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〔佑誠の憂鬱〕

 噂というものは、あっという間に広がっていく。それも、学内でも有名なオメガが巻き込まれた事件ともなれば尚更だ。  加害者であるアルファ二人組は早々に警察へと連行され、大学側も有無を言わさず退学処分としたらしい。被害者である棗と碧の二人は入院、そして塁もまた碧に付き添って病院にいるなか、半分関係者、半分第三者な佑誠は、事件翌日もいつも通り大学へとやって来たのだが。 「……このことを言ってたのか」  講義中はともかく休み時間になると、見知った顔からほとんど話したことのないような人まで、興味津々といった表情であれやこれやと昨日の事件のことを聞き出そうと次々に群がってくる。そんな人々に嫌気がさした佑誠は、塁から教えてもらっていた通称・無人棟にある一室に避難していた。  面倒なことになるぞ、と塁から忠告はされていたのだが、正直なところベータである自分に矛先が向くことはないだろうと呑気に考えていたのが間違いだった。  みんな、他人の不幸は蜜の味なのだ。棗も碧も塁もいないならば、残るは佑誠のみ。むしろベータの佑誠だからこそ、もっと蜜の味を寄越せと群がったのだろう。 「疲れた……」  自分がアルファだったならば、こんなことにはならずに済んだのだろうな、と思うとため息が零れ落ちる。余計な詮索はするな、と周囲を黙らせることだってできたのかもしれない。  けれど、どう足掻いたところで、自分は紛れもなくベータなのだ。  昨日だって、たまたま居合わせた塁の元に碧の危険を知らせるアラームが鳴ったため、一緒に現場へと駆け付けただけだ。そうしたら、そこには棗もいた、それだけのこと。  いつものように笑えるはずもなく、堰を切ったかのように泣き出した棗を、佑誠はただ抱き止めることしかできなかった。  その後、病院へは付き添って行ったものの、棗が緊急治療室へと運ばれてしまえば佑誠にできることは何もない。医師からいくつかの質問と状況の確認をされ、もしかしたらあの場にいた佑誠にも事件に使われた“薬”の影響が出るかもしれないからと、念のための血液検査を受けることにはなったが、特に異常はなかった。  そうこうしている間に棗の兄が到着し、簡単な挨拶を済ませた後、佑誠は病院を後にした。  ソファに腰かけながら、ぼんやりと窓の外に目をやる。  塁から伝え聞いた話では、昨日の事件で使われた薬はオメガを強制的に発情させるもので、違法薬物スレスレのものだったらしい。  既に塁と番っていた碧は軽症で済み早々に退院できるとのことだが、まだ番のいない棗は薬の影響で発情周期が不規則になることが見込まれるため、しばらく入院とのことだ。 「……番、か」  オメガにとっての番は、心理的にも身体的にも安寧をもたらす必要不可欠な存在――それは、碧と塁の二人を見ていても明らかだ。  世の中には、番をもたない選択をするオメガも一定数いるとは聞く。抑制剤などを使って上手く発情をコントロールできさえすれば、それは不可能ではないらしい。  棗は――極上のオメガとさえ呼ばれる彼は、それを望んでいた。以前、そのような話を棗は佑誠に話してくれたことがある。自分は薬でコントロールできるタイプだからラッキーなのだ、と。  しかし、発情を薬でしっかり抑制できるということはその逆も可能ということだ。むしろ、効果覿面といったところなのだろう。  こうなってくると、やはり棗も番を探さざるを得ないはずだ。  塁という強力なアルファの影が消えただけで、犯罪に巻き込まれるほどの危険な状況に晒される極上のオメガ。  いつもは勝気な笑顔ばかりを見せているが、昨日、泣き始めた彼を宥めるよう抱き寄せた身体は、佑誠の腕の中にすっぽりと収まるほど小さく、頼りなく震えていた。 「……帰ろっかな」  あと二コマ講義はあるが、もはや集中できるとは思えない。むしろ、しばらく講義は自主休講にしてしまった方が精神的にラクな気がする。  周りから見れば自分は関係者なのだろう。確かに自分は碧の友人で、その延長線上に塁と棗がいて、昨日もたまたま事件の場に足を踏み入れた。でも、それだけだ。  結局のところ、自分は関係者になりたくてもなれない、ただの第三者(ベータ)だ。 「しんどい……」  小さなため息とともに零れ落ちた心の声が、誰の耳に入ることもなく静かに溶けて消えた。   

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