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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 3.マルテア食堂の幻名物

「ザック、いいところで会った。正式に紹介しよう」  ルッカの親父さんがあいつに手を振り、僕はしまった、はめられた、と思ったが遅かった。近づいてきたザック・ロイランドの髪はやっぱり白かった。生まれつきだろうか。昨日はまともに見ていなかったが、顔も首筋も太陽に焼かれた褐色で、眸は濃い色だった。  ハイラーエの迷宮探索は高層へ行けば行くほど、日光の射さない迷宮の内部より岩壁にとりついている時間が長くなる。冒険者が陰で「壁登り」とか「山師」と呼ばれるゆえんだ。つまりザックがこれだけ日焼けしているのは、探索がほぼおわっている中低層迷宮なんて甘っちょろいところをうろついているのではなく、フェルザード=クリミリカの未踏層に挑戦している証拠でもある。 「彼がオスカーだ。ディーレレイン最高の魔法技師だよ。朝飯ついでに座って話そう。そこの屋台はどうだ?」 「悪くない」  ザックがこたえた。張り上げているわけでもにないのに横丁のざわめきの中でよく通る声だ。それも忌々しいことにかなり良い部類だった。  顔立ちも整っている。つけくわえると、ひたいを斜めに横切る白い傷跡がなければもっとよかっただろうし、昨日のように僕を睨んでいなければさらによかったにちがいない。ともあれ僕はこの手の視線にうなだれるようなたちではないから、負けじと睨み返した。  僕らはみつめあった。  ほんのわずかな時間だったと思うが、ザックに内心を伝えるには十分だったと思う。つまり「おまえが気に食わないぞ」というメッセージを。 「ああ、えっと、こっちだ。オスカーもザックも。ああすまん、粥を三人分。持ってきてもらえるか」  親父さんが焦ったように声をかけたため、険悪なお見合いは中断された。我々は屋台の横に並べられた板を渡しただけのテーブルについた。ベンチに並んで、僕の横に親父さん、親父さんの向かいにザックが座ると、粥が三つ運ばれてくる。 「こっちはオスカーのだ」 「どうも」  この屋台の店主は顔見知りで(僕はうまい屋台の店主とはほぼ顔見知りだが)粥をよそった深皿の横に小皿をひとつと蓋つきの小さな壺を並べていく。ザックが不審そうに眉をあげたが僕は気にしなかった。壺の中身を粥の上にのせ、小皿に盛られた薬味をかける。壺の中身はパズー肉の角煮で、薬味は細かく刻んだ葱と漬物だ。  ディーレレインの定番の朝飯である麦粥は僕の故郷の朝飯よりずっとうまい。とろりとした白い汁に沈む穀物は噛むとぷちぷちした歯ごたえがあり、どこか香ばしくもあって、しかも噛むほどにほのかな甘みが増す。ここに角煮にしたパズー肉のしっかりした味とコク、そして薬味の鋭い香気がまざりあうとほら、絶品の朝粥の誕生である。 「そいつは何だ?」  うっとりしながら粥を味わう僕を邪魔するようにザックがいった。右袖は昨日と同じく空のままで、義手をつける気はないらしい。左手にスプーンを握っているが、特に困った様子には見えなかった。両利きらしい。 「パズーの角煮さ」  見てわからないとは可哀想なやつだ、と思いながら僕は答えた。 「パズー? 健脚獣の?」 「ああ、この前オリュリバードの低層に出た大きいやつ。観光ルートだったから大騒ぎになってた。あんた冒険者だろ? 聞いてないのか?」 「南の低層には行かないからな」ザックは馬鹿にしたようにいった。 「パズーを食うのか」 「モンスター肉はハイラーエの誇るべき特産品だぜ。二年も北迷宮を攻略してるらしいじゃないか。食ったことないのか?」 「ディーレレインに長居はしないからな。いつも携行食だ」 「なるほど、本物の山師ってわけか」  僕は最後のひとくちを味わい、スプーンを置く。 「でも、迷宮じゃいろんなモンスターに出くわすだろ」 「冒険者は解体屋じゃない。フェルザード=クリミリカでモンスターを食うなんて不可能だ。まあ、行ったことのない者にはわからんだろうが」 「何だって?」 「まあまあ、ふたりとも」  またも険悪な空気になりかけたところを親父さんが遮った。 