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第五話 誇れるものばかりではないさ、それでもいい 5

 その男は大きな背中をこちらに向け、カウンター席に座りグラスをゆらゆらと揺らしている。フードをあまり好まず、いつものようにそのオレンジ色の短髪頭を晒している。 ダニエル 「………殴られる覚悟はできてるか?」  ダニエルがその男の肩に手を置き、耳元でそう囁いたのは言うまでもない。 カール 「別に今更だろ、お前から殴られるのには慣れてるよ。元、総隊長さんよ。」  その言葉を聞くとふっと微笑み、マスターに飲み物を頼んだ。隣に腰掛けるそんな元総隊長からあの事について聞かれる、それを分かっていて今夜はここに来たのだ。 ダニエル 「……誰に頼まれた?」  案の定投げ掛けられたその質問に、今すぐには答えられない。こちらにもこちらなりの事情があるからだ。 カール 「そいつは言えねぇな、いくら相手があんたでもよ。」  チっ……。舌打ちをしながらあからさまに嫌な顔をするダニエルが相変わらず面倒臭がりな性格の持ち主である事には変わりは無いようだ。ゴーダの隊員として彼の元で働いていた頃を思い出し、少し懐かしい気分にさえなってくる。 ダニエル 「お前、昔に気に入ってたバーの女がいたな。お前のそのロリコンぶりは病気持ちのあの妹からきてんだろ?……俺と賭けがしたいならのってやる。」  カールにはミエラという年の離れた妹がいる。強健なカールとは打って変わって生まれつき病弱な彼女は幼い頃から入退院を繰り返している程身体が(もろ)い。酔うとゴーダのメンバーによく弱音を吐いていたカール。いつもは出来るだけ彼女に心配を掛けまいと明るく振舞っているが、酒が入れば誰でも隠している部分が緩み出てしまうものだ。どれだけ長く生きられるのか、治す薬はどうしても見つからないのか、四六時中ミエラを思うあまり、いつの間にか女の好みまで妹に似通った者に心が揺らぐようになってしまった。ダニエルはそれをよく解っている上で、あえてミエラを脅しの道具に使おうとしているのだ。 カール 「あいつに指一本でも触れてみろ、お前を殺してやる。」  ……その言葉はきっと、真っ直ぐに彼に届いたであろう。なぜならカールには迷いなど無いからだ。瞬きをした瞬間、ダニエルの手の平から出てきたナイフの鋭い切っ先がカールの頸動脈に当てられた。光るその刃先が触れた肌から血が一筋滴る。 ダニエル 「本気なのはお前だけじゃねぇんだよ……カール。」  ……分かっているさそんな事、だがそれでも…… カール 「言えねぇんだよ、ダニエル……」 ダニエル 「…………?」  その言葉に疑問を感じたダニエルがカールの口元に耳を近付けた。するとカールは他者には聞こえない小さな声でそっと告げた。 カール 「……妹を人質に取られている。お前を眠らせたあの日の前の晩、モズの一人に脅された。初めは出まかせだと思っていたが実際に妹が病院から姿を消していた。」 ダニエル 「分かった、もういい。それ以上言えばお前の立場が危うくなる。きっとそいつは見えない所からお前を監視し続けているだろうからな。」  ナイフをしまい、椅子に座り直すと二人は何事もなかったように乾杯をした。こんな大事な時に、問題事がまた一つ増えてしまった。やれやれ……とため息をつきながら、ダニエルは氷で冷たく冷えた酒を味わった。

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