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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 18.デビアサーヴァの亡霊

 翌日の朝、始業刻のすこし前にルッカが店にきた。 「オスカー、大丈夫?」  ディーレレインの町中で強盗騒ぎなんてめったにない。昨日の襲撃については夜のあいだにルッカの親父さんへ知らせが入り、ガイドのあいだでも知れ渡っているという。 「冒険者くずれの逆恨みだって? 警備隊から人相書きが回って来たから、すぐに捕まるよ」 「そう願うよ。その包みは?」 「おっかさんからお見舞い。オズリクのチーズだって」 「オズリクの? 珍味じゃないか! いいのか?」  オズリクは竜類モンスターで唯一、仔を育てるために乳を出すモンスターだが、狩って肉をとることはできても、囲いに入れて飼えないために搾乳が難しい。しかしこの乳で作ったチーズは山羊のチーズとはくらべものにならない芳醇な味わいだ。贅沢なものだから、この五年のあいだに僕が食べたのは二度くらい。 「元気だしてってさ」ルッカは真面目な表情でいった。 「そうだ、ヤマガラシも入れといたって」 「ヤマガラシ! 欲しかったんだ。どうしてわかったんだろう?」 「バーチから聞いたって。市場でもオスカーのこと、話題になってるらしいよ」  お礼としては少なすぎるが、僕は昨夜の焼き菓子を二切れ包んでルッカに渡し、通りに出て見送った。少年とすれ違うように背の高い人影がやってきた。 「ザック。時間ぴったりだな」  冒険者の白い短髪を確認したとたん、僕は不思議とほっとした気分になって自分から声をかけていた。きっと昨夜眠るまえにあれこれ考えてしまったせいだ。たとえばナイフを使う男どもとザックが大立ち回りをやらかしていたら?――と想像していたのだ。  ところがザックは僕の顔をみたとたん、あわてたようにこっちへ駆け寄ってきた。 「何があった、オスカー?」  僕はまばたきした。そりゃあったけど――と思った時、ザックの指が僕の頬をかすめた。 「傷がある」 「……かすったんだ」  心臓がどくんと跳ね、僕はびくっとして身を引いた。ナイフを突きつけられたなんて、いうつもりはない。もちろん腕を再生するなと脅されたことは問いただすつもりだった――再生が終わり、報酬をもらったあとで。でも先にまず施術だ。 「僕のことはいい。早く用意してくれ。今日も昨日と同じように目隠しをするが……」  話しながら店に入り、ザックが靴を脱いで施術台のある奥へ行くと、僕はふたつめの鍵をかけた。施術の最中に誰が来ても答えることは絶対にないが、扉を破って押し入られたらと思うとぞっとする。今日は警備隊が交代で見回るといっていたから、そんなことはできないだろうが。  とにかく今日こそは〈生成〉に導くのだ。〈祝福〉と〈|溶=解《ト・カイ》〉について例の織物がくれた助言というか指針のことだって、目が覚めたときにじっくり考えた。 (術者は〈理=解〉の頂点で対象を術者自身に惹きつけ〈生成〉へ至るまさにその時、自分自身を対象に解放し、溶けこませる)  自分自身を対象に解放し――というのは、つまり経脈のつながりを維持して〈生成〉へ至るとき、力を無意識に制限するな、という意味ではないか。闇珠の媒介のせいか、経脈をつなげると僕の方に反応が――無用な快感が戻ってくるから、膝や足が震えたりする。ああいうことが僕の集中をそぎ、力を制限しているのかもしれない。  そうだとすれば、ザックを施術するときの自分の体勢を考え直す必要がある。 「今日は施術の途中、おまえの体に重みをかける――押さえつけるような形になる場合がある。必要でやることだから、急に起き上がったりとか僕を跳ね飛ばしたりとか、そういう抵抗はしないでくれ。重要なことなんだ」 「わかった」  ザックは落ちついた声でそういうと施術台に横たわった。僕はその横で清潔な敷布を広げ、彼の胸から下半身を覆った。さらに洗いたてのターバンでザックの両眼からひたいを二重に巻く。  布で体の大半を覆われて横たわる男の姿に、ふと記憶の片隅をひっかかれるような既視感をおぼえた。僕は首をふって魔法珠の箱をとった。 「それでは、はじめる」  闇珠を指のあいだにはさむと、僕は施術台にのぼり、ザックの脇腹のすぐ横に膝をついた。肩以外の部分に触れないように、ザックの体を斜めに横切るように手を伸ばす。  指のあいだの闇珠は今日はいつもより暖かく、生き物のようなぬめりを帯びていた。