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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 5.クーロの功績
昼食には「塩漬けオウルナムのクーロ」を作ることにした。
ディーレレイン以外の人間にはぴんとこないだろうが、クーロとはつまり揚げ煮のことだ。最初にモンスター食を試し、さまざまな調理法を考案した男の名でもある。彼に敬意を表して、ディーレレインでは揚げ煮をクーロと呼ぶ。
クーロが生きていたころ、迷宮探索はまだ手探りの時代だった。クーロは迷宮自給自足をモットーに、ありとあらゆる方法で狩ったモンスターを食べようとした。伝説によると古代の遺物も食品にならないか試そうとしたという。食べるより王都へ持って帰れと、周囲の人間が必死で止めたそうだ。
モンスターには毒性を持つものも多いが、勇敢に史上初のモンスター食を試し続けたクーロは毒ではなくボムで死んだ。ディーレレインのいたるところにはボムで失われた者の名前が残っている。
それはさておき、この料理の主役はオウルナムだ。僕はささやかな厨房に立ち、ローブの上からエプロンを腰に巻く。手を洗って、昨夜寝る前に塩抜きしておいた肉を貯蔵庫から取り出す。塩漬けにしたオウルナムの腿肉と脛肉はディーレレインでいちばん手に入りやすいモンスター肉で、僕にとっては備蓄食である。
僕のモンスター食好きはルッカの親父さんやジョインのような馴染み客にひろく知れ渡っている。ただ僕は、単に好きというだけでモンスター肉を食べているのではない。モンスター食材は滋養があるだけでなくミネラルが豊富だ。そして僕は生成魔法技師だ。生成魔法は他の魔法より消耗が激しいという特徴があって、ようするに腹が減る魔法なのだが、同時に術者はミネラルを大量に補給する必要があった。
ディーレレインではじめてモンスター肉を食べたときの驚きは忘れられない。単に料理が美味いというだけでなく、霞が晴れたように頭がすっきりしたのだ。ディーレレインに来る前は毎日ミネラル補給の錠剤が手放せなかったが、ここではモンスター肉を食べているだけでいい。生成魔法を使ったあとも腹の減り方が格段にちがう。
つまり僕がモンスター食をあれこれ試すのは、単なる趣味の問題ではなく、職業上の理由だといいたい。
塩抜きしたオウルナムの肉は薄いピンク色だ。包丁でていねいにスライスしてから両面に粉と香草をまぶし、なじませているあいだに煮汁を用意する。コンロにのせたソースパンに秘伝の壺の中身をすくって入れ、水でのばして温める。隣では皮をむいておおぶりに切った白と赤の根菜をさっと下茹でし、ザルにとったものをぶつぶつ煮えているソースパンに投入。次は小鍋に油を厚めに敷き、肉を揚げはじめる。
油の小気味よい音楽を聴きながらソースパンをかきまぜ、根菜の煮えぐあいをたしかめる。ちょうどよくカリっと揚がったオウルナム肉を小鍋からとりだし、余分な油を軽く切ってからソースパンへ。ここでは軽くさっと煮るくらいでいい。
オウルナムは二足の尾長竜型モンスターである。迷宮に出現するモンスターのなかでは格段に温和な性質で、半家畜化された群れがオリュリバードの低層で繁殖している。一定の大きさに育った個体を狩人が囲いこみ、捕まえるのだ。防水性のある丈夫な皮は鞄やブーツに利用されている。肉は硬いので下処理が必要だが、料理法しだいでとても柔らかくなるし、味も癖が少ない。ディーレレインではパズーと並んで一番メジャーなモンスター肉だ。
さあ、完成だ。僕は皿に肉を盛りつけ、炙ったパンを添える。小さなテーブルの真上からはジェムの明かりが完成した皿を美しく照らしている。昼飯をしっかり食べるのは大事なことだ。これからあのいまいましいザックを迎えるのだと思うと、なおさら。エプロンをつけたまま座り、フォークを持ち上げたときだった。
ダンダンダンダンダン。
扉が五回叩かれた。
僕はため息をこらえながら立ち上がり、覗き窓を確認する。白い短髪。ザックだ。
二年も北迷宮に登ってるくせに、あいつはディーレレインの昼めし時間を知らないのか? それとも食堂を締め出されでもしたのか?
