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第26話  死んでしまいそうな幸福

 いつもはコーヒーか紅茶を注文するところ、今日はなぜかカプチーノが美味しそうに見えたので、そちらを頼んでみた。運ばれてきたカプチーノの泡を掬って食べていると、オミが嫌そうな目をする。 「なんだよ?」 「いや、それする奴、他にもいたんだと思って……」  意味がわからないと首を傾げると、向かいの席から仙道が横入りしてきた。 「それで、結局付き合うことになったんだな?」  直球で言われて顔が熱くなり、思わず「はぁ、まあ」と気の抜けた返事をしてしまった。オミは黙ってコーヒーを飲んでいる。どこか不機嫌そうなのはどうしてだろう。  東京に帰ってきてからまず、シーレイについて話し合った。オミは趣味程度で続けていきたかったらしいけれど、優李にその余裕がないこと、それからきっとオミにも余裕がなくなると思うことを告げると、案外すんなりと解散を承諾してくれた。曰く「取捨選択が大事」だそうだ。よくわからないが、遺恨はなさそうだったので安心した。  その日のうちに実家へ連絡を取り、バンドをやめて調理師を目指すことを報告した。母さんはなにかしら勘づいていたようで、「よく考えて決めたのね?」と一言確認をしただけだった。オミと奏多の親も似たような反応で、好き勝手やっている息子たちを責める大人は誰一人いなかった。恵まれているのだろうけれど、やはりどこか不安が残る。今の状況に胡座をかいて甘えていると、歳を取ったときに後悔しそうだ。もっとちゃんと自立できるようにがんばろう。  バンドの解散となれば、もう一人報告しなければいけない相手がいる。オミは相変わらず仙道が苦手なようで渋っていたけれど、「優李一人で行かせるくらいなら」と言ってこの場についてきた。しかし合流してからずっと苛ついている様子を見ると、やはり一人できたほうがよかったのではという気になる。 「まあ、落ち着くところに落ち着いた感じで良かった。バンドの件は残念だけど、気が変わったらいつでも声かけてよ」 「うん、ありがとう」  穏やかに笑う仙道を見てホッとした。  春フェスの誘いを断ったときは相当食い下がられたけれど、酒を交えて本音で語り合い、ようやく諦めてくれたときには二人ともかなり酔っ払っていた。あれ以来、仙道とは気の置けない仲になっていると思う。  実は以前、仙道からの好意を感じ取ったときがあった。仙道はなにも言ってこないので、それが恋愛感情なのかどうかは今でもわからない。だけど自分のほうから訊ねるのもおかしな話なので、意識しないようにしている。  それにもし仙道が自分をそういう意味で好きだったとしても、本人が言わないと決めているのならそれでいいのだと思う。恋の仕方は千差万別だ。どちらにせよ自分にできることはなにもない。 「おい、そろそろ帰るぞ」  コーヒーを飲み干したらしいオミが不機嫌さを露わにした。ここにきてから、オミと仙道は一度も会話をしていない。どうしてここまで不仲なのだろう……。  解せぬ思いで立ち上がり、仙道にまたねと声を掛ける。仙道は頷いて手を振ったけれど、ふと思い出したように口を開いた。 「おまえ、これから俺の後輩になるんだから、ちゃんと敬えよ。オミ」 「え?」  優李がぽかんとすると、オミは焦ったように優李の腕を引っ張った。仙道を睨んで舌打ちし、そのまま出口へと足早に歩いていく。年末で人通りの少ないひっそりとした街中をずんずん進み、マンションが見えてきた頃には繋いだ手が痺れていた。  ──手、いいのかな。  男同士で手を繋いでいる姿は世間にどう見られているのだろう。人が少ないからこそ目立っている気がして、周囲の視線が気になる。オミはどうだろうかと思ったけれど、なんでもないような顔をして堂々と歩いていた。  ──そうだよな。オミはそういう人だ。  オミを見ていると、間違っているのは世間のほうだと思えてきた。