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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 13.モウルの腕

 岩壁に刻んだ狭い階段をジェムの明かりが照らしている。行きつく先はみえないが、料理の匂いと人のざわめきは階段のずっと下から響いてくる。影が動きをとめたので、僕のすぐうしろでザックが立ち止まったのがわかった。ふりむくと明かりの横にあけられた小窓から外をのぞいてとまどった表情をしている。 「どうした?」僕はたずねた。 「この岩は下の階層に突き出ているのか?」 「ああ。誰かが拳で階層をぶち抜いたみたいに岩のつららがぶら下がってるんだ。モウルの腕と呼ばれてる――昔そんな名前の冒険者がいたらしい。同じ名前の店がこの下にあるんだ。ついてこい」 『モウルの腕』に観光客は絶対に来ない。目印もないし、入り方がわかりにくいし、ガイドも案内しないからだ。  それにしても、僕はどうして今『モウルの腕』にザックを案内しているのか? 夕食をなんていわれてもいつもの僕なら断っていたはずだ。手足を再生した冒険者に礼をしたいと誘われることは何度かあったが、今までは全部断ってきた。  でもザックの施術はまだ途中だし、べクレイ市場でのことは……いや、例の油の小瓶のが頭にあったからだろうか。つまりザックが出来心を起こして明日施術に遅れるようなことにならないよう、夕食まではつきあっておこうと思ったのか。  自分がやってしまったことの理由が自分でもよくわからないなんて、変だ。しかし階段の下からいい匂いがしてくると、ザックがいようがなんだろうがうまいものを食べたい気持ちが先に立った。 「オスカー。連れがいるとは珍しいな」 「ああ、うん」  僕は店の主人のマルコにあいまいな表情を向けた。 「奥の方がいいんだ」 「いつものところが空いてるぞ」 『モウルの腕』の店内は木を組んで三層に仕切ってある。僕は岩のなかをえぐったような席にザックと向かい合って腰をおろし、マルコにたずねた。 「今日のおすすめは?」 「パズーならいつもの壺焼きだな。オズリクが入荷したから好きなものを作れるぞ。それとハクニルダーのローストも」 「ロースト?」 「小さめなんでな、ソゴニア風の丸焼きでどうだ。二人分ならちょうどいいぞ」 「じゃあそれ、それにいつもの前菜とスープで。あとは水」 「了解! 水をふたつ!」  マルコが行き、給仕の少年が水差しとつきだしの竜骨スティックを置いて去るまでザックは無言だった。 「この店はモンスター肉料理専門なのか?」  僕はすでに竜骨スティックをかじっていた。 「ああ。マルコは元モンスターハンターでね。肉の目利きとして通ってる。この店はハズレがない。パズーの壺焼きは絶品なんだが、僕は何度も食べてるから」 「……」 「町民価格だから値段の心配はしなくていいぞ。何か問題が?」 「いや」  前菜とスープが運ばれてきた。いつもながらめちゃくちゃいい匂いがする。スープはすりおろした根菜をウナイの出汁でのばしたポタージュで、前菜はパズーのモツをゼリー寄せにしたもの。僕はいちいち説明せず、さっさと食べはじめることにした。まだすこし気まずかったし、これがザックにとって初体験の食べ物だとしても、目の前で人がぱくついていれば文句もいわないだろうと思ったのだ。  ザックは左手でスプーンを握るとポタージュをすくって、舐めるようにそっと飲んだ。 「……これは」 「口にあうか?」  無言でザックはスプーンを動かした。 「うまいな」 「そうだろう。ウナイの風味が効いてる。そっちはどうだ?」  ザックは無言でゼリー寄せにスプーンをつっこんだ。僕がこの店に入れ込む大きな理由はこの前菜が食べられることにある。僕が少々料理をたしなむといっても、モンスターの内臓を無毒で処理するなんて到底無理なのだ。  たちまちザックがたいらげるのをみて僕は自分でも意外なくらいの満足を感じた。われながら単純すぎると思ったが、すすめたものが素直に受け入れられるのは気持ちがいい。 「ハクニルダーのローストです!」  素晴らしい香りとともにじゅうじゅう音を立てる皿がやってきた。たっぷり乳脂を塗りつけてこんがり焼かれたハクニルダーからはかすかに蒸留酒の香りがする。給仕の少年は切り取られた翼のつけ根から中心をまっすぐ切り裂き、席を離れた。パリッとした皮の下に汁気たっぷりの肉の層がみえ、さらに香草と根菜の詰め物がその下にのぞいている。 「皿をくれ」と僕はザックにいう。 「皿?」 「取り分ける。片手じゃやりにくい」  僕はナイフとフォークでさくさく骨をはずし、肉と根菜をザックの皿にわけ、ソースをかけた。できあがった皿をザックの方へおしやると、不自然なくらい長く僕をみてから「すまない。ありがとう」といった。 「おいしいものをおいしく食べられないのは罪だからな」  僕はそういって自分の皿にとりかかる。この香りはきっと、蒸留酒で表面をフランベしたにちがいない。パリッとした皮の下のコクのある肉の味、詰め物の根菜には刻んだ干し果物が混ざっていて、微妙な酸味と甘みが絶妙な調和をかもしだしている。うっとりしながら僕は食べつづけ、ひと息ついてやっと水を飲んだ。  と、ザックと目があった。 「どうしたんだ? 口にあわないか?」 「いや、とんでもない。