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第2部 ユグリア王国の秘儀書 18.ザック:サタラスのひとつめの顔

 ダリウス王の目の下は深く落ちくぼんでいた。何日も眠っていないような風貌である。腕をあげた拍子にマントが翻り、散りばめられた宝石がちかりと光った。同時に王の眸もらんらんと輝き、ザックを射るようにみつめた。  ザックはまばたきし、ダリウス王が腰を落ちつけている玉座がフェルザード=クリミリカの光を放つ白い壁にそっくりな材質でつくられているのを悟った。脚や肘置きは金属と革で飾られているが、北迷宮の中と同じようにほのかに光を放っている。背もたれのうしろには祭壇のようなものがあり、人の頭ほどの大きさの透明な球体が置かれている。  ザックの視線を追うように、王は玉座の肘掛を軽く叩き、ついで手をあげて背後の祭壇をさした。 「ザックよ。おまえはこれらの宝をみたことがあるまい。ロイランドはグレスダの死後さっぱり宮廷に寄りつかなくなったからな――よいよい、立て。この宮殿で表面だけの儀礼はいらぬ」  あわてて頭を下げようとしたザックにダリウス王は命令した。 「この玉座もその秘儀書も、以前は宝物庫で眠っていたものだ。私の即位後ここへ運ばせた。主宮殿にある玉座は後世のまがいものにすぎぬ、これこそが古代からユグリアに伝えられたものだというのに……グレスダには何度も話したが、あれは耳も貸さなかった。古代の秘宝をもって失われた魔法を再現することにもな」  ザックは王の手がうながすままに立ち上がったが、王のすぐ隣には父親が閉じこめられた石柱があり、その上からは不気味な顔が見下ろしている。 「どうだ? ザック・ロイランド?」 「サタラス……とおっしゃいましたか」  耳に入った言葉のひとつをなんとか拾い上げ、舌にのせると、王は得意げに眉をあげた。 「ここにあるのは真実を語らせ、破られない誓いを与える、いにしえのユグリアの魔法よ。ジェムを動力とし、アララドが書き写した原理で動く。しかしアララドは何もわかっていなかった! 解明したのは私、このダリウスよ。この宮殿で若年のころからはじめ、長い長い時間がかかった……グレスダは頭が固く、ついに理解しなかった。最後の鍵となる秘宝はシグカントが隠しておった。ロイランドとシグカントはユグリアではなくグレスダにのみ忠誠を誓っているとマリガンもいったが……」  王の声は次第に高く、早口になっていく。 「それはありえません」  思わずザックは声をあげ、許される前に発言したと気づいてこうべを垂れた。ダリウス王は気を害した様子もなく「述べよ」と告げた。 「陛下にお目通りするのが遅くなったこと、誠に申し訳ございません。ですがロイランド家にはユグリア王家を害する意思は欠片もございません」 「だからそなたの父で試したのだ」  ダリウスは傲然といった。 「サタラスは多くを要求する。真実を見定める顔も、背面にあるもうひとつの顔もな。おまえの父は真実の顔と対面し、生きておる。嘘を告げればサタラスの中で灰になっていたところだ。見よ」  王は立ち上がり、大股で石柱に歩み寄ると透明な蓋の中をのぞきこんだ。ザックはおそるおそるそのあとに続いた。石柱に閉じこめられた父の顔は石柱と同じ石の色だった。かたく閉じられた目がまたひらくことがあるのか。想像したくない考えがザックの頭をよぎる。 「心配するな。ロイランドは私の元で預かるゆえ。ザック、そなたも王宮に滞在するとよい。ユーリがあれこれいうので念のためロイランド家は閉じさせておる。シグカントも動けぬからな」 「恐れながら陛下、シグカント卿はいったい……」 「あれは病に臥せっておる。あとで見舞いに行くとよい。私が許す」  ダリウス王は石柱を離れ、また石の玉座へ戻ると足元を指さした。 