24 / 98

第2部 ユグリア王国の秘儀書 2.ザック:トスキエラ訓練所

 青空の下でユグリア王国の旗が強い風になびいている。 「本試験――はじめ」  いかめしい表情の監督官が高いところから大声でよばわった。白線にずらりと並んだ訓練生が弾かれたように走りだし、自分に割り当てられた模造岩へ駆け寄る。ザックも全速力でごつごつした白い立方体へ走った。背中で装備袋が揺れる。立方体の高さはザックの背丈の二倍ほどで、幅は三歩ほどだ。最初は立方体から二歩ほど離れて立ち、観察する。表面に触るときも、体は離した状態のままだ。右手のひらだけを岩にぴたりとあわせる。  その瞬間、首筋が逆立つような感覚がおとずれた。タリヴェレの経路――教官がそう呼ぶものが体の芯から指先へとつながる。本来人間の目が届くはずのない模造岩の内部にザックの感覚が侵入する。 「ボム探知――解除開始」  いったん手を離し、装備袋から長い釘を抜き取る。どこまで打ち込めるかは探知の精度にかかっている。内部に埋まる物体にわずかでも釘が触れれば、試験用の模造岩は黒煙を吐きながら割れる仕組みだ。しかしザックはためらいなくハンマーをふるう。釘の先端をボムと岩のあいだのほんのわずかな空洞で止めたあと、釘を引き抜き、解除用のワイヤーを差しこむ。  しかしザックに焦りはない。目にみえるかのように指先にボムのありかが感じられるからだ。数回まわすだけで、ザックのワイヤーは起爆装置を絡めとる。 「第1岩、確保」  声を発するとほぼ同時に爆音が響いた。早くも失敗した者があらわれたからか。ザックは眉も動かさずに、解除したボムの釘穴に足掛かり用の楔を打ち込んだ。装備袋からロープを引き出し、のぼりはじめる。  冒険者になろうと決意して訓練所を訪れるまで、ザックは自分が魔法なるものと縁があると思ったことはなかった。  だが試験を監督する教官は、ザックが訓練所に通いはじめて数日のあいだにその才能を見抜いていた。トスキエラ訓練所の設立は五十年前にさかのぼる。教官は王族も含め、多数の訓練生を相手にしてきた。いまも記憶に残るほど優秀な者とくらべても、ザックの素質は飛びぬけていた。  高所から試験の進行を眺めながら、教官は満足の吐息をもらした。ハイラーエの迷宮探索を率いるには、探知魔法に長じているだけでは足りない。パズルを解くように岩壁を昇り降りし、不測の事態に対応できる頭脳と、柔軟で強靭な肉体が必要だ。ザックはどちらも兼ね備えている。  今でこそフェルザード=クリミリカの攻略にはジェムを動力とする便利なギアを使えるようになったし、探索は単独ではなくチームで行うものとはいえ、岩壁でボムを探知するときはひとりでなくてはならない。これを理解するまでのあいだに、ハイラーエではたくさんの人間が死んでいった。  失敗した訓練生の模造岩が黒煙を吐いている。 「失格した者は外へ」  教官は無慈悲に告げる。彼には大いなる自負があった。探知魔法の技能者をここまで磨き上げることができるのは、世界中探してもユグリア王国の王都、トスキエラ訓練所しかない。  ユグリア王国のこの百年の発展は、ハイラーエの谷に埋蔵されたジェムの価値と利用法を、当時のユグリア王アララドが正しく予見したことにはじまる。ジェムの精錬や採掘法にはロアセアの発明が必要だったが、ユグリア王家にはそれ以前からハイラーエに眠る古代魔法の秘伝があった。  動力源としてのジェムはもちろんユグリア王国を豊かにする。しかしジェムを掘るだけにとどまらず、岩壁に囲まれた迷宮を現王が探索したがるのは、ユグリアの根源に関わる何かがそこにあるから、かもしれない。  青空の下でザックの白い短髪が光った。他の訓練生の倍近いスピードで試験課題を片づけている。  教官はまばたきした。たった今まで気づかなかったが、ザックはとある人物の若かりしころを思い起こさせる、と思ったのだ。