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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 7.リュカーの強敵

   *  懐かしい声がきこえる。 「オスカー、もう歩いていいか?」 「まだ駄目です、少佐。子供じゃないんですから、すこしはこっちの話を聞いてください」 「ええ? いつも聞いてるじゃないか」 「何いってるんですか。こっちは爆発があったと聞くたび、気が気じゃないんですよ?」 「ははは、悪いな。でもおまえがいるから大丈夫さ。俺の魔法技師。俺のお守り」    *  ファーカル! どうしてここに? 叫ぼうとした瞬間に意識が戻った。目の前にザックの白い髪がみえた。 「大丈夫か?」 「あ、ああっ」  あわてて体を起こすと、僕は施術台の上に倒れて――いや、寝かせられていた。 「俺がなにかやらかしたらしい」  困惑した表情を隠そうとするかのようにザックが左手で鼻をこすった。彼がシャツを着ているのに僕は気づいた。肩はどうなった? 僕はいったいどのくらい意識を失っていたのだろう? 「魔法の講義をきいて、そのあとの……記憶がない。気がつくとおまえをそこに……押さえつけていた」 「それなら大丈夫だ。問題ない」  僕は早口で答え、前に垂れた髪をうしろに撫でつけた。 「記憶がないのは施術の副作用だ。たいては眠くなるといっただろう? これは細胞記憶のせいだ」 「細胞記憶?」 「細胞を賦活させたおかげで、腕が吹っ飛んだときの衝撃をおまえの体が思い出したんだ。経脈をつなげたままだったから、うっかりまともにくらってしまった。気にしなくていい。それより肩をみせろ。細胞賦活は成功したはずだ」 「肩ならもう見た」 「僕はまだだ。袖をまくって――いや、シャツをあけてくれ」  ザックは奇妙な目つきで僕をみたが、小さくため息をつくとシャツのボタンをはずしはじめた。五つばかり外れたところで僕は手を出し、襟元を広げた。腕のない肩の根元にはピンク色の組織が盛り上がっていた。成功している。初日の成果としては十分だ。  ふっと息をふきかけると、ザックの体がびくっと震えた。 「あ、悪い。痛みはないな?」 「くすぐったいんだ」 「健全な感覚がある証拠だ。よかった、うまくいって。明日また続きをやる」  ザックはしげしげと僕をみつめた。 「これで腕が……戻るのか?」 「もちろんだ。もうはじまってる。ああ、その肩は保護して……」  喋りながら僕は大釜のところへ行った。手早く頭にターバンを巻きつけ、包帯を棚から取り出す。真新しい組織を白い布で覆われているあいだ、ザックは無言だった。シャツを着るようにうながすと、何を考えているのかさっぱりわからない目つきのまま、おとなしく服を着た。 「今日は風呂に行くなよ」  僕は釘をさした。ディーレレインの公衆浴場はそこそこ清潔だが、今日のザックには危険だ。 「風呂――わかった」 「怪我にも気をつけろ。体のどこかに傷ができたら、治るまで次の施術はできない」 「そういうものなのか」 「そういうものだ」僕はくりかえした。 「残り六日で元の腕を手に入れたいなら、気をつけるんだ」 「わかった」  ザックは上着をきちんと着て、左手と口をつかってブーツの紐を手早く結んだ。片腕を失くしてそれほど時間の経っていない男にしては器用な動きだった。 「左利きか?」  店の扉をあけながら僕は何気なくたずねた。 「どちらも使える。同じ時間でいいか?」 「一刻遅い時間にしてくれ」  また昼を邪魔されてはたまらないと思ったのである。ザックはうなずいた。 「また明日」  ザックが出て行ったとたんに緊張が抜けたらしい。腹の虫が鳴くのをききながら僕はしばらく土間のベンチにうずくまっていた。空腹なのはあたりまえだ。