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第2部 ユグリア王国の秘儀書 25.オスカー:秘儀書の鍵

「おや、オスカー・アドリントン殿。こんなところで奇遇なことだ」  金髪の下の緑の眸をみたとたん、背筋におぞけが走った。マリガン。最初に連れていかれたあの部屋で、尋問のふりをして僕に触り――それも髪だ、髪に口をつけやがった変態だ。  僕の足は自動的に一歩あとずさった。回廊の中央へさらにもう一歩下がって距離をとる。マリガンは壁を背にして立っている。聞こえなかったふりをして立ち去りたかったが、名前を呼ばれてしまっては難しい。ここは街路ではなく宮殿の中なのだ。僕は「記憶にない」作戦をとることにした。 「申し訳ないが、顔を覚えていない。どこかですれちがいでもしたか?」  相手を斜めにみて、アスランの時とおなじように相手を見据えて高飛車に出る。マリガンの目がすっと細められたが、すぐにわざとらしいほどの笑顔に変わり、こっちへ足を踏み出した。 「オスカー殿、覚えておられないとは悲しい。しかしたしかに、あの日は失礼をしてしまった。ロイランド卿の大事な方だとは知らなかったんだ」  張り上げているわけでもないのにやたらと響く声だ。 「俺はユーリ・マリガン。ロイランド卿とおなじ冒険者だ。これで正式に知り合えたことになるだろう? どうか今後もお見知りおきを」  僕は敵意をこめて相手を睨んだが、厨房の方から召使の一団が列になってこっちへやってきたので、回廊の真ん中からマリガンの方へ押しだされてしまった。その隙にマリガンが壁際をさっと離れ、僕の隣にならぶ。  一歩の距離はあいているし、マリガンの声が召使や官吏の注意をひいてしまったから、押し退けて走り去ることもできなかった。するとマリガンは大げさな身振りで腰をかがめ、僕に礼をする。周囲の目はさらにこっちへ集まった。 「事情を知らなかったとはいえ、あの日は本当に申し訳なかった。離宮をたずねて詫びたいとロイランド卿に話したんだが、断られてしまったんだ。ここで会ったのも何かの縁だろう。どうか俺の謝罪を受け入れてほしい」  ちくしょう、嵌められた。こう真正面から謝られると覚えていないと突っぱねるのも難しい。だいたい、衆人環視のなかで礼儀正しくふるまっている相手を邪険にあつかうのは得策ではない。僕はため息をこらえて鷹揚にうなずいた。 「あなたの話はわかった。謝罪を受け入れよう」 「感謝する!」  そのまま立ち去ろうとしたのに、間髪入れずにマリガンはでかい声で告げ、にっこり笑った。何事もない相手なら感じよく見えたかもしれないが、今の僕には腹に一物ある笑顔にしかみえない。 「オスカー殿、これからどこへ?」 「離宮に戻る。すこし散歩出ただけなんだ」 「迷わないように案内しよう。オスカー殿はロイランド卿の大切なスキルヤだからな。陛下も興味を示されている」  王の話を出されると僕はどうしたらいいかわからなくなった。もっとこのあたりを見て回りたかったが、マリガンとこうして話しているあいだにも回廊には人が行き来している。周囲の人間がじろじろ僕を見ているし、マリガンの声はよく通る。 「ありがとう。ではお願いするよ」  あきらめて僕はこたえ、しめたといわんばかりのマリガンの微笑みを無視した。金髪の冒険者はさっさと歩きはじめ、回廊に広い廊下が交差するところを左に曲がった。  僕が来た道順とはちがう。口を開きかけたとき、先を制するようにマリガンがいった。 「この先の『レーの壁』にロイランド卿は案内したかな?」 「いや。外の庭園はみせてもらったが」 「だったらぜひ見ていきたまえ。陛下が収集された秘宝の一部が飾られている。俺が献上したものもある」  また王の話を持ち出したのは、自分がいかに王に目をかけられているか自慢したいのだろうか。僕はジェムの光で照らされた広い廊下を進む。両側の壁際には飾り棚が並んでいた。  