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第五話 誇れるものばかりではないさ、それでもいい 13

 ガタン…ガタン…。車輪が小石を踏みつける度に馬車が大きく揺れ、蹄鉄(ていてつ)が地面に当たる乾いた音がパカラっパカラっ…と響く。どれくらい眠っていたのだろうか?目を覚ましたクリスは二段ベッドの下の段でジョシュアに抱きしめられている。 彼の仮眠を邪魔しないように、出来るだけ動かずに頭の位置を少し変えた。ジョシュアの温かい胸が息をする度に膨らみ、縮まり、また膨らみ……その心地よいリズムの中、クリスはそっと目を閉じる。呼吸をする胸のその奥で、ドクン…ドクン…と儚くも堅牢(けんろう)に鳴り響く彼の心臓。 この首筋に鋭い犬歯を突き刺し、この体内に流れる血を彼は味わい、それを飲み込んだあの瞬間を思い返す……。たった今背中に響いている彼のこの鼓動が、あの時は止まってしまうのでは無いかと憂慮(ゆうりょ)したものだ。 腰に置かれたジョシュアの手をゆっくりと引っ張り、その長い指を撫でるクリスはあの感覚を思い出す。口の中に突っ込まれたトニーの指……あの時、確かに苦しかった。それは精神的にも、そして肉体的にも。だが現実逃避のためにジョシュアにされている事を想像すると、なぜかそこまで嫌では無かったのだ。……試してみるべきだろうか?クリスがパクっとジョシュアの指をくわえた。 ドラキュラ 「………!!」  完全に目を覚ましたジョシュアが驚いてその指をクリスの口から引っこ抜いた。 ドラキュラ 「どうした?……お腹減ったの?」 ミイラ男 「ちげぇーよ。」  ……何を考えていたのだろう。クリスは自分に呆れて枕に頭を埋めた。まだ濡れたままのジョシュアの指がクリスの耳をそっと撫でる。 ドラキュラ 「嫌なこと思い出させたくなかったから、聞かないようにしてた……けど」  耳元で囁くその声に活気が無い。彼は今、どんな表情をしているのだろうか?あの時、トニーが一度だけクリスの中に入った。その瞬間が終わることだけを考え、歯を食いしばり激痛に耐えていた。そして引き抜かれた後、大きな物音を立てて部屋は静かになって……そのすぐ後だった。ジョシュアが優しくキスをして目隠しを外し、不安と恐怖と羞恥の世界からクリスを連れ戻してくれたのは。 ミイラ男 「お前……見てた?」   ドラキュラ 「俺が来た時には、はだけたお前が壁にもたれてた。それで察した……されたんだって。お前が一番傷ついてるから、出来るだけその事には触れないようにしてたんだ。」    聞きたい事は山ほどあっただろうに、自分さえもまだ手を付けていなかった、ずっと大切にしてきた、愛する恋人が他の男に好き勝手いいようにされ、傷を付けられてしまったのだから。それでも自分を抑え、クリスの心を優先したこのどこまでも優しい男。 ミイラ男 「指輪、取られちゃった……本当にごめん。」  彼は「気にすんな。」とクリスの頬にキスをしてぎゅっと抱きしめた。いつまでもこうして居られたら……。もしもたった一つだけ、願いを叶えることが出来る魔法があったのならば、願うのは膨大な富でも無ければ絶対的な権力でも無い。……ただ、こんな瞬間が永遠に続くことを願うだろう。 ミイラ男 「ジョシュ……愛してるよ。」  心からそう思ったんだ、でもいつもそれを伝えるのはジョシュアの方。だから今回はせめて自分から……彼に伝えておきたかった、ちゃんと知っていてほしかった。この愛が決して、一方通行なんかでは無いということを。 ドラキュラ 「うん………俺もだよ。」  心なしか、一瞬彼がそう返すのを躊躇(ためら)ったように聞こえた……。

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