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第2部 ユグリア王国の秘儀書 17.オスカー:リ=エアルシェの花弁
キャビンの外へ連れ出されるザックの背中を横目に、僕は急いで大事なもの――魔法珠の小袋、ルキアガの鱗と金貨を数枚、先祖たちの髪の織物――をターバンに隠し、髪を巻きなおした。襲撃者から奪ったナイフを脚絆につっこむと、胸のあたりで慣れない重さが揺れた。僕は鎖を引き、ザックがおしつけていったペンダントをひっぱりだした。窓から差す光を受けて鈍い金色に輝いている。
「さっさと出ろ!」
扉から怒鳴り声が響いた。狭い出入り口をくぐると、待ちかまえていた兵士が僕の腕をうしろに引き、手首に縄をかけた。
「ひとまず地下へ入れておけ。明日尋問する」
黒服の騎士が通路の先で告げている。兵士に左右から追い立てるまま、僕は飛行艇を降りた。眩しいほどの明かりが飛行艇の周囲を照らしていた。歩きはじめると、左右に街の灯がみえた。飛行艇の窓から見たとおりだ。ユグレア王国の都は夜も美しい。
夜間灯火制限のない都市は好きだ。夜に明かりを灯させない国ではきまってろくでもないことが起きるから。でも今の状況はぜんぜん褒められたものじゃない。僕は兵士たちにせきたてられて石の床を歩き、階段を下りる。兵士たちは早足で、僕はくたびれていたから、周囲をろくにみることもできなかった。ジェムの明かりに照らされた階段は長く、早くしろとうしろから小突かれるたびに転びそうになる。これなら簀巻きにして運ばれた方が楽だと思いはじめたころ、やっと平らな通路になった。
階段を下りるあいだにいつの間にか兵士の数が減って、今はふたりだけだ。鉄格子の嵌った扉へ僕を追い立てる。扉の向こうは廊下の明かりで薄ぼんやり照らされているだけだ。一歩中に入ると、兵士はそのまま扉を閉めようとした。すかさず僕はふりむき、怒鳴った。
「おい、縄を外せよ! 僕を誰だと思ってるんだ!」
兵士のひとり――手前にいた背の低い方――がぽかんと口をあけ、もうひとりがじろりと僕をねめつける。
「黙れ、何をいって――」
「この紋章が目に入らないか。僕はユグリア王家のしるしを持つ魔法技師だぞ。縄も解かずに行っていいと思ってるのか!」
たぶんそうとう芝居がかった態度だっただろう――が、こんな風に出た方がいい時もある。
かなりの部分は賭けだった。ザックの言葉を僕は半分信用したが、半分は信じていなかった。何といっても、このペンダントは今の王がザックに授けたものではないのだから。
だが兵士はふたりともぎょっとした表情になり、背の高い方が低い方をみた。低い方は高い方へおずおずと目配せをおくり、高い方は低い方へ顎をふって、で、低い方がこっちへ足を踏み出す。
僕の胸元へ顔を近づけたので、僕は親切心を起こして足を一歩踏み出した。兵士はぎょっとしたように後ずさり、高い方の耳にひそひそと何事かささやいている。
悪くない。僕はもう一度賭けに出ることにした。
「しるしが見えなかったのか?」
思い出したくもない昔の知りあい、頭ごなしの命令しかできない連中を真似て、偉そうに声を張り上げる。
「見えたならさっさとこの縄を解け。このままにしておくと、明日おまえたちにはろくでもないことが起きる」
でこぼこ兵士コンビは不安そうに顔を見合わせた。ついに背の高い方が口を開く。
「背中を向けろ」
ぐいっと腕を揺すられ、手首の縄はするりと落ちた。しかし僕がふりむく間もなく、扉は重い音を立てて閉まった。
鉄格子の隙間から届く光だけでは、あたりは暗すぎてほとんどみえない。僕はその場に立ったまま、目が闇に慣れるのを待つ。軍の営倉によくある独房だった。蓋をした壺――簡易便器がひとつあるだけだ。この手の独房はどの国もたいして変わり映えがしないようだが、ここは垂れ流しでないだけましだった。
僕は石の床に腰をおろした。ペンダントの効果は多少はあったらしい。亡くなったグレスダ王はまだこの国で何らかの影響力を持っているのだろう。
手首をさすり、鎖にぶら下がった丸い金属を手のひらにのせる。暗すぎてほとんど見えないが、この表面に刻まれた模様に似たものなら、他のところで見た。最初はディーレレインでザックに経脈をつないだときだ。腕を再生したとき。その過程で何が起きたかはさておき、あの時ザックの中の蛇は僕の闇珠を飲みこんだ。だから僕はザックを北迷宮まで追いかけて行ったのだ。そしてザックに経脈をつなげた……すると金色の蛇が赤い眼をきらめかせ、僕の周囲をぐるりと囲んで、そして……。
うかつなことにそのあとがよく思い出せない。ともあれ、目覚めると闇珠は僕に戻っていたのだ。今も僕は魔法珠を自分のなかに――心臓のあたりに感じられる。
このペンダントにはあの蛇によく似た模様が刻まれている。エー=ケゴールのターバンはあれを〈祝福〉だといった。ザックを守る絶対の守護者だ。そんなものを体内に飼っているザックはどう考えても普通じゃない。
だがあいつ自身はそう思っていないらしい。先代王に忠誠を誓っているとはいえ、ユグリア王国そのものにはもちろん忠実な一家臣。自分がこれまで生きてこられた理由を疑ったこともないようだし、家ごと謀反の疑いをかけられているのに、どこか能天気なのは恐れ入る。
