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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 10.リスのトロッコ線

「なんてきれいな谷!」 「すごい眺めだな」  観光客が展望台から歓声をあげている。朝の太陽に照らされたリヴーレズの谷は宝石のように輝いている。白い階段状に連るジェムの古い採掘跡は、日光がちょうどよい角度で当たると虹色にきらめく。  リヴーレズの谷に直接日が射す時間はみじかい。南北の迷宮を抱えた峰にさえぎられないのは朝と夕、正午の限られた時間だけだ。ガイドたちは観光客に、朝食のあとは最初に谷の展望台へ行くよう勧める。バルコニーのように山腹からつきでた岩のテラスから絶景がのぞめるのだ。虹色に輝く谷を堪能したあとはリスのトロッコ線に乗ってジェム博物館を見学し、それから空中庭園に行くのが定番の名所観光コースだ。  展望台を横目にトロッコ線の停車場前へ進む。今日は生成魔法のプロセスに必須の休息日で、ザックの施術をしなくていい。彼の顔を見なくてすむことに僕は内心ほっとしていた。  足元の道には瑠璃色のタイルが敷いてある。このタイルはソリード広場南西の階段からここまでずっとつづいているから、瑠璃色を見失わないように道をたどっていけば、はぐれた観光客もソリード広場に帰れるはずだ。もっともたいていの人間は町中からここまで歩いたりはせず、乗合車を使ったり、今日の僕のようにジェム動力のモーターがついた一人乗りの滑板車(キックスクーター)で移動する。  停車場は人でにぎわっていた。リヴーレズの谷の中央を横切るリスのトロッコ線は、ジェム鉱床へ向かう鉱夫だけでなく北迷宮へ渡る冒険者も使うから、夜の閉鎖時間まではひっきりなしに人が通る。  冒険者と鉱夫を見分けるのは簡単だ。重装備で大荷物を背負っているのが冒険者で、弁当の包みしか持っていないのが鉱夫。ついでに、どこか態度がでかくて偉そうな雰囲気を漂わせているのが冒険者だ。  ここへ来たのは十旬日ぶりだろうか。以前とくらべて今日はずいぶん冒険者の数が多いように感じた。荷物や上着におなじ紋章をつけた探索隊が順番待ちの列に並んでいる。僕は停車場を通りすぎ、冒険者ギルドの方向へ進んだ。フェルザード=クリミリカの攻略者は短期間にかなり増えたのかもしれない。  冒険者ギルドはディーレレインの町役場とおなじくらい立派な外見で、大きな両開きの扉には威圧感があった。中に入ったことはないが、王都から派遣される探索隊用の宿舎や浴場もここにあるときく。  ザックもここに泊まっているのだろうか。ふとそんな疑問が頭にうかんだ。  ザックはモンスター肉を一度も食べたことがないようだ。自分でそういったし、パズーの角煮に驚いていたくらいだから、きっと本当なのだろう。王都からハイラーエにやってきて、探索前はギルドに泊まり、探索後はギルドから王都へまっすぐ帰って、ディーレレインの町は通り過ぎるだけ、そぞろ歩きするしなかったにちがいない。単独行の冒険者ならたいていソザック通りに安宿をとるが、あの辺では朝晩の食事のどこかでモンスター肉に出会うはずだ。  しかし、だ。ザックはギルドではなくルッカの親父さんの紹介で僕の店に来た。なぜだ?  ギルドを通すと時間がかかるという理由だったが、考えてみると王都から派遣された探索隊、それも隊長クラスの冒険者なら融通もききそうなものだ。  考えこみそうになって僕は滑板車を止めかけたが、そのときちょうど視界の端に直売場の看板がみえた。  ザックのことなんかどうでもいいじゃないか。僕の目的はマーリカの牙だ。  冒険者ギルド直売場といっても雰囲気はディーレレインの市場と同じだった。ただ並んでいる品物がちがう。マーリカの牙はもちろん、町の市場ではみたことのないモンスターの加工品がいろいろあったし、携行食や迷宮内お役立ちの道具類も並んでいる。  直売というから安値かと思いきや、どれもけっこうな値付けだった。売っているのはギルドの人間ではなく、加工業者らしい。 