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第2部 ユグリア王国の秘儀書 15.オスカー:飛行艇フリモラレスト
「おまえの父とラニー・シグカントはグレスダ王の意思を継ぐと称してダリウス王陛下へ謀反を図り、おまえはもちろんそれを知っていた」
遠くから声が聞こえていた。謀反という言葉でハッと目が覚める。僕は薄目をあける。視界の半分は誰かの背中にさえぎられていた。
「馬鹿な! 父やラニーがそんなことをするはずがない。何かの間違いだ」
ザックの声がきこえた。
僕は彼の背中に隠れるように床に転がっていた。肩と腰が痛い。背中があたる部分は弾力があり、詰め物がされているのがわかった。船のキャビンの壁にそっくりだ。一瞬懐かしい気分がしたが、波に揺られている感じはしなかったし、第一ユグリア王国に海はない。
「なぜ王の召喚に応じずハイラーエで行方をくらましていた?」
銀線の入った黒服を着た男が仁王立ちになって、尻を床につけたザックをみおろしている。男の顔立ちに見覚えがある気がして、僕はまばたきする。ほんの数日前、ディーレレインでよく似た顔をみたことを思い出す。僕の店をたずねてきた冒険者ギルドの職員――たしかサニー・リンゼイといった。
この男は彼によく似ているが、もっと年上だ。それにあのギルド職員はみるからに事務方か文官といった雰囲気だったが、この男はどうみても兵士だった。腰に剣を吊っている。
騎士か。ユグリア王国で長剣を吊れるのは騎士だけのはずだ。
ジェムの光で照らされているものの、僕はザックの背中がおとす影に入っていた。男に気づかれないように目をとじ、耳をすます。タタタタタタタ……と規則正しい振動音がきこえた。あいまにひゅうっと風の音が鳴る。これは乗り物だ。波の音や海の響きはきこえない。とすると――ひょっとして飛行艇の中だろうか? 僕は飛行艇に一度しか乗ったことがないが、あの時も同じようなジェム原動機の駆動音を聞いた。
いったいどうなっている。
僕らはニーイリアにたどりついて、野営していた。そうしたらザックの仲間――ザックがトバイアスと呼ぶ黒髪の男が近づいてきて、何やら言い争いになったと思ったら、異臭がして意識を失ったのだ。
異臭は有毒ガスにちがいない。僕とザックは気を失っているあいだにここへ放り込まれ、さらにどこかへ連れていかれようとしている。
しかし捕虜にしては扱いが手ぬるいな、と僕は思った。一時的に動けないようにしたとはいえ、縛りもせずに転がしておくとは不用心だ。いや、謀反がどうとかいっているから罪人ということか。だとするとなおさら手ぬるい。
「俺は召喚を受け取っていない。そもそも行方をくらましたこともない」
ザックの堂々とした声に僕はまた薄目をあける。
「探索途中でボムにやられてディーレレインにいた。トバイアスならわかる――」
「そのトバイアスは自分も知らない何者かがおまえを連れ去ったといっている。まあいい、陛下はマラントハールでお待ちだ。恐れ多くもご自身で訊ねられるということだ。申し開きはそのときにするんだな」
「待て、俺と一緒にいた魔法技師は?」
「あの異国者ならおまえのすぐうしろだ」
とっさに僕は目をとじ、気を失っているふりをした。肩をぐいっと引かれて抱き起こされる。
「オスカー!」
「気を失っているだけだ。そろそろ目覚めるだろう」
「どうしてオスカーまで連れていく? 彼は俺の腕を再生しただけだ。ディーレレインの魔法技師で、何の関係もない」
「ザック・ロイランド。本来なら縄をかけてもおかしくないところだ。逮捕ではなく召喚で済んでいるのは、ロイランド家のこれまでの功績、さらにグレスダ王に免じて陛下が情けをかけたからだ。安心しろ、フリモラレスト号は王国随一の高速艇だ。飢えるほど待たなくていい」
床板を踏む音と、バタンと蓋を閉じるような音が響いた。フリモラレスト号、高速艇か。ザックが僕の肩を抱きながら悪態をついた。もういいか。
僕は目をあけてささやいた。
「ザック、どうなってる」
「オスカー!」
とたんにぎゅっと抱きしめられて、心臓が大きく鼓動をうった。ザックの顔がすぐ近くにある。僕は色の薄い眉のしたの眸から目をそらそうとしたが、近すぎて無理だった。
「ちょっと……離して……僕は大丈夫だ」
ザックは腕の力をゆるめ、声を落とした。
「気づいていたのか」
「すこし前からな。おい、謀反ってなんだよ」
「何かの間違いだ。この飛行艇はマラントハールに向かっている。王に謁見して誤解を解く」
そう答えたザックは急展開した事態のわりに冷静にみえた。ひょっとして――と僕は思った。彼はこんな事態がありうると予想していたのだろうか。
「マラントハール――ユグリアの王都か」
「みやこ」には近寄らないのが吉だ。王都でも神都でも。早くもディーレレインの穴倉が恋しくなった。僕はこれまでの人生で、みやことつくところではろくな目に遭っていない。そう思ったとたん、心を読んだかのようにザックがいった。
「すまない。できるだけ早くおまえをディーレレインに帰すようにする」
僕は思わずいいかえした。
「何をのんきなことをいってる。おまえが本当に謀反人だったら、僕はおまえの腕なんか再生しなかっ――」
「ちがう」
途中でさえぎったザックの声は低く、大声ではなかったが迫力があった。
「謀反など考えるわけがない。先王陛下はそんなことを望まない」
「……じゃ、嵌められたってことか?」
僕はため息をつき、肩を抱いているザックの腕から逃れた。必要があってのこととはいえ、客を北迷宮まで追いかけてきたあげくこんなことになるなんて、いったい誰が思うだろう?