棚の中をのぞきこむと、何に使うものなのかさっぱりわからない物体がずらりと並んでいる。秘宝は僕の魔法珠ほどの大きさから、盾や剣のような形と大きさのものまであった。  ジェムの光で表面の模様が浮き上がっている。曲がりくねって絡みあう、どこか不気味な模様だ。  僕は眉をひそめた。どこかでこれに似たものをみたような気がする。 「これも、これも俺が持ち帰ったものだ。この秘宝はフェルザード=クリミリカの……」  自然に歩調を落とした僕の隣でマリガンが何か話している。でも僕はほとんど聞いていなかった。片方の壁の上から下へと目を走らせて、いったい何がひっかかったのかを考えていたせいだ。  やがて飾り棚の列の端まできて、僕は何気なくマリガンの方をみた。金髪の冒険者はみょうに名残惜しそうな表情だった。苦労して探した秘宝なら王に献上などしなければいいのに、と僕は思ったが、口には出さなかった。 「陛下は歴代王のなかでもっとも秘宝の謎に近づいた方だ」  僕がみているのに気づいたのか、マリガンは突然そういった。だからなんだというのか、と僕は思った。秘宝秘宝と騒ぎすぎだ。よその国と戦争をはじめるよりはましかもしれないが。  冒険者のマリガンにとって秘宝はどれほどの意味をもつのだろうか。  壁のすこし先で左右に分かれた廊下がある。幅は狭いが、離宮の方向は右のはず。僕はすばやくそっちへ進んだ。 「案内をありがとう。失礼する」  背中で声がきこえたが、僕はマリガンの気配が消えるまで小走りになって先をいそいだ。  あわてていたせいか、途中で道がわからなくなる。二回は角を曲がったはずだ。前方には昼の光で明るい出口がみえていた。ふたたび中庭に面した回廊に出ると、その先にやっと、んがった形の屋根と装飾タイルで飾られた僕とザックの離宮がみえた。正面の扉に続く小路がみあたらないが――それもそうだ、ここは裏側だ。  僕は回廊の横手から離宮を囲む小さな庭に降りた。庭のほとんどは白い小石がしきつめられている。ざくざく音を立てながら石を踏んで歩き、やっと小さな扉をみつけて中に入った。  メイリンにみとがめられるかと思ったが、ちょうど外しているのか姿もみあたらない。食事の間から居室へ行きかけて、僕は立ち止まった。扉はすこしひらいていて、人の声が聞こえる。 「……噂は真実だと我々にはわかっていた」  すこししゃがれた声がまくしたてている。 「秘宝狂いのダリウスには秘儀書が読めないと。グレスダ王を排して王位についたはいいが、おのれが継承者でないとわかって慌てたのだ。真の継承者はおぬしであろう。ザック・グレスダ・イム・デア・ユグリア――」  ザックの声が続きを遮った。 「ヘイス殿、やめてくれ」  しかし相手は制止がきこえなかったようだ。早口がさらに続く。 「グレスダ陛下を慕う目や影はおぬしが迷宮にいるあいだも情報を集め、知ったのだ。よいか、ダリウスには秘儀書が読めぬ。正しき王なら読めるはずのものが……あれはグレスダ王陛下の息子であるおぬしを一度は殺そうと考え、今はおぬしを利用するつもりだ」  ドン、と床を踏む音が響いた。 「ヘイス殿。うかつなことをおっしゃらないでいただきたい。何のためにここへいらしたのか? 今も父はダリウス王陛下の元で目を覚まさず、所領にも王の監督官がいるというのに」  そして、しばしの沈黙。 「ザック殿」  しゃがれた声になだめるような響きが加わる。 「我々はおぬしの味方だ。それを知ってほしかった」  僕はそっと足音をしのばせ、自分の寝室に移動した。はからずも盗み聞きした内容でひどく動揺していた。秘儀書がどうとかいう話はさっぱりだったが「グレスダ王陛下の息子」の意味はあきらかだった。  つまり、つまりだ。 「オスカー様?」  頭を抱えていると扉が叩かれた。メイリンが呼んでいる。いそいで顔を出すと、冷静な侍女にしては珍しく動揺した表情だった。 「お戻りに気づかず申し訳ありません」 「ザックは? 