細胞賦活に思いのほか時間がかかり、あと半刻もすれば夕食時だった。だいたい、あの細胞賦活はふつうとはちがった。全身に広がった甘美な感覚を思い浮かべて、僕は体をふるわせる。  股のあたりが気持ち悪かった。下着が汚れているのだ。なんてことだ。  だからファーカルを思い出したのか。ちがう、そうじゃない。細胞賦活の最後で気を失ったのは、ザックの細胞が記憶していた爆発の瞬間のせいだ。  またぐうっと腹が鳴った。僕はやっと立ち上がって下着を替えに行き、それから厨房に立った。  竜骨スティックをかじりながら貯蔵庫をあける。さっとできて、温かくて、スタミナはあるが消化にもよい、うまいものを食べたい。麺がよさそうだ。スープは先日市場で買ったウナイの濃縮出汁を使おう。具はパズーの燻製肉に刻んだ青菜と葱。  燻製肉をほぐしていると扉が叩かれた。三回。覗き窓にはルッカが映っている。 「これ、親父から」  ずっしり重みを感じる包みの中身は例の肉、ユミノタラスにちがいない。 「わざわざありがとう」 「いい匂いがする」  ルッカは鼻をひくひくさせた。ソリード広場で客を呼んでいる時よりさらに幼くみえた。 「夕飯を作ってたところなんだ。食ってくか?」 「いいの?」 「ああ。手伝ってくれ」  ルッカが僕の店で食べていくのは初めてではなかった。嬉々とした様子で靴をぬぎ、厨房へやってくる。 「この匂い、ウナイ?」 「大当たり」  ウナイは洞窟貝類モンスターだ。小さな巻貝で、濃縮出汁ペーストに加工されたものが市場で売られている。 「あ、その肉さ」  貯蔵庫の冷気棚にユミノタラスの包みを並べていると、背後でルッカがいった。 「親父からの伝言で、包丁じゃなくてマーリカの牙を使えって。筋を切れってさ」 「そうか。ありがとう」  出汁を煮たてているあいだに大釜に残った湯を沸かしなおし、二人分の麺を茹でた。鍋をかき回すようルッカにいって、そのあいだに青菜と葱を刻む。ジェムの明かりは植物も育てられるから、ディーレレインには小さな農場もあった。新鮮な野菜が手に入るのはありがたかった。この町に来るまで、僕の口に入る野菜といえば缶詰か乾燥させたものだけだった。  茹であがった麺の湯を切ってどんぶりに入れ、ほぐした燻製肉と野菜をのせて、塩で味をととのえた出汁をかける。ルッカはいそいそと座った。細く裂いた燻製肉を麺といっしょに啜ると、貝出汁の香りが鼻から抜け、全身に幸福感がみなぎった。 「熱い。おいしい」ルッカがふうっと息を吐く。 「オスカー、あの肉、ユミノタラスだよね?」 「ああ。ルッカはもう味見したのか?」 「ううん、祭日までとっておくって。オスカーは?」  期待にみちたルッカの目をみて、僕は思わず笑った。 「さては味見したいと思ってるな」 「そんなことないよ」 「どんな下味がいいか市場でたずねるつもりだ。リュカーに敬意を表するためにも、まずい料理はできないからな」 「リュカーって、ユミノタラスを最初に倒した冒険者の?」 「そう。ユミノタラスは別名〈リュカーの強敵〉と呼ばれていた。弱点をみつけるまで手こずったんだと」  ルッカはずずず……と音を立てて汁をすすった。 「オスカーはハイラーエ生まれでもないのに、迷宮にも冒険者にも詳しいね」 「モンスター肉について調べていたらそうなるんだよ」 「そういうもの?」 「そういうもの」  ルッカは空になった丼をとん、と置いた。 「おいしかった。オスカーが作るものはほんとうまいよ。魔法技師をやめたくなったら料理屋を開いてよ。観光客を送りこむから」  僕は笑った。 「いい考えだ。すぐ家に帰る?」 「なんで?」 「風呂に行きたいんだ。一緒に行くか?」 「行く!」  ディーレレインには公衆浴場がふたつある。どちらも観光客は来ないところだ。冒険者ギルドにも彼ら専用の浴場があるらしいが、ここは町の住人お断りとされている。  僕は髪を洗いたかった。