今、あいつはどこにいるんだろう。僕は白い短髪を思い浮かべた。僕よりはましな扱いだろうか。右腕を再生したばかりだ。無茶なことをしてほしくなかった。
トバイアスに、ザックが生きているのをもっと喜べ、といったのは本音だった。冷たい神殿に仕える連中がなんと語ろうが、爆弾で何もかもふっとんだ人間は二度と返ってこない。死者は蘇らず、僕はひとりで残される。
これまで僕が手足を再生してやった連中の、いったい何人が生き残っただろう? もちろんディーレレインはべつだ。だからあの町が好きだった。
僕は膝をかかえ、首を丸めた。眠気というよりも、のしかかってくる疲労に押しつぶされるように、意識が遠くなる。
白く輝く壁の前にザックが立っている。
壁には無数の亀裂があり、ザックは僕に背を向けて、吟味するように壁を眺めている。僕は手をのばし、ザックの肩に触れようとする。心の底でとぐろを巻く不安を押し殺し、がんばれよ、というつもりで。そのとたんザックがふりむく。
「オスカー」
暗い色の眸をみつめたとたん、自分が抑えられなくなる。ザックの顔が近くなり、視界を覆い隠して、唇が重なるのを感じる。僕はザックの首に手をまわし、髪をまさぐりながら体を押しつけて――
――扉が大きな音を立てて開き、僕はハッと目を覚ました。
「立たせろ」
黒服の騎士、カイン・リンゼイの声が響き、昨日とはちがう兵士が僕の前で「立て!」と命令する。だが冷たい石の床で膝を抱えていたせいか、僕はすばやく動けなかった。兵士が乱暴に腕をとったので、僕は体をねじってふりはらう。
「触るな。僕はユグリア王家のしるしを持っている」
昨日と同じ言葉をくりかえしたが、反応したのは目の前の兵士だけだった。びくっと後ずさった兵士とは逆に、黒服のカイン・リンゼイは無表情で僕に近づいてくる。
「謀反人の保護が何だというんだ。そいつの服を脱がせろ」
「触るな!」
僕は後ずさったが、カイン・リンゼイは大股の二歩で追いつき、壁際に追いつめられた。無表情だったリンゼイの口元に馬鹿にしたような笑みがうかび、ローブの前を引っ張られる。見た目よりも馬鹿力だ。ビリビリっと糸が切れる音がして、ローブの前がひらいた。リンゼイは足で僕の膝をおさえつけ、体全体でのしかかるようにして壁に僕を押しつける。
「隠し持っているものを全部だしてもらおう」
リンゼイの手がシャツの上から腰を叩くようになぞり、ポケットの中をさぐった。あいにくそこにはどうでもいいものしか入っていない。迷宮で拾った小石のかけら、コンロ調整用の工具をリンゼイは不満げにみて、床に投げ捨てると、僕の顔、いや頭に手を伸ばしてくる。
とっさに首を振って避けようとしたのが間違いだった。リンゼイは急に力を抜くと、足払いをかけて僕を転ばせた。鈍い痛みが背中に走る。リンゼイはかがむと僕のターバンをむしり、床に投げ捨てた。馬鹿力で髪を引っ張り上げられ、思わず声が漏れた。
「ずいぶん長い」
リンゼイは髪をひっつかんだまま、僕をまじまじとみつめた。
「こうしてみると顔も悪くない」
「離せ!」
僕は足を伸ばして膝蹴りをくらわそうとしたが歯も立たず、床に倒されてしまった。しかも脚絆に隠したナイフが飛び出してリンゼイの足元に転がっている。
黒服の騎士は落ちついた動作でナイフを拾い、刃を覆う布を払った。ふいにその動きが止まった。
「この花弁は――」
カツン。ブーツの踵が僕の顔の両側に降りる。黒服の騎士は真上から僕を見下ろしている。
「どうしておまえがこれを持ってる?」
「どうして?」僕はオウム返しに繰り返した。「それは……僕を襲ったやつから奪っただけだ」
「リ=エアルシェが?」
リ=エアルシェ。最近聞いた名前だ。そうだ、迷宮でザックが教えてくれた。
(ユグリア王室御用達の大商人だ。ダリウス王になってから爵位も賜った)
カイン・リンゼイは刃を布で包みなおすと、ふところにナイフをしまっている。
「そのナイフがどうしたんだ?」
僕はみっともなく床に倒れたまま訊ねたが、とたんにブーツの踵に耳を蹴られた。痛みと衝撃で首を縮めたとき、別の声が聞こえた。
「カイン、こんなところで何をしている」
騎士のブーツの踵がもちあがり、顔を踏まれるかと思った瞬間、僕をまたいで消えた。踵はすっかりみすぼらしくなった僕のローブを踏み、声の方向へ動いていく。
ひそひそ話が交わされているのがわかったが、内容はわからなかった。僕はどうにかして体を起こすべきか、このまま死んだふりをすべきか考えたが、結局死んだふり以外のことはできず顔を伏せた。やがて声が途絶えた。僕はそのまま待った。耳を蹴られたせいか、頭がすこしぼうっとしていて、時間がまのびしたように感じた。と、ふいに髪をひっぱられて、悲鳴をあげそうになった。
金髪の男が僕を揺さぶると、今度は両肩を持ち上げるようにしてひっぱりおこし、壁にもたれさせた。片膝をついた姿勢で僕の顎をもちあげ、目線をあわせる。日焼けした顔は冒険者のようで、悪くない整い方だ。濃い緑の眸がさぐるように僕をみる。
「ザックがグレスダ王のしるしを持たせたのは、きみか」
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