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第2部 ユグリア王国の秘儀書 3.オスカー:ヒイシアのトロッコ線

 僕は滑板車(キックスクーター)を駆り、リスのトロッコ線へ全速力で走っていた。石畳や段差を乗り越え、坂道をくだり、ほかの通行人の横をすり抜ける。店を出てから休みなく走り続けて、やっと速度を下げたのはリヴーレズの谷を見下ろす展望台にさしかかるあたりだった。  空中庭園の入口で乗り物を停める。眠気をさそうような昼の光の下で、リロイが似顔絵を描いている。 「オスカー、そんな荷物をかついでどうしたんだ?」  観光客に囲まれているにもかかわらず、リロイはすぐに僕をみつけた。似顔絵をさっと仕上げて目の前の客に渡し、小さな椅子から立ち上がる。 「はい、今日はおしまい」  どうやら順番を待っていたらしい別の客が口をとがらせて文句をいいはじめたが、リロイはとりあわなかった。 「おしまいといったらおしまいですよ。描いてほしかったら明日来てください」  似顔絵に満足した客、不満そうな客、リロイが描く様子をみていた野次馬、全員がいなくなると、リロイは腰に手をあてて僕をじろじろ眺めた。 「いったいどこへ遠足に行くんだ?」 「北迷宮さ」と僕は答える。背中の荷物はまだちっとも重く感じなかった。 「これからトロッコ線に乗るんだ。二日もすれば戻ると思うから、そのあいだ乗り物を預かってもらえないかと思って」 「――それはかまわないが、北迷宮?」  話しながらリロイが岩の中の住居へ足を向けたので、僕は彼のあとについて小さならせん階段を降りた。空中庭園の住居は見た目より大きい。でこぼこした岩の壁にはリロイの絵がかかっていて、ジェムの明かりに照らされている。 「今朝、施術が完了する前に飛び出して行った客がいるんだ。再生した腕に問題が起きる前にどうにかしないと」  僕は早口でいったが、リロイは落ちつけ、とでもいうように片手をゆっくり上下に振った。 「お茶を入れるから楽にしなさい。そんな客がいるのも驚きだが、追いかけるきみにも驚くな」 「それは……」  僕は口ごもった。たしかにこんなことは初めてだ。 「報酬をかなり上乗せでもらったんだ。シルラヤの岩壁を登ってしまう前に追いつきたい」 「シルラヤの岩壁か。ほら、座りなさい」  リロイは丸いテーブルにお椀をふたつ並べた。僕は背嚢をおろし、切り株のようなかたちの椅子に座った。気持ちは急いていたが、リロイに頼みごとをするときは彼のペースにあわせなくてはだめだ。お茶は冷たくさっぱりした味で美味しかった。リロイは小皿に黄色いクッキーを数枚並べた。 「なるほど、フェルザード=クリミリカの入口に直行したいわけだな。それならヒイシアの路線で行くといい」  ヒイシアの路線? 僕はクッキーに手を伸ばしながらたずねた。 「ヒイシアって?」 「リスの路線は谷を経由するから、こんなふうに曲がっている」リロイは僕の前で腕を曲げてみせ、肘のあたりをさした。「谷で鉱夫が下りて――」ついで指先をさしていう。  「冒険者は終点まで行く。だがシルラヤ――フェルザード=クリミリカ第一の岩壁はトロッコ線の終点から谷沿いにさらに西へ行った地点だ。ヒイシアの路線はリスの終点よりもっと西に通じている。おまけに」といいながら、腕をまっすぐにのばす。「途中で止まることもない貨物路線だよ」  黄色いクッキーはかじると口の中でホロホロ崩れた。甘さに疲れが溶けていくようだ。それにしても、五年ディーレレインで暮らしていて、今の話は初めて聞くことだった。 「そんな路線があるなんて初耳だ。北迷宮に近いのなら、どうして冒険者はそっちを使わないんだ?」 「ヒイシアはモンスターハンター専用だからね」  リロイはこともなげにいった。 「実はヒイシアはハイラーエで最初に敷かれた路線で、ずっと昔は冒険者も鉱夫も使っていた。それが、死んだモンスターの搬送についてまわるトラブルだの、権利問題だのがあらわれてね。