魔法珠はただの宝石ではないから、日によって異なる感触があるのはふつうのことだ。でも今のような感覚にはおぼえがなかった。闇珠がザックに触れるのを待ちかまえているような気がしたのだ。  右肩に手のひらをあてたとき、ザックの顎がぴくりと動いた。闇珠の反応は昨日よりさらにすばやく、経脈がつながるのとほぼ同時に薄墨色の膜がザックの顔や胸を包んだ。大きな泡に飲みこまれていくようだ。ザックの体に覆いかぶさるように触れている僕も薄墨色に飲みこまれていく。  予期していたとおり、あの感覚もやってくる。でも今日は強く打つような調子ではなく、細かい波のように、小刻みに心地よさが押し寄せてくる。知らず知らずのうちに、僕の体はザックにのりあげたように重なってしまったが、冒険者の呼吸はすでに深く眠っている人のものだった。  僕は自分の中に打ち寄せては戻ってくる感覚の波にさからわなかった。ザックの肩に触れている手のひらに集中し、いつのまにか集中しようとしていることも忘れた。闇珠のつくる泡の膜は僕と僕が触れる男の体全体を包み、いつもの店の風景から僕を完全に切り離した。  とくん、とくん……内側を疼くような快感の波のはざまで僕はそっと息をつき、すると周囲にある薄墨色の膜がさわさわと揺れる。もうすぐとわかった。〈生成〉の瞬間まで、あと一歩……。  そのときまた薄墨色の膜が揺れた。僕が重なっている男の肩で、ぬるりと何かが動いた。  細長い胴の先端で丸みをおびた頭がもちあがり、赤い点がふたつ輝く。その胴の周囲では尖った細長い葉か蔓のようなものがさらさらと揺れた。あっと思った時、蔓は皮膚から僕の手のひらへ、さらに周囲を包む薄墨色の膜へ、流れる水に乗るように移動していく。蔓のあとを追うように蛇の頭が僕の手のひらをつついた。魔法珠に似た輝きをはなつ、ふたつの赤い眼。僕はそれを正面からみつめ――  ハッとしてあたりを見まわすと、僕はローブを着てたくましい男の体の上にのしかかっていた。 〈生成〉直後の興奮と闇珠がもたらした反応が重なって、吐き出すところのみつからない欲望で体のあちこちが疼くのを感じる。皮膚全体が敏感になって、ゆったりした服が擦れるだけでもおかしな声がもれそうになる。  ひめやかな欲望にこたえるように下にいる男の腕が背中にまわった。ぐっと抱きしめられると僕は安堵の吐息をつく。 「ファーカル、右は再生したてのほやほやです。強くしないで……」  そう口に出してから、僕は自分の言葉に驚く。すると重なった胸がふるえ、下にいる男が笑うのがきこえた。 「どうした、オスカー?」 「ファーカル……」  勝手に手が伸びて、上官の顎をなぞってしまう。生えかけた髭が指先にざらざらした感触を残す。これは実体だ。僕らはどこにいるんだっけ? 「まるでデビアサーヴァの亡霊をみたようじゃないか」  ファーカルがいった。小さな窓から外の光が入ってくる。今は寄港中だったと僕は思い出す。他の隊員は全員陸へあがっている。いま船にいるのは僕とファーカルのふたりだけだ。 「亡霊なんていませんよ。デビアサーヴァって誰です?」 「人じゃない、町だよ。そうか、おまえは知らないんだな。ギドレフが包囲されたとき何十人も爆死したところだ。バラバラになっていて、まとめて葬るしかなかった。政府はデビアサーヴァに大きな塚を作ったんだが、やがて亡霊が自分の体をさがして歩き回るようになってな」  僕がファーカルに出会う前の話だ。そう思うと胸の奥がきゅっと縮むような気がした。僕が彼の部隊に配属されたのは三年前のことだ。部隊が正式な爆弾処理班になった一年前から、僕は彼専属の魔法技師になった。 「そのころは……僕は子供でした。まだ島にいた」 「だろうな。俺が新兵の時の話だし、そのあとすっかり尾ひれがついて、面白い話になってな。聞きたいか?」 「少佐の話ならなんでも聞いてあげますよ」  ファーカルはいたずらっぽい笑みを浮かべる。僕よりずっと年上なのに、そんな表情をすると少年のようだ。 「亡霊は最初、自分の体を求めて町をさまよっていただけなんだが、そのうち人を襲いはじめた。足りない部分を奪うために。そんな亡霊が他にもあらわれた。だんだん大騒動になって、困った政府は魔法技師を呼んで――」  思わず僕は聞き返した。 「魔法技師を?」 「ああ、おまえのような凄腕を。で、亡霊の体を再生しろと命令したんだ。魔法技師は困惑したが、やってみます、といった。そして月夜の晩、町の人間に見守られながら、塚に座って亡霊を呼んだ」  ファーカルの声が低くなった。 