そのまま扉の外で待たせておこうかと思ったが、ザックがもう一度拳をにぎるのをみて考え直した。土間へ降りて扉をあけた瞬間、ザックの左腕が僕の鼻先をかすりそうになった。
「いたのか」
「午後だといっただろう。早すぎるぞ」
ザックは呆れたような目つきになった。
「それの何が悪い」
ああ、そうか。やっと僕は理解した。こいつは王都の感覚で動いているのだ。ユグリア王国の中央では、約束の時間よりも早く訪れることが礼儀正しいとされている。特に上流階級はそうだと聞いた。
今度こそ本当にため息をつき、僕は土間のベンチを指さした。
「昼がおわるまでそこで待ってろ」
「急ぐといっただろう。早く来たんだから――」
ザックの視線が下に動いた。僕はエプロンを巻いたままの腰に手をあてた。
「僕はこれから食事だ。おとなしく待ってろ」
奥へ戻りながらエプロンをむしりとった。せっかく作った料理が冷めてしまう。座って食べはじめたものの、ザックがいることが気になって落ちつかなかった。昨日会ったときも思ったが、どうやら僕は彼の何かが気に障るらしい。
あの強引な物腰や言葉づかいのせいだろうか、見た目は悪くないのだが。そう思った自分にすこし腹が立った。黙々と皿の上の料理を腹におさめ、皿に残ったソースをパンでぬぐう。水を飲んで立ち上がったとき、土間の方からザックの唸り声がきこえた。
「痛むのか?」僕は手を洗いながら声をはりあげた。
「いや」
「幻肢はみえるか?」
「いや」
「靴をぬいで上がって。上着をとって、シャツと上の肌着も脱いでくれ」
ザックは黙ってブーツを脱いだ。施術台をさすと上着を脱ぎ、腰をおろしてシャツのボタンを外した。あらわれた体は右肩の先がない以外は見事なものだった。僕は思わずみつめそうになる視線を無理矢理ひきはがした。ザックに背を向け、道具棚からすべての種類の魔法珠を取り出す。ジョインに使った水 、碧 のほかに、炎 、琥珀 、そして闇珠 がある。
魔法珠は生成魔法特有の道具で、術者の力を対象へ移すために必要だった。力は魔法珠を通ることで対象に最適化される。
闇珠以外の魔法珠は美しい色彩に輝いていた。闇珠はすべての色を吸いこんだ艶消しの黒だ。まったく光を反射しないので、黒い穴があいているようにみえる。
どの魔法珠が対象に適合するかをみきわめるのも魔法技師の技能の一部だが、たいていは水・碧・炎のうち、強めに反応する二種の組み合わせでうまくいく。これでしっくりいかない場合は琥珀と他の三色の組み合わせで適合するものがみつかる。
闇珠はめったに使わないものだった。かつてそう教わっただけでなく、僕の経験でもこれが適合したのはひとりだけだった。
「右肩がこっちに来るようにあおむけで横になってくれ」
ザックはおとなしく横たわった。じっと僕をみている。
「これから触診をして、どの魔法珠が適合するかを調べる。そのあとで細胞賦活のテストを行う。異常を感じたらすぐに教えてくれ。口がきけない場合は左手か指をあげて合図するんだ」
「痛むのか?」
「普通は何も感じない。魔法珠が経脈を刺激するとたいていは眠くなる。目隠しが必要ならあるぞ」
「いや。俺はみていたい」
僕はうなずき、水の魔法珠をとった。鎖を手首にからめ、人差し指と中指のあいだに珠をはさむ。裸の胸の中央から腹へと手のひらをすべらせて経脈をさがす。
やがて目をとじていた。その方が感じやすくなる。へそまで達したとき、水の魔法珠が軽く反応するのを感じた。強い引きがあるわけではなく、弱い反応でしかない。魔法珠はこの肉体を認識しているが、肉体の方が応答を返していない。こういう場合は要注意だった。魔法珠の反応だけをみて、誤ったものを選びかねないからだ。
