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6 あのこの正体
思わず「あのこ」のことを聞いてしまったけど、隠神 さんも草凪さんもぼくを見たまま動きを止めてしまった。もしかして、聞いたらいけないことだったんだろうか。
「……そうだな、ボウズには話しておくか」
「尭歩 様、」
「縁付きしたら、いずれは耳に入ることだ。それならオレから話したほうがいい」
隠神 さんの顔が少しだけ怖くなった。太い眉毛がぎゅっと寄って、ちょっとだけつらそうに見える。そんな隠神 さんを見たら、ぼくまで緊張してきた。
「ボウズ、オレには昔、縁結びをした相手がいた。相手はボウズと同じ人の子だ」
縁結びってことは、ぼくと同じように婚約した人がいたってことだ。……結婚しようと思った相手は、ぼくだけじゃなかったってことか。
(隠神 さんはすごい年上だから……そうだよなぁ)
それに妖怪だ。戦国時代も江戸時代も生きていたってことは、ずっと昔に結婚していてもおかしくないってことだ。
「小さな里山にあった神社の神主の娘で、……ボウズによく似た匂いをしていた」
娘ってことは、女の人だったんだ。……そっか、普通は結婚って男女でするものだもんね。
「よい眼を持ち、我ら妖 のことも好いてくれていてな、それで縁結びをした。当時は妖 と人にとって難しい時代だったが、あの匂いは間違いなくオレのための匂いだとわかった。だからすぐに縁結びをして、頃合いを見て縁付きをと考えていたんだが……」
隠神 さんの話が止まった。なんだか、さっきよりもつらそうな顔に見える。
「隠神 さん……?」
名前を呼んだら、フゥと息を吐いた隠神 さんがぼくを見た。
「当時、妖 は病をもたらし命を取るものだと思われていてなぁ。どこかでオレの正体を見知った輩がいたんだろう。ある日、都から神通力を持つという僧都 が来てな……。あぁ、僧都 ってのは寺の坊主のことなんだが、……オレじゃあなく、娘のほうを祓ったんだ」
「はらう?」
「簡単に言えば、この世から消したということです」
草凪さんの言葉にドキッとした。それってつまり、そのお坊さんが隠神 さんの婚約者を……殺した、ってこと……?
「あの頃は、妖 と人がいまよりずっと近くに存在していてな。近すぎたせいで、共に歩むのが難しい時代でもあった。それでもオレは娘を好いていたし、大事に思っていた。たとえ娘を妖 にしてしまうとわかっていても、手元に置いておきたいと思わずにはいられなかった。そのせいで、娘を失ってしまった」
沈黙が少しだけ続いた後、草凪さんが静かに話し出した。
「あの後、我らも大変だったのです。僧都 が城主に呼ばれた者だとわかり、あわや妖狸 と人との全面戦争になるところでしたからね。尭歩 様は我を忘れているし、我らだけでは止めようもなかった」
「そう言うな、悪かったといまでも思っている」
「あのとき天狗が来なければ、あの一帯は人が根絶やしになっていたことでしょう。そのくらいの大惨事になりかけたのです。彼 の地は力の溜まり場でしたから、妖 の力も格段に強まる。それこそ、いまだに霊場と呼ばれているような地ですからね」
「だから悪かったと言ってるだろう。まったく、草凪は昔のことをいつまでもブツブツと……」
隠神 さんは困った顔をしているけれど、草凪さんは怖い顔でクイッと眼鏡を押し上げた。
「尭歩 様の心中はお察ししております。同胞たちも同じように胸を痛めておりました。だからといって忘れていただいては困るのです。あなた様の神通力は神とも敬われるもの。うっかりお使いになられては妖 と人との天秤が崩れてしまいます」
「わかったわかった。しっかり覚えているから、もういいだろう」
なんだかすごい話だ。よくわからない部分もあったけど、昔、妖怪大戦争みたいなことが起きそうになったってことはぼくにもわかった。
それも隠神 さんが大好きな人を殺されて、それで怒ったからってことだ。怒って大勢の人間をどうにかしてしまいそうになるくらい、その人のことが好きだったってことだ。
