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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 22.ユミノタラスのリオゼ・ロースト

 ザックに置き去りにされて、僕は裏切られたような気分だった。  たぶんそんな風に感じるのはおかしい。僕はザックが望む期限までに右腕を再生し、ザックは十分な報酬を支払った。高価なルキアガの鱗までくれて。  大金と高価なモンスターの鱗を抱えているというのに、僕はしみったれた気分で自分の店に戻った。扉をあけて、鍵をしめて、ジェムの明かりが照らすなか、厨房のテーブルに座る。空腹ではなかった。一日はまだはじまったばかりだ。  ザックが黙っていなくなったのは、僕がついてくるのが鬱陶しかったからだ。ルキアガの鱗をよこしたのは、これだけ高価なものなら、いくら欲張り、がめついと噂のある魔法技師も満足すると考えたから――そういうことだろう。労せずにルキアガの鱗を手に入れて喜ばないディーレレイン住民なんているだろうか? レアモンスターの鱗や鉤爪はただの金よりずっと価値がある。冒険者にはたっぷり請求するのがモットーなのだから、僕は単純に喜べばいいのだ。  ザックはどうみてもわけありの男で、しかもその「わけ」は簡単なものではなさそうだ。世間知らずというか、相当な身分がある者のふるまいをして、体にはあの蛇と蔦――〈祝福〉を宿している。そんな男が追われているのだか追っているのだか知らないが、とにかく急いで北迷宮に行きたいというのだから、彼が抱えている「わけ」は僕のような脱走兵の流れ者とは格がちがうはずだ。  この町では時間の感覚が狂う。ザックはそんなことをいった。  彼はなぜ単独でフェルザード=クリミリカへ行こうとしているのだろう。他の冒険者と同じように迷宮の秘宝を探すため? それとも他の目的があるのだろうか。  僕が闇珠のことを話していれば、ザックもあんな風に消えなかったかもしれない。どうしてさっさと話さなかった?  僕はルキアガの鱗を袋から取り出し、ジェムの明かりに透かした。宝石も同様に扱われるものをこうやって無造作によこすなんて、ザックはどうかしている。  僕はほんとうに、こんな貴重品をもらえるような仕事をしたのだろうか。  右腕はたしかに生成できた。しかし闇珠はザックの経脈に干渉して、何かまずいことをやらかさないだろうか。冒険者の探知魔法は、自分の経脈を操って〈タリヴェレの経路〉を構築し、これを使って岩の中や土の下など、見えない場所にある実体を捕える。経脈を操るとき、闇珠が影響しないとどうしていえる?  もしザックに探知魔法が使えなかったら、僕は失敗した、ということになる。  その時やっと、なぜザックに話せなかったのかがわかった。僕はこれまで生成魔法に失敗したことがない。探知魔法を必要とする軍人に「完全な手足」を取り戻すことが何年ものあいだ僕の使命だったし、僕は一度も失敗しなかった。だが闇珠がザックの体内に吸い込まれるなんて予想外の事態が起きて、僕はどうしたらいいのかわからなくなったのだ。  、というのはただの可能性だが、僕は可能性を認めるのも嫌だった。だからとにかく、ザックが魔法を使えるかどうかにこだわった。  再生した腕による魔法のテストはいつもの手順だから、というのもあるけれど、ふだんの僕にとっては、テストは確認のプロセスにすぎなかった。僕はいつも完璧な生成をなしとげたと自負していたし、それは常に正しかったからだ。  自分自身に確信があれば胸を張っていられる。でも今回の生成はそうではなかった。  そうだ、僕はまだ仕事を終えていない。だからこんなに……こんなに胸が重苦しいのだ。  せめてザックが探知魔法を使えるかどうかをたしかめたかった。魔法が使えるのなら、闇珠についてはとりあえずそのままでいい。  そうでない場合は?  岩盤が吹きあがるように爆発し、土煙が上がる中ザックが壁を転げ落ちる。そんな想像が浮かんで胸がさらに重くなった。。戦場でもないのに、そんなことで死んではならない。  その瞬間心が決まった。ザックを追ってフェルザード=クリミリカへ行こう。迷宮の入口、シルラヤの岩壁の昇降機までなら、冒険者の技術がなくてもたどりつける。  ザックに追いついて、問題がなければそれでよく、問題があれば――その時はその時だ。