床にあぐらをかいて座り、ずれたターバンを直す。窓のない営倉のような小部屋は船のキャビンそっくりで、黒服の騎士はいなくなっていた。そのかわりトバイアス、黒髪の男が壁にもたれている。右手の親指と人差し指が欠けていた。ボムにやられたらしい。僕の背嚢は彼の足元に転がっている。じっとみつめると僕をちらりとみて、目をそらした。
「そこのおまえ」
僕は座ったままいった。相手の身長はザックよりは低いようだが、僕よりは大きい。立っても威圧できないならこのままで上等だ。
「ザックの隊員だろう。僕の荷物を返してくれ」
トバイアスは口をぽかんとあけた。
「何だって?」
ザックが立ち上がった。
「トビー」
二人がみかわした視線は長年の知り合い同士のものだった。僕は迷宮でザックが何度もトバイアスの話をしていたのを思い出した。
「ニーイリアでも話したが、彼はオスカー・アドリントン。俺の右腕を再生した魔法技師だ。五年前からディーレレインに住んでいて、住民の信頼もあつい。再生がうまくいったか確認するためにフェルザード=クリミリカまで同行してくれた。その背嚢はオスカーのものだ。彼の仕事道具が入っている」
黒髪の男は顔をしかめた。
「ザック、そこを動くな」
しかしザックは何も聞かなかったかのように、ずいっと彼に寄った。
「トバイアス。ユーリ・マリガンはなんといったんだ?」
黒髪の男はいらいらと手を振る。
「あの日の襲撃は、王に謀反を企てたラニーがおまえを安全なところへ逃がすための狂言だと」
「それを信じたのか?」
「信じた?」昏い目がザックをみつめた。
「俺はおまえが死んだと思っていた。ユーリの代わりにカイン・リンゼイをニーイリアへ連れて行ったのは、おまえの弔いのつもりだった。残骸くらいはないかと……」
「マリガン隊に入ったのか? この短いあいだに?」
「ああ、そうだとも!」
トバイアスはいまいましげに首を振り、背嚢を僕の方へ蹴りとばした。
「俺はおまえのような伝統ある所領持ちじゃないからな、ザック」
僕は事態を完全に理解しないままふたりのやり取りを眺めていたが、転がってきた荷物は膝のあいだに受けとめた。
「なあ」立ったままみつめあっている冒険者ふたりをみあげる。
「なんだ」
トバイアスが剣呑な目を向けた。
「おまえ、ザックが生きていてよかったじゃないか。もっと喜べよ」
「は! なんだって」
「飛行艇だと王都までどのくらいかかる? おやつを食べてもいいよな?」
トバイアスはものすごい目つきで僕をみた。
「……魔法技師は黙ってろ。ザック……」
何かいいたいことがあるようなのに、黒髪の男はためらった。妙に重苦しい沈黙がある。ふいにザックが右手をのばし、相手の肩を叩いた。
「いいさ、トバイアス。おまえは優秀だから、どの隊でもうまくやれる。だがマリガンには気をつけろ。いいたいのはそれだけだ」
「……到着まで静かにしてくれ。わかったな」
トバイアスは自分の背後にあった小さな扉をあけ、外に出た。扉というより蓋のような作りだった。これまで飛行艇には一度しか乗ったことがなかったから、興味をひかれた。
いやいや、その前におやつだ。僕は頭をはっきりさせておきたかった。王都へ連れていかれたら、僕の滋養強壮のみなもと、モンスター食をいつ食べられるかわからない。とはいえザックが逮捕ではなくただの召喚だ、といったのは正しい見方のようだ。荷物を取り上げられなかったのがその証拠だ。
残り少ない竜骨スティックを咥えた僕を尻目に、ザックは部屋をぐるりと歩き回っている。飛行艇の動きは海をいく船に似てなめらかだったが、時々ガタガタと横に揺れた。
飛行艇はユグリア王国が誇る空の移動手段である。ジェム動力で飛行し、天候によっては蒸気船より速い速度も出せる。その気になればユグリア王国はジェム動力で空の覇権を思いのままにできただろう。
だがこの国はいまのところ、領土を増やすために他国へ攻め入ったりはしなかった。少なくとも今の王はフェルザード=クリミリカの頂点をきわめることに夢中で、水平方面には興味がない。これは僕がディーレレインへ居ついた理由のひとつだ。
戦争に興味がない国なら、戦争に利用されずにすむ。でも、こんな形で秘宝狂いの王や貴族たちの権力争いに巻きこまれるとは想像もしていなかった。僕は竜骨スティックの最後のかけらを嚙み砕いた。これからいったいどうなるのだろう?
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