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第2部 ユグリア王国の秘儀書 5.オスカー:ニテラウスの咆哮
ヒイシアのトロッコ線の入口はリロイが教えてくれた通り、リスの停車場の横から下った先にあった。ゲートに近づくと鼻につんとくるような臭いがした。モンスター肉をあつかう市場で嗅ぐ匂いだ。
「急いで北迷宮に行きたい? 魔法技師のあんたが、どうして?」
ヴォイテクが驚いた顔をして僕をみる。元鉱夫の彼はみあげるような大男だ。岩のようにごつい肩からのびた腕は丸太のようで、ふとい首の上の顔はびっしり髭に覆われている。でも頭は磨かれたようにつるつるで、髪が一本もない。
「施術したばかりの客を追いかけているんだ。急げば壁を登るまえに追いつけるかもしれない」と僕は答えた。
「なんでまた?」
「最後までおわってないんだ」僕は顔をしかめていう。
「腕は再生できたけど、ちゃんと機能するか確認できてないことがあってね。それに僕の魔法道具を持ちだしている。わざとじゃなくて、知らないうちにだが」
魔法道具とは闇珠のことだ。ザックの体内に吸い込まれてしまうのを「持ち去る」というのも気が引けたが、実質的にはおなじことだろう。
ヴォイテクの太い眉があがる。
「魔法道具を? それは大変だ」
「こっちならシルラヤの岩壁まで早くたどりつけるって、リロイに聞いたんだが」
「ああ、その通りだ。いいだろう、乗っていけ。タイミングもよかった。ちょうど解体屋を送るところだからな」
「いくら払えばいい?」
僕の質問にヴォイテクは困ったような表情になった。
「俺としては魔法技師からは金をとりたくないんだが……ハンター連中との契約があるからな……」
「ただで乗せてもらおうなんて思ってないよ。急な頼みだし、割増しで払うよ」
「まさか、割増しなどできるか。リスとおなじ金額でいい」
「え、それはないよ」
「いいから」
すこし押し問答をしたあげく僕はヴォイテクに料金を払った。
「乗るのはいちばん後ろだ。アガンテたちがいる」
大声で話しながらヴォイテクは線路脇を歩きはじめる。線路には古めかしい機関車が待機していて、リスの路線のような停車場はない。機関車には窓がひとつもない貨物車、平台だけの車、座席も屋根もない箱車が連結してあった。使いこまれた様子で古めかしく、塗料もあちこち剥げているが、金具類はよく磨かれていて、手入れは万全のようだ。
「アガンテ! 珍しいお客さんだぞ!」ヴォイテクが箱車の方を向いて怒鳴った。
「お客さん? そんな上品な言葉で呼ばれるやつなんか……」
しゃがれた声とともに骨ばった顔がぬっとあらわれ、僕をみて口を閉じた。はえぎわからぴんと立った真っ赤な髪が目をひく。
「魔法技師のオスカーだ。シルラヤの岩壁までいそいでいるそうだ。送ってやってくれ」
「魔法技師のオスカー?」
アガンテの隣からおなじ色の頭が突き出てくる。
「すごい、ディーレレインの有名人じゃないか。たしかヴォイテクの脚――」
「ああ、俺の恩人だ」
ヴォイテクは僕の方をふりむいて「解体屋のアガンテとハンターのリラントだ」と紹介した。
「乗ってくれ。すぐに出発だ。おまえら、ニテラウスに喝をいれるぞ!」
「ああ、さっさとやれよ!」
赤毛の片方が声をあげる。背嚢を下ろすともう片方が手を伸ばして箱車の中にひっぱりあげてくれた。僕はへりに手をかけてよじのぼり、背嚢の横に飛び降りた。機関車からカタン、カタンとリズミカルな音が響く。最初はゆっくり、だんだん速くなる。
「ニテラウスって?」
僕は赤毛のひとりにたずねる。アガンテの方が大柄で年上だったが、ふたりは髪も顔立ちもよく似ていた。親子か兄弟か。血のつながりがあるのはたしかだろう。