外見はそこまで共通点はない――いや、こうしてみると顎をあげた姿勢や頭の形が似ているような気もする。  気のせいにちがいない、と教官は思った。その人物にも探知魔法の素質があったが、迷宮探索に自ら出向いたことは一度もなかった。古代の秘宝に心惹かれることを隠さない現在の王と同様に、玉座を離れることが許されなかったのだ。 「よう、隊長」  訓練所を出たところでぽんと背中を叩かれた。ふりむくと友人のトバイアスがいる。ザックはわざと顔をしかめてみせた。 「隊長? なんの冗談だ」  トバイアスはにやりと笑った。 「今から慣れておこうと思ったんだ。おまえは絶対に隊長に任命される」  黒髪のしたで眸が愉快そうにきらめいた。愛嬌のある顔立ちで口のたつトバイアスは男女関係なく人気があり、交友関係も広い。対照的に寡黙なザックとは少年のころからのつきあいだ。無二の親友といえるような間柄だった。 「そんなこと、誰にわかるものか」  ザックはぼそりとこたえたが、トバイアスの笑みは消えない。 「いいや、本当にそうなるって。試験は一抜けだったろう? あの鬼教官が笑っていたんだぞ」  トバイアスは監督官の声音をまねた。 「ザック・ロイランド。シグカント探索隊の隊長を任じる」  内容はともかく、口調があまりにも似ていたのでザックは吹き出しそうになった。 「やめろって」 「似てただろ?」 「ああ、似ているとも。だがな……」 「隊長はともかく」突然トバイアスの眸に真剣な色が浮かんだ。「俺は絶対におまえと同じ隊になるからな。迷宮にどれだけボムが隠れていても、おまえと一緒なら帰れそうだ」  もちろんそのつもりだ、とザックは思った。迷宮で何と出会おうと、俺は全員を無事に連れ帰る。今は亡きグレスダ王は迷宮探索のために人命が失われるのを心の底から嫌っていた。  トスキエラ訓練所は探知と強化の魔法を訓練するだけではない。迷宮探索をめざす者たちのために、オリュリバードとフェルザード=クリミリカ、ふたつの迷宮についての講義もたくさんあった。たとえばふたつの迷宮の違いだ。  南側にあるオリュリバードは、東の端に住民が暮らす町があり、探索も順調に進んでいる。この迷宮の内部には蜂の巣のような小部屋が積み重なっていて、人間が岩壁に打ちこんだ楔はそのままの形で残り、ボムは起爆装置を解除すれば消滅する。  ところがリヴーレズの谷を越えたフェルザード=クリミリカは、迷宮の構造も、あらわれるモンスターも異なっている。ザックも最初は耳を疑ったが、フェルザード=クリミリカの岩壁には生き物のような性質があるのだ。足場になる楔を打ち込んでも、三日もすると壁の割れ目がふさがり、楔は落ちるか岩の中に飲みこまれてしまう。これが北側の攻略が困難をきわめる理由だった。  しかしたとえどれほど困難だとしても、迷宮に眠る古代の秘宝をくまなく探し出そうとするのが今のダリウス王だ。王がダリウスにかわってまもなく、冒険者ギルドの規模は数倍に膨れ上がった。兄のグレスダ王の時代には許可証を出さなかったレベルの者も認めるようになったからである。ジェム動力を使った登攀補助具や、その他便利な道具が開発されたから、というのが理由だった。これにともなって秘宝探索隊の数も増え、規模も拡大した。  グレスダ王は迷宮探索に消極的だった。ジェム鉱床さえあればユグリア王国は豊かになるのだから、秘宝探しに血道を上げる必要はない、という考えを持っていたからだ。  王は今の自分をどう思うだろう。トバイアスと別れたあと、ザックの手は無意識に胸の中心をおさえていた。生前のグレスダ王に賜ったしるしが上着のしたで揺れている。 「冒険者ギルドに入るのか」  父に報告するためにロイランド家の書斎へ参上すると、父親はザックが口をひらくまえにしわがれた声で先制した。  ザックの決定に心から同意していないせいか、眉間には皺が寄っている。