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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 15.エー=ケゴールのターバン

 すみやかにみつけなくてはならないものがあった。竜骨スティックを咥えたまま、僕は上階のベッドの下に手をつっこみ、びっしり刺繍がほどこされた布包みをひっぱりだす。葉脈の模様で飾られた布をほどくと、ほんの一瞬、海の匂いを嗅いだように思った。  錯覚だとわかっていた。これを故郷から持ち出して何年になるだろう。ここにあるのは僕が一生身に着けることも、誰かに贈る機会もなさそうな布きれがほとんどだ。しかし山のいちばん下には探していたものがあった。  僕は施術台の上にあぐらをかき、魔法珠をおさめた箱をすぐ横に置いて、銀糸が織りこまれた藍色のターバンを膝に広げる。ターバンは僕が使っているものより分厚く、二重になっている。  僕は裏地を縫いとめている糸を慎重にほどきはじめた。故郷の島から持ち出したこのターバンは昔から儀式のときだけ使われるものだった。エー=ケゴールのターバンと師匠は呼んだが、名前の由来は聞いていない。  表地と裏地のあいだに指を入れ、ターバンの布とはまったくちがう感触の、うすい布状のものの存在をたしかめる。破ってしまうと大変なことになるから、もうすこし裏地の糸を解いて、慎重に取り出す。赤みがかった茶色の織物があらわれる。僕の髪とおなじ色だ。おなじものでできているのだから、当然だ。  僕の故郷は海陸民たち――大陸沿岸にちらばる島々に住む者たち――のあいだで、生成魔法の使い手を多数生むことで知られていた。僕とおなじように力を髪に貯める血統である。いま僕の膝にあるのは、今は亡き生成魔法技師たちの「髪の織物」だ。布をなす一本一本の髪に生成魔法の極意がこめられ、おなじ血統の魔法技師にのみ内容を明かす。  生成魔法で困った時はこれに聞け、といって師匠がくれたものだった。別れぎわに突然押しつけられたのだ。海が火を噴いて故郷の島が沈みかけ、沿岸諸国へ逃れたときだった。  僕も含めて島の生成魔法技師はそのあと全員、身をよせた国の軍隊に徴用され、ちりぢりになった。師匠の消息もそれきりわからない。  しかたがないさ。しめっぽくなるのはおわりだ、オスカー。  僕は闇珠以外の魔法珠を手のひらに転がして、織物を読み解きはじめた。「髪の織物」にたずねるのは久しぶりだった。一種の呪物ともいえるが、ようするにこれは僕の先達、先祖にあたる生成魔法技師たちが残した知恵の集大成なのだ。  僕はこれをたやすく使える。魔法珠を握り、問いを心で念じながら織物をなぞっていくと、天啓のように答えが閃く。もっとも先輩たちはぼんやりした問いには答えてくれないから、僕は何を問うか真剣に考えなければならない。  ザック・ロイランドの腕を再生する仕事には最初から不審な点がたくさんあった。冒険者ギルドではなくルッカの親父さんから話がきたのはなぜか。地位があり、先王の紋章を身につけているくせに単独行を図るのはどうしてか。なぜ媒体に闇珠が選ばれたのか、彼と経脈をつなげたとき、僕にどうしてあそこまで強い反応が起きたのか。  あいにく「髪の織物」の先達はこれらの問いには答えてくれそうになかった。生成魔法そのものとは関係がない、とみなされたにちがいない。最後の問いも無視されたのは残念だったが、つぎに僕はこう念じた。 (相手の体が外部から干渉を受けていたら、生成魔法の施術にはどんな影響がある? たとえば何かの呪いがかけられていたら。〈生成〉が起こりかけたその瞬間に邪魔をする、なんてこともあるのか?) (それは呪いではなく祝福……)  今度はすぐに答えが浮かんだ。まさしく天啓のように。  祝福だって? (呪いで術が阻害されることはない。〈祝福〉は古代から残された唯一の魔法と伝えられ、対象の守りとして与えられた刻印である。〈祝福〉は対象に危機が迫った時、経脈の流れを維持するよう働く。