昔から何度も繋いできた手なのに、大人になるといけないことをしているような気分になるのは変だ。男同士でなにが悪い。この指先から全身に流れる幸福は、誰かに馬鹿にされるようなものでは絶対にない。  そんなふうに思っていたくせに、エントランスに入る前、近隣の人が通りかかって反射的に手を離してしまった。オミは目尻を吊り上げて怒ったような顔をする。 「なんだよ。別にいいだろ、手くらい」 「でも……」 「仙道とは堂々といちゃついてたじゃねーか」 「仙道?」  なんの話だ。仙道といちゃついていた? 誰が? 「酔っ払ってた日だよ。ここで長いこと話し込んでただろ。そんでキ……」 「き?」  言い淀んだオミを覗き込むと、やっぱりいい、と難しい顔をされた。先にエントランスに入ってしまった背中を追いかけ、自分が酔っ払った日の記憶を辿る。オミが言っているのはおそらくあの日だ。急にオミにキスをされた、あの……。  ──あ。  なるほど、と一人で納得した。あの日どうしてオミが激昂したのかよくわかっていなかったけれど、自分と仙道がいちゃついていたように見えたのなら辻褄が合う。長話が終わらず乾燥で唇が切れるまで喋っていただけの光景が、オミの嫉妬心を煽ったのだ。  嫉妬という感情を自分に向けてくれていることがいまだに信じられない。優越感に近い高揚で堪らなくなり、オミの背中に飛び付いた。部屋の前で鍵を探していたオミは大袈裟に驚いて、呆れたようにはにかんだ。 「ねえ、後輩ってことはさ……もしかしてオミが入る事務所って、南プロなの?」  と問う。オミは鍵を回しながら頷いた。 「うん、まあ」 「マジか」  南プロにスカウトされるなんてすごすぎる。ずっと聴いてきた音だからあまり実感がないだけで、自分は実はとんでもない才能とバンドを組んでいたのか。というか、どうして今まで確認しなかったのだ。よくよく考えれば、オミがどういう形でデビューするのかまったく知らない。 「……お祝いしたい」 「へ?」  オミに訊き返され、玄関の扉が閉まった瞬間に、大声でもう一度言った。 「お祝いだよ、お祝い! 考えてみたら俺、きちんと祝えてなかった。本当におめでとう。南プロでデビューなんてすごいよ、めちゃくちゃ恰好良いよ」 「優李……」 「なに食べたい? なんでも作るよ。あ、チーハンとか? ちょっといい肉でも買いに行──」  興奮してベラベラ喋っていた口を、キスで塞がれた。固まっていると舌が割り込んできて、口内を隈なく撫でられる。涎がこぼれそうになって飲み込むと、喉が音を立てた。割と大きな音だったので恥ずかしくなり、オミの腕から逃れようともがく。 「──っ、オミ、待って」 「祝ってくれるんだろ」 「なっ……い、祝うってそういう意味じゃなくて……」 「嫌か?」  耳元で囁かれ、胸がぎゅうっと締めつけられた。急な色気は心臓に悪い。 「……嫌なわけあるか、馬鹿」  まったく可愛げのない返事をしてしまい辟易する。恥ずかしさが勝り、素直に頷けなかった。しかしオミはその返事で満足したらしく、優李を抱えて自室へと進んでいく。  普段は家事のときしか入らない部屋なので、自分がベッドに寝かされているのがすごく不思議な感覚だった。コートから靴下までを一つずつ丁寧に剥がされ、羞恥がゆっくり膨らんでいく。他人に服を脱がされるなんてはじめての経験なのでどうしているのが正解かわからず、全身を固くして構えてしまった。 「……優李、脚、ちょっと開いて」 「あ、脚……? って、あ!」  言われたままわずかに開脚すると、するりと下着を抜き取られた。素っ裸にされて動揺し、思わずシーツで身を隠す。 「い、いきなり全部脱ぐものなの?」 「あ? まあそりゃ人それぞれだろうけど、俺は全裸派。……なに、おまえ今まで着衣派だった?」 「ちゃ、着衣派とか全裸派とか、それ以前にこういうこと自体が、は、はじめてなんですけど……」  恥を堪えてそう言うと、オミは目を見開いて固まった。 