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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 4.ロアセアの発明

 自分の店に戻る途中で、道に迷った観光客に出くわした。  こざっぱりした格好で通りをきょろきょろ見回しているそいつをみたとたん、どこか奇妙だと思った。もとが迷宮だっただけあって、ディーレレインの町には行き方を知らなくてはたどりつけない場所が多い。僕の店がある横丁はディーレレインでは玄人むきの場所で、ハイラーエ生まれの鉱夫やベテランの冒険者以外は訪れない。観光客向けガイドマップにここへの行き方は載っていないし、冒険者は一定の経験を積んだあとにやっと、ギルドにこの横丁(にある店)を紹介される。  そいつは僕に気づいたとたん、ハッとした目つきをしてこちらに駆け寄ってきた。僕より小柄で、耳がすこし尖り気味という以外、これといった特徴のない男だった。 「すみません、アノリズ小路に戻りたいんですが、迷ってしまって……」  男は無邪気な目つきで僕をみつめた。どうして今日はこんな風に僕をみる人間にばかり会うのか。いささか苛ついたので、僕の返事はそっけなかった。 「アノリズ小路なら正反対だぞ。どうやってここまできた?」 「その、朝の散歩をしていたら戻れなくなったんです。えっと、引き返せってことですよね? その……案内してもらえませんか。また迷ってしまいそうで……」 「朝の散歩?」また奇妙だと思った。 「ガイドはどこに?」 「それがその、ガイドはちょうどいい人がいなくて雇えなかったんです。お願いできませんか? このあたりの人ですよね? お金は払いますから」 「この町じゃ勝手に案内人はできないんだ。門を通った時に聞かされなかったのか?」 「え? いいえ? あ、聞かされたかも……どうも、すみません。この通りはなんていうんですか? 何があります?」 「ここには一見さんお断りの店しかない。そこから引き返して、最初の角を左にまがって、次の角で会った人にアノリズへの道をきくんだ。そのうち戻れる」 「あ、はい。どうもありがとうございます」  男は大人しく横丁の出口へ向かったが、歩きながらもう一度僕をふりかえった。僕がまだ見ているのに気がつくとあわてたように小走りになった。やっぱり変だ、と僕は思った。ディーレレインに来た観光客がルシード広場でガイドを雇えないなんてこと、あるはずがない。  何層も積み重なっているディーレレインの街並みは慣れない者に不親切だ。ひとりで道に迷い、勘に頼って歩くうちに階段のない低層へ落ちて餓死したとか、オリュリバードへ迷いこんでモンスターに食われたとか、ベテラン冒険者とトラブルになって耳を切り落とされたとか、本当にあった怖い話がたくさんある。  アノリズ小路はそこそこいい宿が並んでいる場所だから、あそこにひとりで戻れないような人間がガイドなしでこの町をうろついているのはおかしい。あの男は嘘をついているのだ。何の目的で?  変だと思いつつも僕は自分の店に帰った。他の店はもう入口の鎧戸を上げ、客を迎える準備をしている。看板のない僕の店は扉が叩かれるまで開かないが、あのいまいましいザック以外にも今日は常連の予定があった。  店の扉をあけてすぐのところは土間になっていて、ベンチと丸椅子が置いてある。靴を脱いであがったところには大釜その他の道具がならび、間仕切りの向こうに施術台代わりの特注ベッドを置いてある。幅は普通の倍はあり、片方の側面にえぐったように半円を切ってあるものだ。もうひとつの間仕切りの奥には小型の厨房設備とテーブルがあって、横手の細い階段が二階の私室に通じている。  水を満たした大釜が温まるのを待っていると、扉が四回叩かれた。鏡を仕込んだ覗き窓から店の外をたしかめて開ける。 「やあ、ジョイン。幻肢が出たって?」 「そう、三日前の朝から。消えるのを待とうと思ったけど、夜になると痛みはじめてね」  痩せて骨ばった体つきのジョインはオリュリバードのモンスター狩りで生計を立てている。五十がらみの女で、二十年以上前に冒険者になるためにディーレレインへやってきたが、数年後、ボムで右足首を失くした探知魔法を使えなくなった。冒険者ギルドを抜けた彼女は義肢で失くした足を補ってモンスターの狩人になった。ところがそれから五年後、今度は冒険者の巻き添えで爆発にあい、左腕を失くした。 「どこにみえる? 左腕をあげて」  ジョインの肩が動いたが、あがったのは右腕だった。途方に暮れたように僕をみた。 「左肩の横にあるのがみえるのに、届かない」  ジョインを施術したのはディーレレインに来たばかりの頃だ。僕は彼女の右足首と左腕両方を再生したが、完治したあともいまだに、右腕にだけ時々問題が起きる。再生した腕の近くに、ジョインにしかみえない幻の腕があらわれて痛みを訴えるのだ。  この後遺症は術者との相性、体質、手足を失くした時の状況などさまざまな原因で起きるもので、ジョインの症状はかなりきついものだった。残念ながら生成魔法は万能でも絶対でもない。でも再生した腕を調整すれば一年間は症状がおさまる。 「わかった。奥へ上がって横になるんだ。服は脱げるか?」 「ああ、なんとか」 「それなら自分で頼むよ」  何度もやっている調整なのでジョインも慣れている。