とにかくザックを追いかけてたしかめることだ。  そうと決まれば準備をしなければ。  迷宮探索に行くわけじゃないが、野営の用意は必要だろう。毛布と水と食料と、その他こまごまとしたもの。食料は日持ちがする、簡単に食べられるもの。  僕は貯蔵庫をあけた。パズーの燻製は残り少ない。塩漬け肉は塩抜きしないと食べられない。他に手持ちのモンスター肉といえば――  ユミノタラス。  これを迷宮に?  もったいないという考えと、すぐにザックをみつけられるかどうかわからない、という思いが交差した。でもどうやって持っていく?  リロイに相談したときはステーキにするつもりだった。僕は時計をみた。服やその他、そろえるものがいくつかある。準備しながらローストして持っていこう。もしリスのトロッコ線あたりでザックを捕まえることができて、何の問題もなかったら、リロイと一緒に食べればいい。  考えがまとまるとすぐに動けた。僕は冷蔵棚からユミノタラスの肉を取り出した。  板にのせ、マーリカの牙を使って腱を細かく切る。ふつうの包丁なら大変だったかもしれないが、マーリカの牙ならタッタッタと手を動かすだけでよかった。  ユミノタラスの肉はピンクがかった橙色で、パズーにもオズリクにも似ていない。塩をたっぷりふり、大蒜と乳脂を肉全体になすりつけて、全体を糸でさっと縛る。肉をなじませているあいだに、貯蔵庫の隅でしなびていたリオゼの皮をむき、中身を荒く刻んだ。リオゼの実はたいていのモンスター肉と相性がよく、ローストがほどよい柔らかさで仕上がるのだ。  熱くした鉄鍋で肉塊の表面に焦げ色がつくまで焼く。それだけで涎が出そうな匂いがするが、モンスター肉は少数の例外をのぞいてしっかり火を通さなくてはならない。肉が色づくのをみはからってリオゼの果肉を加え、鍋ごと天火に入れた。  さて、肉を焼くあいだに他の荷物をそろえよう。  僕は上階にのぼり、寝台の下に腕をつっこんだ。奥まで肘をのばすと、何年も前にここへ押し込んだきり忘れかけていた背嚢をひっぱりだす。さらに軽くて暖かく、畳むととんでもなく小さくなる毛布も。冒険者の装備に似たようなものがあるのは知っているが、僕のこれは軍隊時代のものだ。  背嚢を階下におろしてから、一度天火をたしかめ、鍋の肉をひっくり返した。肉の下で乳脂とリオゼの果汁がぐつぐつ煮えている。とんでもなくいい匂いだ。持っていく物をかきあつめ、背嚢に手早く詰めていく。  ひどくなつかしい感じがした。ディーレレインに来る前は、急な移動のために荷造りすることが何度あっただろう。背嚢のポケットにふたり組から奪ったナイフを差し、アララネ印のロープをひと巻入れる。冒険者が壁登りに使うものではないが、ロープは何かと必要だ。折りたたみ式の小鍋に薬草茶、携帯用のコンロとジェム、「髪の織物」を縫いこんだターバン、魔法珠の箱。  必要なものを探して手を動かしていると不安が薄れて、逆に気分があがってきた。興奮するな、と自分にいい聞かせる。気分が上がったり下がったりしすぎると、あとできまって調子が悪くなるからだ。ザックを探しに迷宮へ行く程度なら大丈夫だろうが――そうだ、数日留守にするとルッカの親父さんに断っておかなくては。  もう一度天火をのぞき、肉に串をさす。透明な汁が流れ出る。よし、できた。  肉を皿にのせて冷ますあいだに、僕はローブの下の服を厚手のものに変えた。マーリカの牙の万能刃も首にかける。二日前もこうしていればよかった。ナイフがあれば、あの連中を警備隊に突き出せたはずなのだ。  大金とルキアガの鱗をどうするか迷ったが、寝台の下の布包みにしまっておくことにした。僕は布袋にルキアガの鱗を数えて入れた――全部で十二枚。ところが、眺めているとあまりにもきれいで、ずっと見ていたくなってしまう。僕はターバンをほどき、一枚だけ中に隠した。  店を閉める前に、隣家のレイリンへルッカの親父さんまで伝言を頼んだ。ついでにパンを分けてもらったので、まだ温かいリオゼ・ローストを数枚薄く切ってパンに挟んだ。残りの塊は汁がこぼれないようぴったり二重にくるみ、背嚢にしまいこむ。  よし、これでいい。  僕は滑板車(キックスクーター)に片足をかけ、リスのトロッコ線めざして走り出した。

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