「もっと寄れ」  ザックは王の足元に両膝をついた。 「グレスダはそなたのことをたいそう気にいっていた。嫉妬するほどにな」  王の声にはらまれた狂気の気配に首筋の毛がすっと逆立つ。 「グレスダの死に際に立ち会ったであろう。グレスダは……そなたに……」  突然右手をつかまれた。思いがけぬほど強い力だった。袖が引っ張られ、手首があらわになる。王の眸がさらに異様な色を帯び、ザックの視界のすみで黄金の光がまたたいた。ザックは思わず顔をあげた。王の背後の祭壇に置かれた透明な球体が光ったのだ。球体の中で黄金色の立方体が輝いている。  だが王の視線はまだザックの手首に据えられていた。つられるように自らの右手をみつめ、ザックは息を飲んだ。皮膚の下で金色の筋が蛇のようにうねり――たちまち消えたからだ。  顔をあげると失望したようなまなざしと出会った。  ダリウス王はいったい何を期待していたのか。ザックはいぶかしんだが、王はどこか捨て鉢な様子でザックの手を離すと、玉座にふんぞりかえった。ザックを値踏みするようにみつめたまま無言でいる。  いつのまにか、さっき見た祭壇の光も消えていることにザックは気づいた。 「陛下、よろしいでしょうか」 「なんだ」 「先ほど申し上げた通り、ロイランド家は誓って謀反など考えたことはありませぬ。召喚に応じられなかったのは、フェルザード=クリミリカ探索中、シグカント隊が何者かに襲撃されたためです。その際ボムで右腕を失い、傷が癒えるまでハイラーエの町におりました」 「ボムか」  王は奇妙なほど投げやりな口調になっていた。 「そなたの右腕、不備があるようにも見えないが」 「ディーレレインに住む魔法技師が再生したのです」 「生成魔法。ほう」  王の眸に興味の色が浮かぶ。 「ディーレレインにそのような者がいるなど、知らなかったぞ」  そうだ――一連の出来事に圧倒されて意識の奥へ追いやられていたことをザックは思い出した。父やラニー・シグカントが気になるとはいえ、謀反の疑いはひとまず消えたらしい今この時、もっとも大事なことだ。  王にオスカーの保護を求めなければ。  ザックは膝をついたまま顔をあげ、王をみつめた。 「陛下がご存知ないのは、その者が異国の民だからでしょう。名はオスカー・アドリントン。この右腕は彼の力により蘇りました。共にマラントハールに参りましたが――」  と、そこまで告げたとき、ある考えが浮かんだ。 「彼は私の恩人で、またスキルヤの絆を約束する者です」  王は意外そうに眉をあげた。 「スキルヤの? そなた……そういう趣味だったのか? それともそなたの父の意思か?」  スキルヤの絆はユグリアの古い習わしにもとづく、結婚につぐ重要な契約である。同性とのあいだで財産や責任をわかちあう契約だが、子をなすことがないため一代限りで終わるものだ。  子の多い貴族では相続争いを避けるために結ばれる場合も多いが、今のザックにとって重要なのは、スキルヤの絆を結んだ者同士は同性であっても事実上の伴侶とみなされ、異国人であっても地位が保証されるということだ。  相続や財産とは無関係にスキルヤの絆を結ぶのは、ユグリアでも古風なふるまいである。だがそれゆえに、伝統を貴ぶ王国では尊重されてもいた。  つまり絆を結ぶとするだけでも婚約とほぼ同等の意味を持ち、他の人間はオスカーに手を出せなくなる。それがユーリ・マリガンであろうと、カイン・リンゼイであろうと。  ザックは息をつぎ、ひと息でいった。 「父にはこれから許しを請うつもりでした。陛下、マラントハールに着いた時、カイン・リンゼイはオスカーを連れていってしまった。絆を結ぶ者をこのままにしておくわけには参りません。彼の元に行かせてください」

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