僕は魔法珠を碧に取り替え、ザックの上にもう一度身を乗り出すと、慎重に反応を調べた。水のときとまったく同じ反応だった。炎、琥珀と続けても同じで、弱い反応しか戻ってこない。適合する魔法珠は経脈の一部、僕が瘤と呼ぶ部分に強い反応点を持つはずだが、みつからないのだ。
検査であっても力は使う。僕は体を起こし、腰をのばした。そのとたんザックと目があった。まだ目覚めているとは思わなかったので焦った。
「どうした。異常を感じるか?」
「いや……」ザックの唇があいまいに動く。
「なんだ?」
「どうもその、おかしな感じだ」
「そのうち慣れる」
僕は色つきの魔法珠を台に戻すと、闇珠を手に取った。色つきに反応がないならこれを試すしかない。鎖を手首に通しながらふと不安になった。僕以外の人間が闇珠に触れるのは五年――いや、六年ぶりだ。
ザックは僕の一挙手一投足をみているようだ。視線の圧力を感じながらも、僕は集中しようとつとめた。人差し指と中指のあいだに闇珠をはさむと、正円の黒い影があらわれたようにみえた。僕はザックの上に身を乗り出した。正円の影を宿した手のひらを胸の中央にすべらせる。
反応はたちまち起きた。一瞬のうちに、手のひらから足先まで、しびれのような、ぞくっとした感覚が走ったのだ。僕は息を飲んだが、手のひらはザックの体にあてたままだった。へそまで手のひらをすべらせているあいだも、足がふるえそうな感覚が流れこんでくる。ザックの経脈に反応した闇珠が僕に反響を返しているのだ。
それはどこか甘美な、ほとんど快感に近いような独特の感覚だった。こんなに強烈な反響を感じるのはほんとうに久しぶりだ。呼吸が早くなるのを感じた。早く瘤をさがしあてなくては。へそのすこし下を押したとき、それがみつかった。
「うっ……」
うかつにも声をあげてしまったかと思ったが、呻いたのは僕ではなくザックだった。僕はそっと手のひらを離し、闇珠を握りこむ。まださっきの余波が体じゅうを巡っている。
ザックはどう感じただろう? 色つきの魔法珠の場合は、反応が強くなればなるほど対象は眠くなる。だが闇珠の場合は――僕が知るかぎり――術者にも対象にもちがう感覚が生じる。
体をおこすとザックも起き上がっていた。困惑したような顔つきだった。
「今のは……なんだ」
僕はできるだけ威厳を保って答えた。
「闇珠が経脈に反応したんだ。よかったな。これだけイキがいいなら生成魔法には十分だ」
「今のが細胞のテスト?」
「いや、今のは魔法珠の適合をみる触診で、細胞賦活を試すのはこれからだ。休憩したいか?」
「俺はてっきり――いや」
ザックは何かいいかけてやめ、焦ったような口調でいった。
「手洗いを使いたいんだが」
「あっちだ」
僕は間仕切りの向こうをさし、ザックが施術台を降りるのを見守った。冒険者の背中がみえなくなったとたん施術台に手をついて、ふるえる膝を支える。敷布に転がった闇珠が正円の影をつくるのをみつめながら、こいつは難物だぞ、と心のうちでつぶやいた。
いや、生成魔法そのものはうまくいくはずだ。魔法珠の反応が強烈なほど再生はうまくいく。問題はこっちの消耗だ。さっきのあれ――あんなのを毎回感じるなんて、冗談じゃない。
僕は憤然と立ち上がると手早くターバンを巻きなおした。ザックが戻る前におやつを食べなくてはならない。
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