「マーリカの牙がいるのかい、兄さん?」 「狩人から下ごしらえする前の肉を手に入れたんだ」 「それならこのへんのナイフだな。大きさは自分が使いやすいものを選ぶといい」  試しにいくつか持たせてもらい、僕はひらたい柄がついたナイフを選んだ。純白の刃はなめらかに磨かれ、つるりとした光を放っている。 「その小さいのは? 鎖付き?」 「万能刃だ。ベルトにつけたり、首から下げたりできる。二丁一組だ。持っておくとなにかと便利なもんだよ」 「それも買おう」 「どうも」  業者はマーリカの牙を油紙で包んだ。僕をちらりとみていった。 「兄さんは冒険者じゃないな? 前に会ったことがないか?」 「僕は魔法技師だ。空中庭園のリロイを知っているか?」 「絵描きの?」 「ああ。彼は友だちなんだ」 「なるほど」  油紙の包みとともに直売場を出たとき、視界の端を辛子色がかすめた。目をとめるようなことがあったわけではない。でも何かが気になったのだ。  こんな時は確認するのがこの町に来る前からの僕の習慣だった。きょろきょろあたりをみまわしたりはしなかった。そのかわりオリュリバードの方向へすこしだけ滑板車を走らせ、道幅が広くなったところで急に方向を変えた。  また辛子色が視界をかすめ、今度は尖った耳とあわてたような表情がみえた。  あの観光客じゃないか。  おととい、エガルズの横丁から店に戻ったとき、僕に道をたずねた男だ。辛子色は首に巻いていたスカーフの色だった。風変わりなものではなかったが、男の言動が印象的だったから記憶に残っていたのだろう。  ここは観光客がたくさん来る場所だから、ばったり会っても不思議はないかもしれない。それでもやっぱり変だと思った。ディーレレインに僕を探しに来る人間がいたとしても、こんなやり方はしないはずだ。 「オスカーじゃないか。元気か?」  ハイラーエ七不思議――とガイドたちがもちあげる空中庭園の一角で、リロイは絵を描いていた。  空中庭園はオリュリバードの入口となる一帯を占めている。オリュリバードの外観をかたちづくる峰と峰の隙間の、ぽかりと空がひらけた空間だ。三階建ての家ほどの高さがある岩がいくつもそそりたっている。岩は逆三角形あるいは漏斗型をしていて、内側は穴ぼこだらけ。その光景だけでも十分奇怪なのだが、岩の頂上には緑の草が生い茂り、色とりどりの花が咲いている。この場所だけ、一年を通して気温があまり変わらないのだ。  梯子で岩の上にあがると、展望台とはまたちがった絶景が拝める。漏斗型をした岩のてっぺんに登ると、宙に浮いた庭にいるような錯覚をおぼえる。  というわけでここは空中庭園と呼ばれ、観光名所にもなっているのだが、リロイはこの岩のひとつに住んでいるのである。  ディーレレインにはいろいろな人間がいるが、その中でもリロイは誰に聞いても「あの変わり者」といわれるような人間だ。ふだんはここへやってくる観光客の似顔絵を描いて生計をたてている。評判は上々で、王都から肖像画専門の画商がスカウトに来たというが、本人は相手にしなかった。  浮世離れしているようにみえて、ハイラーエの内外の情報にも通じている年齢不詳の男だ。痩せて長身で、どこか貴族的な雰囲気を漂わせている。  僕はリロイの隣にならんだ。彼の前に置かれた画板には美しい色彩と奇怪な形が描かれている。いったい何を描いているのか見当はつきかねた。 「リロイも元気そうじゃないか。その絵は仕事用じゃないな」 「もちろんだ。この絵具には新たな試みをしている。棘竜の爪を反応させると面白い色が出ることがわかった」  リロイはモンスターに独特のこだわりを持っている。僕は食材としてのモンスターに興味があるが、リロイはモンスターを画材だと思っている。彼は絵を描くためにいろいろな方法でモンスターを使うのだ。  僕はリロイが自分自身のために描く絵を理解したことがない。それでも僕らの会話はモンスターにこだわるという意味でだいたい一致する。いつのまにか友だちになったのはそのせいかもしれない。 「ひょんなことでユミノタラスの肉を手に入れたんだ」  僕がそういったとたん、リロイは絵筆をとめた。 