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第2部 ユグリア王国の秘儀書 23.オスカー:スキルヤの贈り物

 僕は何度か、アスラン・リ=エアルシェのような人間に会ったことがある。  初対面の人間を値踏みするようなやつは自分が値踏みされることに弱い。それも自分を低く見積もられることに弱い。ところがこういう連中に限って、こっちが圧倒的に上だと見せつけると、とたんにへりくだるようになる。  これはディーレレインにたどりつく前、生きのびるために学んだ事柄のひとつだ。それにこの都では、ユグリアの人間ではないからと下手に出ていてはろくな結果にならないような気がした。  高飛車に出たとたんアスランは鼻っ柱をへし折られたような顔になり、僕はしめたと思った。それに、ディーレレインで僕の店を襲った男はリ=エアルシェの印がついたナイフを持っていた。僕らを連行した黒服の騎士、カイン・リンゼイに持ち去られてしまったものだ。あの騎士はアスラン・リ=エアルシェとどんな関係なのだろう?  ナイフの件はあとでザックに聞いた方がいい。リ=エアルシェに出くわしたときはそう思ったのだが、僕はまもなく忘れてしまった。大輪の花がずらりと並ぶ庭園を出たあと、ザックは五芒星と呼ばれる壁に囲まれた区画をしばらく案内してくれ、壮麗な都の景色に夢中になってしまったからだ。  きっとこの都は何百年も戦禍にあわなかったにちがいない。街路は古代の彫刻やモザイクで飾られ、新しい装飾や技術も加わっている。噴水の水が七色に輝いているのはどんな仕掛けなのだろう?  ザックは僕の好奇心に飽きもせずつきあってくれ、おかげで離宮に戻ると昼時だった。食事を運ぶ召使の姿をみて、次は厨房の周辺を探検してみようと僕は心にきめた。ザックも外へ連れ出してくれたことだし、そろそろこのあたりを見て回ってもよさそうだ。  昼食は白いパンと赤ぶどう酒で煮た燻製肉で、みずみずしい野菜がたっぷり添えてある。僕がのんびり食べているあいだにザックは出て行った。主宮殿に王があらわれたとき、その場にいなければならないらしい。  ここへ連行される原因となった「謀反の疑い」とやらは晴れたというが、この都で彼がやっているのは要するに政治だ。この手のことには顔をつなぐだけの内容のない会議や集会がつきものだ――ずっと昔、ファーカルもそういっていた。 「オスカー様、昨日おっしゃっていたお道具を用意しましたが……」  昼食が終わったところを見計らうように、食事の間へやってきたメイリンがいう。 「お手を煩わさなくても、私にできることでしたら致しますのに」 「ありがとう。でもこれは人に頼めないことだからね」  そういいながら僕は広い居室へ行った。  メイリンに貸してくれと頼んだのは金具を加工する道具類である。この規模の宮殿なら、装飾品の手入れや簡単な修理をする召使を抱えているはずだった。予想はあたって、ニッパーから小型のジェムバーナーまで揃っていた。  僕は手箱にしまっておいた魔法珠を取り出す。(スイ)(ヘキ)(エン)琥珀(コハク)、僕の体内に吸収された闇珠以外の全部だ。短い鎖の先で揺れる四つの球は午後の光を受けてきらめいた。 「オスカー様、あの……」  すこし離れたところで、メイリンが珍しくためらうような声を出した。 「何?」 「私、こちらで見ていてもよろしいでしょうか?」 「ああ、いいよ。これは魔法珠だ。僕の仕事道具さ」 「どうされるのです?」 「四つをつなげて首飾りみたいにするんだ」  僕は慎重に手を動かした。海陸民の魔法使いは異なる魔法珠をひとつにつなぐのを好まない。施術に使うとき不便だからだ。でも僕の師匠は故郷の島を離れるとき、暗珠も入れた五つの珠の鎖を今の僕のようにつなげていた。 「四つもあるのですか」  メイリンが熱心な目つきで、銀色の鎖のあいだで透きとおった色がきらめくのをみている。 「魔法珠はもうひとつあるけど――鎖につなぐのはこれだけだ」 「綺麗ですね。オスカー様によく似合います」  魔法珠は僕にとって装飾品ではなく道具だ。でもメイリンにはきれいな首飾りにみえるのだろう。魔法珠の鎖を首にかけて、僕は手箱の中を確認した。金の包みの横に硬いものがある――ルキアガの鱗だ。取り出したとたん、指先で虹色の光がきらめいた。 「まあ」メイリンが声をあげる。 「ルキアガの鱗だ」 「存じてます。マラントハールの貴婦人の憧れです」 「そうなのか?」僕は指先で硬い鱗を転がした。「これ、どうしたらいいんだろうな」  メイリンは怪訝な目つきになった。 