「え……女とも?」 「……ありませんね、なにせオミが初恋なので」 「……マジか」  やばいなとぼやいて、オミは深く長いため息を吐いた。急に起き上がって自分の衣服もすべて脱ぎ去り、大きな手のひらで優李の髪を撫でる。肌と肌が密着して、心臓の音が伝わってしまいそうだ。 「一生大事にする」  一言呟き、額にキスを落とされる。  ──これまでも、ずっと大事にしてもらってたよ。  嬉しさと恥ずかしさが胸いっぱいに広がって、触れられる場所から愛しさが滲んだ。自分からもオミに触りたくて、首から背中、腰へととにかく指を滑らしていく。時折くすぐったそうに悶えるオミに悪戯心が芽生え、首筋に強く吸い付いてみた。 「……っ、おま……そういうところあるよな……」  キスマークを摩り、オミは困ったようにはにかんだ。自分にもつけて欲しいと強請ると、呆れ笑って叶えてくれる。ピリッとした痛みが走った瞬間、狂おしいほどの充足感に包まれた。 「あっ……ん、う」  すでに尖った胸の先端をゆっくり舐られる。じんじん痺れ、自然と腰が揺れた。互いの性器は重なり、上下に擦って刺激を送り合う。どちらのものかもわからないほど蜜が溢れ、今にも達してしまいそうな快感を味わっていた。 「……っ、オミ、もう、いいよ……」 「いや、まだ早すぎる。ちゃんと解さないと」  オミは棚からローションを取り出し、手に垂らして優李の秘部へと指を宛てがった。そこでぴたりと動きを止める。 「……なんか、柔らか……?」  皆まで言うな、とオミの口を手で塞ぐ。  オミと想いが通じ合ってから一週間、いつこうなってもいいように準備をしておいたのだ。早まりすぎかもしれないとは思ったけれど、十五年越しの恋なのだから、もっと先に進みたいと焦るのも仕方ないだろう。自分で慣らすのはかなり大変だったものの、今となってはやはり大正解だったと自分を褒めたい。こんなにも余裕がなくなるとは思わなかったのだ。  ──早く……。 「早く繋がりたいんだよ……」  もう一秒も待てない。オミのものだという証を刻んで欲しい。そしてオミも優李のものなのだということを、全身で感じて欲しいのだ。 「……っ、力抜いてろ」  オミは苦しげな表情をして、自分の性器を優李の壺に押し当てた。熱くて硬いものがゆっくり減り込んでくる。それは予想以上の痛みを伴い、呼吸が止まるほどの圧迫感があった。 「──っ、う、ぐ」 「息、ちゃんとしろ」 「うーっ……ぐ、う」  なんとも色気のない声で唸り、ただ暴かれていく恐怖に耐えた。あんなに望んでいた行為なのに、震えが止まらないほど怖い。けれど同じくらい幸せだった。死んでしまいそうな幸福というのはきっとこのことだ。  しばらく馴染ませるように動きを止め、オミは優李の髪を撫で続けた。痛くないかと訊かれるけれど、痛いと正直に言ってもいいものかわからず、曖昧に笑って返した。 「……ごめんな」  オミは小さく謝り、ゆるゆると腰を動かした。律動に合わせて痛みも動いていく。しかしそれは徐々に得体の知れない快感に変わった。目の前が明滅し始め、次第に電流のような刺激が身体の真ん中を通るようになった。突き上げられるたび、自分のものとは思えない声が洩れる。なんだこれは、なにが起こっているのだ。 「──っ、や」 「優李……っ、ゆ、うり……っ」  何度も呼ばれるけれど、当然返事はできない。激しく揺さぶられるままに喉も震え、勝手に涙が滲む。気持ち良くて涙が出るなんてはじめてだ。痛みはいっさい消え去り、そこにはただオミの熱だけがあった。  困惑しながらも快感は止まらず、ついに達しそうになる。思わずオミの背中に飛び付いて、強く爪を突き立てた。 「────っ、ん」  息が止まる。優李が放つと同時に、オミも達したようだった。弛緩していく身体をオミに支えられる。遠のく意識の中、静かに泣いている顔を見つめていた。

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