「それは例の狩りの?」 「さすが、よく知っているな」 「ああ、ギルドの者たちが興奮していた。迷宮内部に動きがあるのだろうか、とね」  意外な言葉に僕は思わず聞き返した。 「動き? でも迷宮はただの岩山だろう? 大昔になにがあったにせよ、今は遺物があるだけじゃないか」 「そうでもない。モンスターには不思議なことが多いからね。単にここにしかいない生き物、というだけではない、奇妙な点がある。ユミノタラスにかぎらず、最近オリュリバードにはこれまでいなかった大きな群れが出現がするようだ。フェルザード=クリミリカに大掛かりな探索隊が入っているから、瞬間移動しているというベテランもいる」 「瞬間移動だって?」僕はあっけにとられた。「いくらモンスターにもそんなことはできないだろう?」 「昔からそう信じている冒険者や狩人がいるんだよ、オスカー。その真偽はともかく、空中庭園はディーレレインの町より迷宮に近く、迷宮には王都に住む冒険者や観光客が来る。だから私の耳には、ここに遠い王都のごたごたが持ち込まれているのがわかるのさ。グレスダ王の死からはじまった問題やら、王の秘宝狂いに影響された権力争いやらね」  リロイは絵筆を置き、画板から一歩下がった。僕は好奇心をかきたてられた。 「リロイ、僕はユグリア王国の内情に疎いんだ。王が代替わりしたときに何かあったのか?」 「グレスダ王の急死におかしな点があるという話があるんだ。五年経った今も、王都に先王の幽霊が出るという噂がある」 「そんな話、はじめて聞いたよ」 「先王には子がなかった。王位を継いだ弟王を私はそれほど愚かだとは思わないが、秘宝探索に精力を傾ける理由は、ジェムの権益を握る貴族に対抗するためもあるようだ」  なるほど、どの国にも似たような内実があるものだ。 「だから冒険者がこんなに多いのか? トロッコ線の停車場をみて驚いたよ」 「フェルザード=クリミリカでは、このところ毎日爆発があるそうだ。死者もいると聞いている。またハイラーエに刻まれる名前が増えるわけだな。冒険者たるもの、ボムは探知魔法で爆発する前に処理してほしいものだが」 「リロイ、僕は不思議なんだ」  僕はかねてからの疑問を口にした。 「秘宝とはいったいなんだ? これを使って古代の魔法や技術を取り戻せるという噂はきいたが、本当なのか?」 「少なくとも今の王はそう信じている」  リロイはまた絵筆をとった。 「ところでオスカー、その手に入れたというユミノタラスだが」  僕は間髪入れずに答えた。 「まだ食べてない。下ごしらえにマーリカの牙が必要だときいて買いに来たんだ」 「なるほど、直売場か。きみの手元にあるのは……」 「肉だけだ」僕は先回りして答えた。「リロイの役に立ちそうな部分はない」  こう答えておかないと肉をよこせといわれかねないし、それも食べるためではなく、絵具に使われかねなかった。案の定、画家はみるからにがっかりした表情になった。 「今の仕事が終わったらゆっくり食べるつもりでいる。下味は何がいいと思う?」 「ユミノタラスは肉自体の味の良さが評判だったらしい。煎酒塩だけで、薬味とソースを工夫する方がいいんじゃないか」 「やっぱりそうか。せっかくだからソースを何種類か作ってみようと思う」 「きみも芸術家になってきたな」 「ああ、ソースの色を工夫すればいいんだな。そしてリロイに絵を描いてもらえばいい」 「皿に?」 「そう」 「なるほど、それはいい考えだ。どんな色が作れる?」 「そうだな……」  僕とリロイは長々と話しこみ、それから停車場の近くの飯屋へ昼食に行った。リロイと歩いているとき、またあの尖った耳の男をみたような気がした。しかしそのあとすぐ、おなじ辛子色をしたスカーフ、いや、手ぬぐいをふりまわす観光客の一団に出くわしたから、気のせいかと思い直した。観光客はジェム博物館から戻ってきたところで、辛子色の手ぬぐいは博物館前の土産物屋で手に入れたようだった。

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