王都でもこんなうまいローストを食べたことはない」 「それはよかった」  誉め言葉をきくと僕の口元は勝手にゆるんでしまう。べつに僕が料理したわけじゃないが、目の前の皿をうまそうに食べる人間には昔から弱い。 「二年も迷宮をうろうろしていたというのにモンスター食未経験なんて、どうかしてるよ。こんなにおいしいのに」  ザックはうなずいた。 「否定できないな」 「冒険者ギルドじゃぜんぜんモンスター食を出さないのか? あそこに泊まってるんだろう?」  ザックの左手が一瞬止まりかけた。 「いや」 「ちがうのか? 隊長だったっていうから僕はてっきり――ああ、いや、別にいいんだが」  ザックの表情が一瞬で無になった。胸のうちがすっと寒くなって、つぎに大きく跳ねた。僕は自分でも変だと思うくらいあわてていた。 「その腕、ボムったあとはヤオ先生に診てもらったのか」  むりやり別の話題を持ち出す。「ボムった」は鉱夫の隠語だが、冒険者にも通じるだろう。 「ああ。その時は部下が応急処置をしてくれて、南迷宮まで戻ったあとに診てもらった」 「じゃあおまえの部下はまだ北迷宮を攻略中なのか?」  これも聞いてはいけない質問だったようだ。ザックは僕をじっとみつめながらもぐもぐと口の中のものを噛みしめている。引き寄せられるように僕はザックの唇とあごの線をみつめていた。唇は薄いが、大きめで、あごから喉にかけての動きがやたらと官能的で――ちがう! 「おまえの事情に興味なんかないさ」僕は視線をずらしていった。 「腕が再生すればすぐ北迷宮へ行くっていうから、そう思っただけだ」 「ああ。俺の事情は知らなくていい」  僕は自分の皿の上をきれいに片づけた。給仕の少年が水差しと共に小鉢をふたつ運んできた。骨だけになったハクニルダーの皿と交換して「マルコからおまけだって」といった。 「おっ! ありがとう」  僕はうきうきしながら、芯をくりぬいて甘く煮た果物にスプーンをつっこむ。するとザックがふいにたずねた。 「その髪色、ユグリア生まれではないな。いつからここに?」  尋問でもするような冷静な口調に一瞬ひやりとした。 「五年前だよ。町の住民ならみんな知ってる。ヤオ先生も」 「ずいぶん馴染んでいるな」 「そりゃ、ずっとここで暮らしているからな。ここが気に入ってる。僕は海陸民なんだが、故郷の島は火山の噴火で沈んだ。ユグリア王国の前もあちこちを流れてきた」  はしょったことはたくさんあるものの、嘘はついていない。  ザックは驚いたようにまばたきした。 「それは悪いことをきいた。気の毒に」 「まさか。ここじゃおまえのような冒険者がいるから、故郷(くに)よりがっぽり稼げていい」  ハクニルダーのローストは僕のいつもの食事代より高かったが、ザックは眉ひとつあげずに払った――かなりのチップを上乗せして。マルコがやたらとニコニコしながら見送ってくれて、今度はザックが先に立ってモウルの腕の階段をのぼった。通りに出ると満腹になった僕はとてもいい気分で、ザックに手をふった。 「また明日。遅れるなよ」 「ああ」  ザックがどこで夜をすごすのかは多少気になっていたものの、二度とたずねるつもりはなかった。僕はこの男に積極的な興味を持っているわけではないのだ。だからわきめもふらずに、というと変だが、とにかくいつもの横丁へ歩きはじめた。  つけてくる気配を感じたのはどの角にさしかかった時だっただろう?  数年ぶりの感覚だったので、首のうしろが逆立つ感じとともに奇妙な懐かしさがやってきた。今回はぜったいにあの男ではなかった――辛子色のスカーフを巻いた、耳の尖った観光客。それよりもっとらしい気配だった。長いあいだ眠っていた警戒心がたちどころにわきあがった。  ついに見つかったのか。オスカー・ハクスターが生きていると気づいた者がいるのか。  落ちつけ。僕は足取りを変えず、別の角を曲がり、細い階段を上った。ひとりしか通れない狭い通路にさしかかるとつけてくる気配は遠くなった。襲撃するつもりはないらしいと僕は見当をつけた。  それならここはまいてしまおう。  僕は足を速め、ソリード広場への長くてややこしいルートを歩き、つけてくる気配が完全に消えるまで人混みに紛れた。いつもの横丁へたどりつくまで、ずいぶんな遠回りになった。帰りついた店はいつもと同じで、中も外も何の異常もない。  僕は施術台の前で腕を組み、つけてきた気配のことを考えた。  いったい何が目的だろう? この前迷い込んできた観光客といい、ディーレレインに来てこのかたこんなことは初めてだ。いや、あの耳の尖った男だって観光客ではないのかもしれない。だがあいつは少なくとも僕の店がこの通りにあると知っている。では今日の気配は別口か。  ここ数日のあいだに僕は何をやった? ザックの施術をはじめた、それだけだ。しかもまだ終わっていない。  ザック。  またあの冒険者に思考が向いたのに僕はすこし苛ついた。そういえばあいつ、アディロの油をどうするつもりだろう。自分で使うとか? 自分で――  そのとたん施術台に横たわるザックの裸の背中がみえた気がして、僕は飛び上がるようにその場を離れた。  あいつのことを考えすぎだろ、オスカー!  僕は自分で自分を叱った。早く仕事をすませてしまえ。

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