「大地に散らばったおのれの体を求めし者たちよ、我が再生してやろう」  ファーカルの指が僕の顎をなぞり、首筋をつうっと下がった。快感がぞくっと背中を駆け下りて、体が勝手に揺れてしまう。 「すると雲のように魔法技師の上に集まった亡霊が、恐ろしい声で呻きながら食いつくさんとばかりに襲いかかったんだ。見物人は目を閉じた。ひどいことになったと思ってな。ところが魔法技師は恐怖で叫ぶこともなく、気がつくと亡霊の呻き声もしない。我慢できなくなった者が目をあけると、手足のそろった亡霊が魔法技師の前にぞろぞろ立っているじゃないか。そして一列になって塚の中へ行進していった、とさ。一夜にして魔法技師の髪は真っ白になったが、デビアサーヴァから亡霊は消えた」  ファーカルの眸が愉快そうにきらめく。 「面白い話だろ?」 「作り話ですね」僕はわざとつんとしてこたえた。 「魔法技師は死んだ人間を再生なんてできません」 「そうか?」 「そうです。だからくれぐれも気をつけてください、少佐。次の任地では僕も処理についていきます」  ファーカルは真顔に戻った。 「駄目だ。おまえは連れていかない」 「ナイフなら僕も得意ですよ。少佐はいつもナイフしか使わないでしょう?」 「駄目だといったら駄目だ。もしおまえがふっとんでみろ、誰が俺の腕を元に戻すんだ?」  あなたがそんな目に遭うのだって嫌です、と僕はいいたいが、歴戦の軍人の圧力に負けて黙ってしまう。ファーカルの指が僕の髪をかきわける。いつもは手のつけられないような巻き毛だが、生成を終えたばかりの今はまっすぐに伸びている。  大切なものを撫でるようにファーカルの両手の指が背中を下がって、僕の体はまた熱くなってくる。亡霊話のあいだは落ちついていたのに、こんな風に触られるとたまらない。無意識のうちに、ねだるように腰をゆらして、下にいる男に体を押しつける。ローブを着たままでも股にあたるものがいきり立っているのがわかった。 「少佐……」  僕はささやき、男にかけられた敷布をはぎとる。いつもの施術ではこんなことしないのに、どうして今日は敷布なんてかけたんだろう? ファーカルの手がゆるんだすきに僕はローブの前をあけ、肩から落とす。 「抱いてください」  今度はファーカルは黙っている。それどころかためらうように固まってしまった。いつもなら自分から僕のローブを脱がせにかかるのに。それでも僕はボタンを外し――自分のも、少佐のも――着ているものを脱ぎ捨てる。腹の上に座って足を広げ、うしろ手に男のものを握ってしごきながら、腰を上下に動かした。 「ん……」  男が気持ちよさそうに低い声をあげた。尻のあいだを堅い楔が擦っていくと、僕のものも我慢できないように濡れてきて、男の腹の上でぶるぶる揺れた。それを男の眸にみつめられて、急に恥ずかしくなる。触ろうと手を伸ばしかけたが、男が先に手をのばし、前後から僕を弄りはじめた。 「オスカー……」 「あっ、うんっ」  前を弄る手が乳首をつまみ、僕は小さく声をあげる。くるっと視界が回る。男が体を起こし、上に乗っていたはずの僕はいつのまにか背中を敷布につけている。のしかかる体をうけとめるように両腕を太い腰に回す。熱く太い雄の肉棒が僕の尻を押し広げるようにしてゆっくり入ってくる。 「あ……ああ……」  僕は息を吐き、ふいに、こんなふうに中に受け入れるのはずいぶん久しぶりだと思った。  変だ。僕はファーカルとずっと、一緒にいるのに……何度もこうやって、夜を過ごしてきたのに。  そうやって意識がそれたのもつかの間、なじんできた雄がぐっとおしこめられ、僕の秘密の場所をえぐる。 「あああっ、あ―――」  白い快楽の火が頭のなかではじけとび、喉から獣のような声が漏れた。 「あんっ、ああっ、はっ、だめ、ああああっ、あああんっ」  腰をうちつけられるたび、まるで溶けていってしまいそうだった。喘いでいるのか叫んでいるのかもわからない。  快楽に流されるまま僕は薄目をあけた。あたりは薄墨色に包まれていた。僕を抱く男の首から上は薄墨色に隠されてみえない。墨の中に赤い点がふたつ、ちかりと光った。薄墨のなかを影の色をした蛇と蔓が泳ぎ、男の右腕にすべりこんでいく。突然、雲が割れるように男の顔を覆っていた薄墨色が消えた。両眼は暗色のターバンで覆われているが、白い短髪と褐色の肌が対象をなし、ひたいを古い傷跡が横切っている。  僕の中でぷちんと何かがはじけ飛ぶ。  ファーカルじゃない。僕を抱いているのは、ザック……。

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