しかしザックは、父の言葉は問いではなく確認にすぎないことも承知していた。賛成していなくとも、反対もできない状況だということを承知していたからだ。 「我が家にとってもユグリア王国にとっても、これが一番よい道だと考えます」  ザックは落ちついて答えた。 「俺はグレスダ王より紋章を授けられています。騎士としてダリウス王に仕えることはできません。たとえダリウス王が望んだとしても、俺は嫌です。しかし冒険者ギルドの一員として探索隊に加わるのなら、ダリウス王も文句はいえません」 「魔法技能は?」  ザックは訓練所での出来事を思い浮かべた。自信に満ちた笑みが自然とうかぶ。 「まもなくギルド加入を許可されます」 「そうか。そうだろうな」  父はザックをちらりとみやった。ヘザラーン一族の傍流であるロイランド家にはザックほど背の高い者も、白い髪を持つ者もいない。しかし先の王グレスダに忠誠を捧げてきた一家ではそんなことは問題にならなかった。  ザックは父が四十を越えたあとに生まれた、初の男子だった。グレスダ王は父の引退と同時にザックに紋章のペンダントを授け、祝福をあたえた。主君の突然の崩御さえなければ、ザックは父の跡をついで、グレスダ王の騎士になるはずだった。  ユグリア王国の宮廷にはひっきりなしに陰謀の花がひらく。  ロイランド家はグレスダ王の代まで宮廷では厚遇されていた。グレスダ王が生きていればザックも冒険者になろうとは思わなかっただろう。しかし秘宝狂いのダリウスが王位についてから、状況は変わった。  いまや魔法を使える若者が冒険者になるという選択はおかしなものではない。ダリウスの意をかうために、たいして能力もない子弟を無理にでも冒険者に仕立て上げようとする貴族もいる。冒険者を雇い入れて探索隊を結成する大商人もいる。  ザックが迷宮探索に加われば、ロイランド家は少なくともダリウス王に反逆する意思はないと表すことができる上、鵜の目鷹の目でロイランド家を陥れるきっかけを探している敵――ダリウス派の貴族たちから離れることができる。 「むかし陛下に聞いたことがある」父はザックから目をそらし、静かにいった。 「ユグリア王国には、当代の王にのみあかされる秘儀書がある」  父が陛下と呼ぶのはいまだにグレスダ王ひとりである。ザックは眉をあげた。 「古代魔法の秘伝の話ですか? 王家に伝えられているという」 「おそらくそのことだろう、陛下がおっしゃったのは。古代の宝に秘められた知を復元できたのはそれゆえだという話だ。しかし陛下とダリウス王のあいだには秘宝や秘儀書をめぐって長年意見の相違があった。陛下は秘儀書を持って古代の秘密を明かすことより、ジェムを利用して民を豊かにする方が先だとよくいったものだ。しかしダリウス王はちがった。彼は迷宮の秘宝の謎をすべて解き明かし、ジェムを見出したアララド王のように後世に名を残したいのだ」  ザックはしばし黙って父の言葉を咀嚼した。 「グレスダ王が存命だったら、俺が迷宮探索へ行くのを喜ばれないでしょうか」  父親は重々しく首をふった。 「いや。陛下はおまえに祝福を与え、おまえがよりよく生きることを望んでいた。ダリウス王の宮廷におまえはいるべきではない。王はおまえを……利用したがるだろう。だがザック、敵はいたるところにいる。迷宮も例外ではないと、よく覚えておきなさい」  ザックは小柄な父を見下ろした。いまやこの家に家族は父と自分しかいない。姉たちは他家へ嫁ぎ、ザックの母はグレスダ王の崩御の数日後に、グレスダ王と同じように突然の死に見舞われた。父にとっては三人目の妻だったが、仕える相手と近しく愛する者、双方を失った衝撃は父子の絆をより強くしていた。 「おまえにはグレスダ王の祝福がある」  父がふたたび顔をあげていった。 「何があろうとも、それがおまえを守ってくれるだろう。心して行け」

ともだちにシェアしよう!