「とにかくその……昨日は行き違いがあったようだが、オスカー、どうかこの件を頼むよ。急ぎなんだろう?」  最後の言葉はザックに向けられていた。みると僕とおなじ仏頂面をしている。 「その通りだ。七日後にはシルラヤの岩壁に戻りたい」 「は? 七日ぁ?」  呆れるあまり僕は大きな声をあげていた。 「そんな無茶な」  ザックは表情を変えなかった。 「なぜだ。おまえは超一流だと聞いた。できるはずだ。俺は王都で、三日で片腕と片足を生成した魔法技師をみたことがある。四日目にはそいつは馬に乗っていた」 「どうせ義肢でも乗れる馬だろう」  僕はベンチに座ったままふんぞり返り、腕を組んだ。 「ザック・ロイランド。おまえがこの前まで持っていた手と腕を取り戻したいなら、そんな甘い考えはさっさと捨てた方がいい。僕の生成魔法はそんなにお手軽なものじゃない」 「とにかく七日だ。時間がない」 「おまえには耳がついてないのか? 施術は一回では終わらないんだ。七日後にシルラヤの岩壁だと?」 「心配するな。金は惜しまない。冒険者相手にはたかるときいたが、いくらでも払ってやる」  その言い方にまたカチンときたが、親父さんの手前、冷静さは失いたくなかった。 「そうか。だったら遠慮なく……」 「オスカー」  親父さんが突然口をはさんだ。 「マルテア食堂の名物の話、知ってるか?」 「え?」  僕はめんくらった。 「もちろん知ってる。ユミノタラスのステーキだろ? ディーレレインができたころ南迷宮によく出たっていう……それがここ二十年はまったく現れなくなって、幻の名物になったっていう……」  マルテア食堂はソリード広場に面した料理屋で、開店したのはディーレレインの大半がまだ迷宮の一部だった時代にさかのぼる。今でこそ観光客向けレストランのひとつにすぎないが、店には歴代メニュー表が保存されていて、ユミノタラスのステーキはその中に登場する。  ユミノタラスは飛翼獣に属する迷宮モンスターだが、僕は図鑑でしか見たことがない。ディーレレインの市場はモンスター肉やその他の加工利用できる材料を商っているが、解体や保存が難しいという理由で市場に出回らないモンスターもいるし、まれにしか出現しないために市場に出回ることがない、幻のモンスターもいる。ユミノタラスはその代表だ。 「それなんだが」親父さんは声をひそめていった。 「実は五日前、南迷宮の中層に大規模な群れが出現して二十年ぶりに狩りが行われたんだ。といっても狩れたのは数頭らしいが、俺のところに肉がすこし流れてきた。よかったら……」 「ええ?」僕もひそひそ声になった。 「いいのか?」  そんなレアモンスターの肉なんて、市場ではたいへんな値段がつくはずだ。 「ああ、今回は俺の手配がまずかったようだからな。ささやかだが、引き受けてくれる礼だよ」 「いいやその、たしかにユミノタラスは未経験だが、そんな……」 「おすそ分けってところだ。詫びだと思ってもらってくれ。あとでルッカに届けさせる。だからこの件はよろしくな」 「え、あ、ああ。わかった……」  穏やかな口調に押されるように僕はついうなずいていた。さすがは海千山千の案内人元締めだ。僕の弱点がよくわかっている。 「何の話をしている?」  ザックが眉をよせて僕と親父さんを交互にみた。僕は姿勢を正した。 「いや、こっちの話だ。とりあえず事情は理解した。その右腕は僕が引き受ける」  昨日の印象は悪かったとはいえ、ようするにただの仕事だ。壁登りの腕の再生は難しい部類に入るとはいえ、同じようなことなら何度もやっているのだ。さっさとすませてがっぽり稼げばいい。  親父さんがベンチを立ち、屋台に代金を払いに行った。ザックはかすかに目を細め、また僕をみていた。  この男、何を考えている?  何となく居心地が悪くなって僕は視線をずらした。 「では、どうすればいい?」ザックがいった。 「準備が必要だ」僕もベンチを立ちながら答えた。 「午後に店へ来てくれ。昼休みのあとだ。扉は五回叩け」 「五回? それはなんだ、おまじないか?」 「生成魔法はまじないじゃない」僕はつっけんどんにいい返した。 「五回といったら五回だ。算数くらいできるだろう」

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