〈祝福〉は〈生成〉の際に発生する経脈の変動を異常ととらえ、〈生成〉を妨げる) (祝福された者に〈生成〉を起こすには、術者は〈理=解(リ・カイ)〉から〈溶=解(ト・カイ)〉へ達する必要がある。〈溶=解〉によって〈祝福〉はいったん中和され〈生成〉後の体内で回復する。〈祝福〉を行使できる者はきわめて少ないため〈溶=解〉の技法は忘却されつつある)  きわめて少ない? ここにいたじゃないか!  でも〈溶=解(ト・カイ)〉なんてこれまで聞いたこともない。ザック・ロイランド、おまえはなんて面倒くさいやつなんだ!   僕は悪態をつくのをこらえて次の問いを念じた。 (〈溶=解〉のやり方は?) (〈溶=解〉は〈祝福〉をなだめ眠らせる技法ともいえる。術者は〈理=解〉の頂点で対象を術者自身に惹きつけ〈生成〉へ至るまさにその時、自分自身を対象に解放し、溶けこませる)  なんだよこの答えは。僕はだんだん腹が立ってきた。抽象的すぎてわけがわからない。いくら生成魔法が人間の浅薄な考えを超えた「思惟」にあるといってもだ。  はっきりいおう。僕はこれまでただ一度も生成魔法に失敗したことがないのだ。もちろん、最高にうまくいくときと、そこそこのときがあるのは認めるが、島にいたときも、島を出たあとも、軍に入った時も、ファーカルが死んでディーレレインにたどりついたあとも、生成それ自体に失敗したことはない。今回だって絶対に失敗したくない。ザックに力及ばない魔法技師だと思われるなんて、絶対にごめんだ。しかし聞いたこともない技法が必要になるのなら……。 (〈溶=解〉に至るとき、術者は感覚を意思で制限してはならない。表層的に感じるものすべてを対象に投げ与え、一体となり……)  感覚を制限、か。  僕は先達の知恵を膝にのせたまま、これまでのザックの施術を思い返した。闇珠でザックに触れるたびに困惑するのは、経脈をつなげるたびにあの……快感がやってくることだ。  今の僕はこれは闇珠が触媒になるせいだと見当をつけていた。ファーカルに施術する時もいつもそうだったし、ファーカルの他に闇珠を触媒とする人間には会ったことがない。  そして、たしかに僕はザックの施術のあいだじゅう、あの快感を……こらえようと努力している。当然だ。ザックはただの依頼人だ。経脈をつなげたからって自分のそんな……そんなものをさらけ出すわけにはいかない。  考えすぎて頭がぼうっとしてきた。僕は髪の織物をターバンにくるみ、施術台に背中を倒して伸びをした。意外に寝心地がよかった。  この施術台はここに店を出すと決めたとき、大工に特注してこしらえたものだ。その時もルッカの親父さんがあれこれ手配してくれたが、自分で横になることはないから寝心地なんて考えたこともなかった。これなら施術のあいだ眠ってしまう客が多いのもうなずける。  そうだ、眠るといえば、今日のザックはどうだったんだ?  あの透きとおった腕が現れたとき、ザックに意識はあったのか?  正直な話、もう何も考えたくなかった。先達の教えから推測できるのは、ザックがふたつの性質を(ひとつは闇珠を触媒にすること、もうひとつは〈祝福〉があるらしいこと)もっているために、〈生成〉に至るのが大変だ、ということだ。なんて面倒なものを引き受けてしまったのか。  僕は足を曲げ、頭を抱えるようにして、施術台の上で丸まった。昼ごはんも食べていないのに眠気が襲ってくる。 (オスカー)  夢とうつつのはざまでファーカルの声がきこえた。 (おまえがいて嬉しいよ)  僕は嬉しくないです、少佐。  とろりとした夢の気配に包まれながら、僕は幻の声に文句をいった。 〈祝福〉が誰かを守る魔法だというのなら、あなたこそふさわしかったはずなのだ。あなたを再生できるのなら、僕は〈溶=解〉だろうが解放だろうがなんだってやっただろう。あなたこそ守られるべき人だった。  あなたがいなくなってから、僕にはもう嬉しいことなんて何もない。どうしてくれるんです? 答えてくださいよ、少佐。

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