僕は丸椅子に座って、横たわった彼女の左腕をもちあげた。 「触られている感覚は?」 「痛くてよくわからない。そっちじゃなくて、あっちの方だ」  ジョインの目は僕にはみえない幻の腕をみていた。僕は彼女の視線の先に鎖につけた魔法珠を垂らした。指先ほどの大きさの珠をふたつ揺らす。 「珠はいくつある?」 「ふたつ」 「どんな色をしている?」 「ひとつは水色、もうひとつは濃い青だ」 「珠の中に何かみえないか?」 「青い方が……渦を巻いている……」  ジョインの声が小さくなった。目を閉じている。僕は彼女がみつめている(ヘキ)の魔法珠をそのまま左手でに持ったまま、もうひとつの魔法珠を右手で静かに移動させる。碧の魔法珠から糸のように渦が染み出し、(スイ)の魔法珠へ伸びていく。  渦に囲まれた水の魔法珠はやがて濡れたような輝きをおびはじめ、膨らみはじめた。熟れた果実の外皮のように、膨らんだ部分に割れ目が生まれる。僕はタイミングを見逃さずに鎖をひいた。水の魔法珠をジョインの手首におしあてると、貯められた力が経脈を通り、流れこんでいく。  生成魔法は人間の体にはりめぐらされた経脈を読むところからはじまる。経脈には体をかたちづくる情報がすべて流れているのだ。生成魔法技師はこれを読み取り、失われた細胞をあらたに生じさせる。このとき魔法使いが使うのは法力と呼ばれる生まれつきの能力だ。 「ジョイン、目をあけて」  僕は元の大きさに戻った水の魔法珠を片手でにぎり、碧の魔法珠を誘導するように垂らした。 「左腕はどう?」 「ああ――」ジョインは左肩を揺らし、腕をあげた。 「消えた! 元に戻ったよ」 「痛みは?」 「まったくない。ああ、これが私の腕だ」 「よかった。体を拭きたいならそこにタオルとお湯がある。終わったら表にどうぞ」 「ありがとう、本当にありがとう」  薬草茶をいれて土間で待っていると、まもなくジョインが晴れ晴れとした表情であらわれた。 「こんなにあっけなく治るといったい何だったのかと思うよ、オスカー。年に一度とはいえすまない。本当に代金はいいのか?」 「いらないさ。たいした手間じゃない」  僕は癖のあるお茶のカップを渡した。ジョインは顔をしかめながら飲み干した。 「今度いい肉か素材の出物があったら持ってこよう。そうだ、ジェムは足りているか?」 「特に困ってはいないが、どうして?」 「最近ロアセア一族の代理人と取引をするようになったんだ。ジェムで困ることがあれば融通がきくそうだ」  リヴーレズの谷で採れるジェムはユグリア王国の偉大なる動力源だ。このディーレレインもジェムがなければ換気装置から明かりまで様々なことで不便になる。採掘されたジェムは発明者の名をとった「ロアセア法」で精錬されていた。  ロアセアは昔ハイラーエで活躍した発明家である。本人はジェム鉱床に埋もれたボムの犠牲になったが、王都に住む彼の一族は発明品とジェム鉱床の権利で大いに栄えている。もっともハイラーエへ来るのは代理人だけだった。 「どうしてロアセア一族と取引を?」と僕はたずねた。 「近ごろ王都にハイラーエ料理を出すレストランができたのを知っているか? かの一族が投資してるが、モンスター肉も扱うんだよ」 「なるほど。一度もここに来たことがないのに王都でハイラーエ料理とは、呆れたもんだな」 「ディーレレインでは誰も食べたことがないような料理かもね」  ジョインが皮肉な調子でいい、僕も笑ったが、本音をいえばユグリア王国の中央に興味はなかったし、あまり関わりたくなかった。話をそらすために「そういえばユミノタラスが出たって聞いたが?」といってみる。ジョインは目をみはり、ついで声をあげて笑った。 「さすがオスカー。モンスターに関しては地獄耳だな」 「ジョインも狩りに?」 「いや、私はちがう層にいて加われなかった。冒険者が最初に襲われたらしいんだが、近くにいた狩人も巻き込まれて大変な戦いになった。ヤオ医師はてんてこまいだったらしい」  ヤオ医師はハイラーエでいちばん尊敬されている医者で、僕も魔法技師として色々と世話になっている。ヤオ医師は南の迷宮の救急医療隊を指揮している。僕が思うに、彼以上に尊い人物はこの町にはいない。僕が使う生成魔法は消えた体の一部を再生できるだけで、治療するわけではないのだ。魔法では誰も癒されない。 「ユミノタラスのことは今朝聞いたばかりなんだ。そうだったのか」  僕の言葉にジョインはにやりとする。 「ああ。私は機会を逃したが、近いうちにユソフヘザルを狩れるかもしれない。北迷宮の遠征部隊で狩人と解体屋の募集がかかっている。ユソフヘザルがよく出る中層まで同伴して、獲物は持ち帰る手はずなんだ。何年も狩人をやっているのに、私は飛翼獣を狩ったことがない。参加するつもりだ」  ユソフヘザルはユミノタラスと近縁のモンスターだ。モンスターとしてはそれほどレアではないが、出現するのがディーレレインから遠い北迷宮であるため、肉が持ち帰られることが少ない種類である。 「それはすごいな」 「首尾よく狩れたらオスカーにも分け前をやるよ」 「楽しみだ。でも、これ以上腕や足を落とさないでくれ」 「もちろん」  ジョインが出ていったとたんまた腹がぐうっと鳴った。僕は時計をみた。まだ昼にはすこし早いが、ザックが来る前に飯にしなくては。さて、今度は何を食べようか。

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