくれた。  ものすごく贅沢な時間だった。  結局、そのまま一人で帰すことはできないと、最終的に塁の住むマンションに招かれ、精神的にも肉体的にも初めてのことだらけで疲れがピークに達した碧は、塁の腕の中で自分でも驚くくらいにぐっすりと深い眠りに落ちていった。 「それで昨日は休んだ、と」 「……起きたらもう二限始まってる時間だったし」 「で、玖珂嶺さんと一緒にいた、と」 「……夕方には、自分んちに帰ったし」  ずるずると甘えるように塁と一緒の時間を過ごしてしまったが、このままではよくないと今度こそ身の程をわきまえて、碧は「ご面倒をおかけしました、ありがとうございました」ときちんと塁に詫びと礼をして帰宅しようとしたのだ。  もっとも、帰り道がわからずまたも愕然とする碧を心底楽しそうに見つめていた塁に、結局は家まで送り届けてもらうことになってしまったのだが。 「やっぱり、すごい人、なんだよね……?」 「“玖珂嶺”って言えば優秀なアルファを輩出することで有名な一族だからな」 「へぇ……」 「へぇって、アオ、状況わかってないだろ」  確かに、塁がフツウのアルファではないということは、その見た目や雰囲気からもわかるし、住んでいるマンションもかなりのものだった。ついでに、家まで送ってくれたのも塁がどこかから呼び寄せた運転手つきの高級車だ。 「おまえ、その“玖珂嶺”のアルファに選ばれたってことだろ」 「え?」 「え? じゃなくて……なんでアオはそう鈍いのかな」  呆れたように佑誠にそう言われても、碧としては“選ばれた”なんて実感はひとつもない。本当に、塁との関係は偶然の産物でしかないのだ。 「全然、そういうんじゃないし」 「そういうんじゃなかったら、さっきみたいにわざわざ学食に来ないだろ」 「それは……たぶん北星さんがいたからで」 「だから本当は番候補じゃない、って話だろ」  玖珂嶺さんにもそう言われたんじゃないのか、と尋ねられ、それは確かにそうなんだけれど、と碧は口ごもる。  突然現れたオメガらしいオメガである棗の姿に、心のどこかで少しショックを受けはした。けれど、それ以上に棗が番候補であることにとても納得できたのだ。塁には、彼のような華やかなオメガがとてもよく似合う。まさしく理想の二人だと碧は思った。  だから学食から例の部屋へと塁に連れ出され、棗とはただの友人関係だと説明されても、そうなんですか、としか言いようがなかった。  碧としては、あくまでも今回の件は偶然の産物である以上、塁に迷惑を掛けるつもりは全くないし、むしろ自分のことなど忘れてもらって構わないとさえ思っている。  きっといつも塁の周りにいるのは、きらきらと輝く碧とは別世界の人たちばかりのはずだ。だから今は、物珍しさから碧のことを気にかけてくれているにすぎない。  結局、最終的に塁が選ぶのは、棗のような美しいオメガらしいオメガに決まっている。 「それに、マーキングもされてるんだろ?」 「……そうなの、かな?」 「俺に聞くなよ、わかるわけないだろ」  棗はああ言っていたが、碧には塁にマーキングされているという実感があまりない。マーキングなんてされたことがないからよくわからない、というのが本音だったりもするのだが、もしかしたら、単に棗にからかわれただけなのでは、とも思う。 「俺に話せるってことはさ、玖珂嶺さんとのこと、嫌だったわけじゃないんだろ?」 「……うれしかったよ、本物のオメガになれたみたいで」  こんなオメガっぽくないオメガが相手で塁には申し訳なかったけれど、とまではさすがに言葉にはしなかったが、どうやら佑誠には伝わってしまったらしい。 「アオさ、もうちょっと自分に自信持てよ」  眉間に皺を寄せる佑誠に、碧は苦笑いを浮かべる。 「おまえのことを必要としてくれるアルファもいるってことだろ」  そう言った佑誠の視線がカフェテリアの入口の方へと向けられる。つられて見れば、そこには当然のように塁の姿があった。 「玖珂嶺さん、講義以外では滅多に姿を見せないことで有名なんだよ」  アオは知らないだろうけど、と佑誠は付け足す。 「そんな人がさ、わざわざ人の多い場所まで迎えに来てるんだから」  入口から真っ直ぐ一直線にこちらへと向かってくる塁に、碧は戸惑いを隠せない。 「やっぱアオは選ばれたんだと思うよ」  そう言って佑誠が笑うのと、碧の名前が呼ばれるのはほぼ同時だった。

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