「機関車の名前さ。ケチで有名な冒険者にあやかってる」リラントが答えてくれた。
「狩ったモンスターを無駄なく金に換えようとするのはいいとして、金になる素材や秘宝をあざといやり方で独り占めしようとしたらしい。生きてるときは嫌われ者だったが、今じゃ少ない燃料でもよく働くだろうっていわれてんのさ! みてろ。北迷宮まであっという間だぜ――揺れるけどな。しっかりつかまってろよ!」
話すあいだにも箱車が動き始めたので、僕はあわてて手すりをつかんだ。機関車はジェム動力のモーター音を響かせながら、リヴーレズの谷を突っ切っていく。北迷宮の岩壁がのしかかるように迫ってくる。
「魔法技師、北迷宮で何をするんだ?」
トロッコ線の音に負けない大声でアガンテが怒鳴ったので、僕も怒鳴り返した。
「客に追いつかなきゃいけないんだ。そっちは?」
「契約している冒険者の一隊が降りてくるのを待つんだ。連中が狩ったモンスターを引き受けて、必要な処理はその場でやって、貨物車に載せて南へ戻って、ギルドに渡す」
なるほど。僕は感心した。
「北迷宮で狩られたモンスターはそんな風に運んでいたのか! どのくらい引き受けるんだ?」
「部隊によるな。モンスター素材を集めたい連中だったら、虫類でも獣類でも狩りまくるから量も多い。秘宝しか眼中にない隊なら、俺たちは単に臭いだけ」
「うさん臭くて、モンスター臭い」
リラントがからからと笑った。
「最近の冒険者隊はいろんなやつらがいてな。前はなかったような揉め事も起きてる。そうそう、何旬日か前だが、怪我人が捨てられていたこともあった」
「何だって?」僕は思わず声をあげる。
「そんな物騒なことがあるのか? 北は南より危ないと聞いたが、怪我人を捨てていくって……」
「その時はこれに乗せてヤオ先生のところへ運んださ。仲間を見捨てていくとはな。北へ行くのは初めてか?」
「ああ」
僕がうなずくと、リラントの眸がきらっと輝いた。
「それなら俺の話もおもしろいかもな。南のオリュリバードは、蜂の巣状の部屋が積みあがった峰がつらなって上に伸びているだろう? フェルザード=クリミリカは作りがぜんぜんちがうんだ。曲芸みたいにボムを避けたり解除したりして、迷宮の入口をみつけるだろ? 中に入ったら、たしかに最初の層はオリュリバードみたいな蜂の巣部屋になってる。ところがここを通り抜けるとまた岩壁があらわれて、次の入口をみつけるにはまた壁を登らなくちゃいけない。で、またボムを避ける曲芸が必要になるのさ」
「迷宮が入れ子になってるってことか?」
「そうだ。おまけにフェルザード=クリミリカの壁は勝手に再生する。オリュリバードみたいな、永久に探索済み、という壁は北迷宮にはない」
「それじゃ、オリュリバードやディーレレインの壁のように、ジェムの明かりはつけられない?」
「ああ、でも光源はいろいろある。壁そのものが光るところもあれば、なぜか太陽の光がまっすぐさしこむところもある。虫類モンスターがジェムみたいに明かり代わりになる壁もある」
アガンテの手がのびて、心なしか得意げな表情で話すリラントを小突いた。
「おい、たいして上まで行ってないのに知ったかぶりするな」
「でも伯父貴、俺だって――」
アガンテは僕に目くばせした。
「ハンターや解体屋で北迷宮の高所まで行ったやつはほとんどいない。冒険者隊と一緒でも、中層がせいぜいでね」
「俺はいつか行くぞ!」
リラントが勢いよくいったとたん、前を行く機関車からゴオオオオオ…と吠え声のような音が鳴り響いた。僕は思わず首をすくめたが、アガンテはニヤッと笑った。
「ケチのニテラウスが張り切ってるぜ。魔法技師、北迷宮まであと少しだ」
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