「どうしたら、とは?」 「僕は冒険者じゃない。これはザックがくれたんだ。何個もあったけど、ディーレレインを出るときひとつだけ持ってきた。何か役に立つことでもあるかと思って……でも正直な話、簡単に売ってしまうには貴重すぎるし、こうしてしまっていても」 「当たり前です!」  メイリンはいつになく強い調子で遮り、ハッとしたように声をひそめた。 「ザック様の贈り物なら、身につけられるものになさっては? 職人を呼んで相談しましょう」 「え?」 「すぐにでも手配します。スキルヤの贈り物で飾らないなんて、もったいない。それがあれば貴婦人のどなたにも負けません。いえ、オスカー様はそのままでも負けておられませんが」 「負けるも何も、僕はそんな」 「職人を呼んでよろしいですね?」 「あ、ああ」  僕はあっけにとられた。先王に仕えていたこともあるメイリンは今の王になっても宮殿の内外にさまざまなつてがあるらしい。日が傾いたころには年老いた宝石職人が離宮を訪れ、レンズを嵌めた目でルキアガの鱗を調べていた。 「見事ですね。瑕もまったくございません。どのようにいたしましょうか? これだけ大きいものでしたらどんな仕立てにしても映えますな。由来はございますか?」  僕が答えられずにいると、メイリンが代わりにいってくれた。 「これはオスカー様のスキルヤの贈り物です」 「それなら常に身に着けていられるものがよろしいですな」  老人はレンズを外し、今度はルキアガの鱗ではなく僕をじいっと眺めた。 「飾り釦や胸飾りはお召し物に左右されますからな。指輪か首飾り……」 「オスカー様、指輪は持っていらっしゃいませんね?」  メイリンが畳みかけたので、僕は反射的にうなずいてしまった。 「それならちょうどよろしいのでは? スキルヤの指輪は身を護るともいいますし」 「指はあまり……」  僕はアスラン・リ=エアルシェを思い出し、ためらった。豪華な服装の男は指にずらりと宝石をつけていた。老職人は僕から視線をそらさなかった。 「それなら腕輪はいかがですか? 恐れ入りますが、お手を拝借いたします」  鞄から道具を取り出した老職人は魔法のように手際よく僕の手首を測り、帳面を取り出す。 「革と鎖を組み合わせて、動作をさまたげないお仕立てにできます。ルキアガの鱗はたとえばこういった形で囲んで……」  紙にさらさらと図案が描かれる。 「でなければこんな風に、小さな硬玉で周囲を囲んでより豪華にすることもできますが」 「そ、それはいいです。その、あまり派手じゃない感じで……」 「たしかに、これだけ大きなルキアガの鱗があるわけですから、あえて引き立たせる必要もない。では――」  宝石職人はさらに手を動かし、ルキアガの鱗を嵌めこんだ腕輪の意匠を描きあげた。 「これでいかがでしょう?」  僕は自分の判断を捨てることに決めた。 「メイリン、どう思う?」  こんなものは情報に通じた優秀な侍女にまかせるにこしたことはない。 「いいと思います。地金は黄金で。すぐ取りかかってもらえますね?」 「もちろんです」  老職人が離宮を去った時、メイリンは満足そうに微笑んでいた。しかしルキアガの鱗を腕輪にするなど僕は考えてもいなかったことだ。ザックはどう思うのだろう?  今日の夕食の皿は、豆と挽き割り小麦のスープ、挽肉を挽き割り小麦で包んだ揚げ物、それに詰め物をした果実だ。挽肉の揚げ物には細かく砕いた木の実が入っていて、外の皮は蒸した根菜と挽き割り小麦で作られている。 赤くてまるい果実は中をくりぬき、香料を効かせた穀物を詰めて鶏のスープで蒸し焼きにされている。  これはどんな食べ物なのかとたずねた僕にザックは答えられなかったが、一昨日の夜あたりから、給仕が代わって答えてくれるようになった。きっと、ほうっておけばいつまでも食べ物のことを聞きたがるやつだと思われているにちがいない。  夕食がおわるとザックは居室で束になった手紙や書類を広げた。王に許されてロイランド家から持ち出した帳簿類らしい。昨夜もザックは同じように紙と格闘していた。ときおり顔をしかめながら紙をめくったり、ペンを走らせている様子はあまり冒険者らしくない。ユグリアの貴族はこういうものなんだろうか。  実のところ僕はすこし途惑っていた。ザックの印象は最初に出会った時からずいぶん変わっている。最初は無理難題を平気でいってくる居丈高な冒険者だと決めつけ、迷宮に戻る事情を知ったあとは仲間思いの隊長だと思い、で、今は――?  重い本のページをめくりながら僕はついザックの方をみてしまう。本はユグリア王国の歴史書だが、僕は文字を飛ばして絵図ばかり眺めていた。