ルッカと一緒に行きつけの風呂屋の戸をあけると、番台からおかみさんがじろっとこっちをみた。銭を置いておかみさんから男湯の籠を受け取る。脱衣場でターバンを外し、全裸になると、服と財布を入れた籠をおかみさんに渡した。  ルッカもとっくに裸になっている。木戸を抜けて湯気で空気が白くなった岩の壁の浴場へ入る。洗い場は空いていて、僕はルッカと並んで体を洗い始めた。髪はかなり短くなっていた。腰まで伸びていたはずなのに、いまは背中の中ほどまでしかない。 「先に入ってるよ!」  ルッカが背後でいい、やがてドボン、と飛沫の音が響いた。僕も洗い髪を頭の上にまとめ、広い浴槽の端に足を浸す。湯気のむこうに知った顔がみえた。エガルズ横丁の店主だ。手をあげるだけの挨拶をして、僕はルッカの隣へ行く。熱めの湯に今日の疲労が溶けていくようで、心地よい。  茹でたてのような赤い顔のルッカと浴槽を出て、木戸を抜けた。脱衣場でおかみさんに籠を返してもらい、手早く着替える。  髪を拭いていると、突然横から「きれいな髪だな」と声をかけられた。  若い男だった。初めて見る顔だ。これから風呂に入るらしく、半裸になって筋肉質の体をあらわにしている。 「なんだ?」僕はつっけんどんに問い返した。 「あ、いや……その……きれいな鳶色だと思って……」 「オスカーになんか用?」ルッカがきつめの口調で割りこんできた。 「あっ、あんた新入りだろ。冒険者ギルドの」 「ああ、そうだが……」 「おっ、ヤオ先生のところにいた新入りじゃないか」  みるからに途惑っている新米冒険者にさらに別の声がかかる。ふりむくとマシューで、元鉱夫の仲間たちがぞろぞろとあとについてくる。新入りをダシに会話をはじめた彼らを横目に僕は髪をターバンで巻き、ルッカに目配せした。  ディーレレインの住民は僕に親切だ。この町に義肢屋は何軒かあるが、生成魔法技師はひとりだけだから、というのが大きな理由にはちがいない。しかしそれだけでなく、彼らは僕の暮らし方をわかってくれている。ハイラーエの外の世界とはできるだけ関わらないようにしているのも察しているようだし、ここに来る前にどこにいたのかを詮索することもない。  体がぽかぽかと温まり、ルッカと別れて店に戻ったときはいい気分だった。僕は薬草茶を入れ、奥の階段を上った。上階は穴ぐらという言葉がぴったり似あう狭い空間だが、昔寝起きしていた船室に似ているせいもあるのか、僕には落ちつく場所だった。  今日は予想外のことが多かった。僕は岩の天井をみつめながら考えた。闇珠を使ったこと。ファーカルの声を思い出したこと。それにザック・ロイランド。  いけ好かないと思っていたのに、どうやら彼と僕は相性がいいらしい。性格の話ではなく、体質――経脈や細胞、そして力の相性だ。そうでなければあのとき、あんな……快感に襲われることはなかったはずだ。  思い出して頬が熱くなった。明日の施術で醜態をさらさないように用心しなければ。  ザックの方はどうだったのか。覚えていないといっていたから、僕と同じ……感覚は受けなかっただろう。そう思うとすこし救いになった。  生成魔法の施術効率に相性は大きく影響する。僕とザックの体質があうのなら残り六日でもどうにかなりそうだ。本当はそのあともケアしなくてはいけないのだが、向こうが望んでいないのだからそこは目をつぶるとしよう。  すべて首尾よくおわったら、ザックは無事に腕を再生してフェルザード=クリミリカの攻略へ戻り、僕は報酬をがっぽりもらって市場で高級肉とスパイスを買って――そうだ、ユミノタラスのステーキはザックの件が終わってからにしよう。その方が落ちついて味わえるにちがいない。  食べたことのない美味を想像するうちに眠くなった。僕は幸せな気分で眠りについた。

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