(ぼくは、その好きだった人と同じ匂いなんだ……)
そう思ったら、少しだけ残念な気持ちになった。よくわからないけど、胸のあたりがモヤモヤしてくる。
「ボウズは、おそらく娘の兄弟の子孫なのだろう。これほど似た匂いというのは血縁者でなければしないはずだ」
そんなに似ているのかな。ずっと昔に嗅いだ匂いのことなのに、忘れないなんてすごい。
「探してはいたが、本当に見つかるとは思わなかったなぁ」
そっか、似ている匂いの人をずっと探していたんだ。……そりゃそうか。だって妖怪大戦争になりかけたくらい好きな人だったんだもんね。
「よく似た匂いだが、ボウズのはもっと甘くて頭が溶けるように感じる。おそらく古に妖 と交わった血が混じっているのだろう。これは娘にも感じなかったものだ」
隠神 さんの言っていることは半分くらいしかわからない。それでも、何百年経っても忘れられないくらい、その人のことが好きだったんだってことは理解できた。
そのくらい忘れられない匂いって、どんな匂いなんだろう。残念ながら、ぼくには何の匂いもしないからわからない。
「初めてあの弁当屋で匂いを感じたときは、まさかと思ったんだがなぁ。いや、自分の鼻と本能を信じてよかった。何度も確認しに弁当屋に通うことになったが、おかげで同胞たちもうまい弁当が食えると喜んでいた」
初めて店に来たときから、ぼくの匂いがわかっていたってことか。だから毎日来て常連さんにもなった。
「早く声をかけたかったんだが、きっかけがなくてなぁ。こんなおじさんにいきなり声をかけられちゃあ、驚いて逃げてしまうかもしれない。思えば、あの日ぶつかってよかったってことか。あぁいや、転がしてしまったのはすまなかったと思っている」
おじさんって……。たしかにぼくも三十代くらいかなって思ってはいたけど、あまりおじさんっぽくはない。弁当屋のおばさんも「強面だけどマッチョ系のイケメンよねぇ!」って言っていたから、ほかの人から見てもおじさんっぽくは見えないに違いない。
「それにしても、ぶつかったくらいで転がるなんてなぁ。ボウズ、もっと食わないと大きくなれないぞ? これまで大変だったぶん、これからはオレがしっかり食わしてやる」
それじゃあ、本当にぼくが子どもみたいに聞こえる。ぼくは子どもじゃないし、隠神 さんの奥さんになるのに……。なんだろう。またモヤモヤした感じになってきた。
「それに、そんな小せぇ体じゃあ心配で目合 えないしな」
(まぐわえない……?)
聞いたことのない言葉だ。よくわからないけど、ぼくが小さいままじゃ結婚できないってことなんだろうか。だから毎日「もっと飯を食え」って言うんだろうか。
そんなふうに言うくらい結婚したいのは、ぼくが好きだった人と同じ匂いがするからってことだ。今度こそ結婚したくて、それでいろいろ焦っているんだ。
(ぼくと、結婚したいってわけじゃないのかな……)
ふと、そんなことを思ってしまった。
(人間と妖怪とじゃ、結婚の意味が違うのかも)
無理やり、そんなことを考えたりする。
別に隠神 さんが「あのこ」のことを好きでも構わない。何百年も生きていたら、好きな人の一人や二人、何十人いてもおかしくない。そもそも妖怪なんだから、好きっていうのにも違う意味があるのかもしれない。
そう思っても、どうしてもモヤモヤしてしまう。ぼくにとっては家族ができて嬉しいことなのに、それだけじゃない気持ちがモヤモヤとわき上がってくる。でも、その気持ちが何なのかよくわからない。
(……よく、わかんないや)
「どうしたボウズ?」
「……なんでもないです」
「一度にいろいろ話してしまったからな。昔の話はもう終わったことだ。オレはボウズと縁付きしたいんであって、昔のことは関係ない。忘れていいぞ」
「ええと、……はい、がんばります」
「がんばるって、そりゃおかしな返事だ」
「アッハッハッ」と豪快に笑いながら隠神 さんがワシワシと頭を撫でる。いつもなら嬉しいワシワシなのに、どうしてか胸がズキズキしてあまり嬉しくなかった。
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