地図や海図を読むのは得意だが、文字ばかりのページは骨が折れる。  それにくらべると、細かい文字が書かれた紙にかがみこんでいるザックは学者といっていいくらいだ。筋肉だけが頼りの冒険者だなんて思って悪かった、と僕は心の中でつぶやく。ザックの長い指が紙をめくり、山になった書類をかきまわす。そのしぐさに奇妙なほど惹きつけられて、じっとみつめている自分にハッとする。 「ザック、僕は寝る」 「ああ――」  ザックの目の下に疲労の影がさしている。なぜか胸がずきりと痛んだ。 「おやすみ、オスカー」 「おやすみ」  この離宮では望めばすぐに風呂に入れる。専用の浴室があって、ジェムがすぐに湯を沸かしてくれる。こんな贅沢をしたのは生まれてはじめてだ。浴槽はなめらかな陶器で、香油を垂らした湯は白く濁り、気持ちを落ちつかせるような花の香りがする。  湯気の中でぼんやりしているうちに、いつのまにかまたザックのことを考えていた。ここでは僕は彼のスキルヤ――正式には誓いの儀式かなにかがあるそうだが、少なくともそう約束した者――ということになっている。この都に連れてこられるまで、こんなことになるとは考えてもみなかった。これはただの方便なのだ。 (ふりじゃなければいいのか?)  耳元でザックの声が聞こえた気がして、ハッとして目を覚ます。僕は湯船でうとうとしていたらしい。バシャバシャと湯を跳ね返したとき、左胸の黒い痣がみえ、ザックと経脈をつなげた時の記憶が――快楽の記憶がありありと蘇った。 「……ああ」  急に胸がどきどきして、僕は湯船にうずくまる。頭の中でザックがこっちをみているような気がするし、湯のぬくもりに彼の腕を思い出す。  僕は……僕はザックが好きなんだろうか? ザックをみているだけで気持ちがそわそわして、彼に僕をみてほしくなる。――いや、こんなのは錯覚だ。あいつの腕を再生した時にあんなことがあったせいだ。 「――だめだ」  あいつは僕の相手じゃない。ザックの周囲には貴族の厄介ごとが満載だ。僕はそういうものとは関係なく、平和に暮らしたいのだ。  それに僕はもう二度と……二度とファーカルのときのような思いをしたくない。誰かを失って嘆くようなことになりたくない。  何度も心の中でくりかえしたのに、ぬくもった体の奥で欲求が熱をもちはじめ、僕は両手でぎゅっと胸を抱きしめる。湯をあがれば衝動もおさまるかと思ったが、そうはいかなかった。寝台に入り、柔らかい羽毛布団に包まれると、まぶたのうらに僕の腰や尻をまさぐるザックの幻が浮かぶ。僕は我慢できずに自分自身を慰めはじめた。 (オスカー)  耳の奥に彼の声が聞こえたような気がする。僕はますます昂って、自分の手以上の刺激が欲しくなる。ザックの太腿が僕の足にからみ、押さえつけ、そして……。 「んっ、あっ、はっ……」  僕は大きな枕に顔をおしつけ、声を殺しながらひとりで達し、やがて眠ってしまった。  翌日は落ちつかない気持ちで目を覚ました。  僕は昨夜の自分を思い出さないようにしながら身支度をすませた。メイリンがいつものように僕を迎え、髪を結ってくれる。  ユグリアの服にも慣れたと思っていたが、魔法珠を首にかけるとほっとした。魔法珠の石は僕の故郷の最後の欠片のようなものだから、だろうか。  食事の間に行くとザックはほとんど食べ終わるところだった。 「早いな」  僕はザックの顔をみつめすぎないよう、さりげなくいった。 「ああ、昨夜の仕事が終わらなくてな。午前のあいだにすませたいんだが」 「がんばってくれ。僕には手伝えない」  いつもの美味しい朝食もなんだか違って感じられる。ザックがいると気が散るのだ。彼が食事の間から消えるとやっと落ちついて食べられるようになった。食事を終えると僕はメイリンに声をかけた。 「メイリン、そのあたりを散歩してくる。ザックは忙しそうだから」  メイリンはうなずき、しとやかに礼をした。  僕は離宮の小路を抜け、昨日ザックに教えてもらった厨房の方へと回廊を進んだ。近づくにつれて廊下の幅が広くなった。お仕着せ姿の召使や、もっと立派な身なりの者もいる。ユグリア王国の厨房は将来の官吏を輩出する場所でもある、という話を僕は思い出した。  そのときふと視界の端を金髪が横切った。ザックと同じくらいの長身も。  僕はぎょっとして足をとめた。 「おや、オスカー・アドリントン殿。こんなところで奇遇なことだ」  濃い緑の眸が僕をみつめる。ユーリ・マリガン。あの変態野郎だ。

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