今はハンターしか使えない路線になったんだ。ハンター用だから定期便はなくて、要請があったときだけ動く。リスの停車場の横から谷を少し下るとゲートがある」 「待って」僕は思わずリロイをさえぎった。 「ハンター専用ならどうして僕が乗れる?」 「求めよ、さらば叶えられん。ふつうの客は乗せないがオスカーなら大丈夫だと思う。私も乗せてもらったことがあるし」 「なぜ?」 「ヒイシアを動かしているのはヴォイテクだから」 「ヴォイテク?」 「きみが足を取り戻してやっただろう?」  ああ、彼か! リロイの言葉をきいて僕はやっと思い出した。片足を再生したのはもう三年は前になるはずだ。その時は元鉱夫だと聞いただけで、トロッコ線の話は出なかった。  ヴォイテクの施術はとてもうまくいって、後遺症も出なかったから長いあいだ会っていない。おかげで僕も忘れていた。 「彼とはたまに話すんだが、オスカーのことをよく覚えていて、感謝しているよ。頼んでも嫌な顔はしないだろう。断られたらリスで次の便に乗ればいいだけだ」  さすがリロイ、いろいろなことを知っているし、いろいろな人とつながりがある。僕はありがたくうなずいた。 「教えてくれてありがとう」 「フェルザード=クリミリカに行くのは初めてだね?」 「そうだけど、オリュリバードならジョインの案内で中層まで上がったこともあるし、モンスターは岩壁の内側にしか出ないんだろう? 僕はそこまで行くつもりはないんだ。その前にザッ――依頼人をつかまえるつもりだから」 「ふむ、そうか……」  リロイは顎に手をあてた。何か考えている様子だった。 「北迷宮は南とは様子がちがうのは知っているね? オリュリバードの低層には人の手がどんどん入っているのに、あっちはそうならない。どうしてだと思う?」  これまで考えたこともなかった問いだ。僕はぽかんと口をあけた。 「わからないな。遠いから?」 「いや。どちらもハイラーエの迷宮だが、北と南は構造も、迷宮の性質も異なっている。北迷宮の壁は南のように人の加工を受け付けない。打ち込んだ杭は三日もすれば落ちるし、砕いた岩はいつのまにか元に戻ってしまう。ボムは起爆装置を解除しても消えずにずっと残り続ける。モンスターだけじゃない、北迷宮は南よりずっと危険だ」  行ったことのない者にはわからない――たしかザックはそんな風にいわなかったか。  あのとき僕はとても頭に来たのだが、今のリロイの話を聞くと、ますます不安になった。あいつの腕、大丈夫だろうか。 「そんな話、はじめてきいた。鉱夫のみんなからは聞いたことないよ」 「彼らは知らないだろう。ジェムの採掘には関係がない」 「リロイはどうして知ってるんだ?」  年上の男は微笑んだ。 「私は長いあいだここに住んでいるからね。空中庭園にはいろいろな人たちが来る。とにかく、北迷宮の遠足は気をつけることだ」 「ああ。いろいろ教えてくれてあり――」僕は礼をいおうとして、背嚢の中身のことを思い出した。 「リロイ、皿を貸して」  マーリカの刃はローストしたユミノタラスの肉をうすくうすくスライスするのにも大活躍した。花弁のように皿に並べたロースト肉にリロイは目をまるくする。 「ユミノタラスのローストだ。本格的なディナーに招待できなくて悪いけど、夕飯に食べてくれ」 「遠足のおやつとしては高級すぎるな」 「僕だってせっかくのユミノタラスをローストにしてしまうなんて、予想外だったさ。でもザッ――その依頼人のおかげで今はすごくふところが暖かい。マルテア食堂を貸切にできるくらいなんだ。戻ったらきっとご馳走する」 「それなら――」  リロイは周りを見まわし、クッキーの缶をテーブルに置いた。 「私はただの遠足のおやつをあげよう。たくさんあるにこしたことはないからね。乗り物は預かっておくよ」  僕はありがたくお菓子をもらうことにした。リロイのいうとおりだ。遠足のおやつはたくさんあるにこしたことはない。

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