客が来ていただろう?」 「お帰りになりました」  僕はまっすぐ居室へ行った。 「ザック!」 「どうした」  白い髪がふりむく。いつもと変わらないザックだ。まっすぐみつめられて、僕は口にするつもりの言葉を忘れてしまった。しかたなく、最初に頭に思い浮かんだことをいった。 「……散歩していたらマリガンに会った」 「なんだと?」 「無視したかったんだが、大勢がみている中で謝られてしまった。王都へ連れてこられた時のことだ。仕方ないから謝罪を受けたが、あいつ抜け目ないな。参ったよ。おまけに送るといってついてくるし」  ザックの目元がさっと緊張する。 「それで? 大丈夫だったか?」 「当たり前だ。あいつの案内でレーの壁というのをみたぞ。秘宝が飾られているところだ。僕に自慢したいのか何なのか、意味がわからなかったが……」  ザックは苦虫をかみつぶしたような表情になった。 「おまえが僕をスキルヤの相手だといってくれて助かった。マリガンはどうも気に入らない。なぜかわからないがあいつは嫌だ。顔は悪くないのに、うさんくさくて……」  愚痴めいたことをいっている自分に気づいて、僕はハッと口を閉じた。同時にザックにいいたかったことを思い出した。 「ザック、客が来ていたな」  ザックの頬がぴくっと動いた。 「盗み聞きするつもりはなかったが、聞こえたんだ。おまえ……先代王の子なのか?」  大きなため息がきこえた。  ザックは腕を組み、僕を眺め、書類をつみあげている机から何かをとりあげた。小さな本だ。どさっと音を立てて椅子に腰をおろしたので、僕もその前の長椅子に座る。 「そのようだ」 「って、他人事みたいにいうなよ」 「まだ実感がわかない。俺も一昨日、ラニー・シグカントから聞いたばかりだ。しかし俺が迷宮にいたあいだに、一部の者のあいだでは秘密ではなくなっているようだ。ダリウス王陛下にも」 「王様も知られてるのか? だからおまえ、迷宮で追われていたのか?」  声が裏返ってしまった。ザックは肩をすくめ、手にとった書物を開いた。頭が痛くなりそうな、小さな文字がびっしりとページを埋めている。 「それはなんだ?」 「アララド王の手記の写しだ。ラニーから受け取った。最後にグレスダ王陛下の書き残した言葉がある」  ザックは立ち上がると、無造作にひらいたままの書物を僕の膝においた。僕はページをめくりかけて、あちこちが金で飾られた立派なものだと気づき、すこしおじけづいた。  開かれたページの最後に書かれた数行は他の文字とまったくちがう筆跡だった。右斜めに傾いているが、大きくて読みやすい。  ザック・ロイランド、予の息子を  わが手より授けた祝福をもって紋章の正統なる継承者となす  ユグリアの秘儀書はかの者にのみひらかれ  レムリーの至宝はかの者のゆくてに輝く 「ザック、これはどういう意味だ? 紋章の継承者? 祝福?」  ふいに頭の中に『レーの壁』に飾られた秘宝の数々が浮かんだ。表面に描かれた、奇妙に心を惑わす奇怪な模様――あれに似たものをどこでみたのか、僕は突然思い出したのだ。  生成魔法をかけたときザックの体にうかびあがった、蛇と蔦のからまるような奇怪な紋様。蛇の赤い眼――あいつは生成魔法の施術を一度目は邪魔し、二度目は僕の闇珠を飲みこんだ。僕をじっとみつめて、ザックの中に沈んでいった。  記憶をかみしめている僕に追い打ちをかけるように、ザックが淡々と言葉を続けた。 「どうやら俺は陛下が亡くなったとき、知らぬあいだに……本来は王がもつべき紋章を受け継いでいる。アララド王は、それまで王家に口伝でのみ伝えられていたことを手記の最後に書き残している。……ユグリアの紋章は王の祝福によって王の死の直前に継承者に受け継がれる。それは継承者の体内に宿り、その者を守護し、秘儀書の鍵となって……いつかハイラーエの頂点に眠る、レムリーの至宝へ導く」 「おいおいおい、なんだよそれ?」  あきれ返った僕の声をきいて、ザックは困ったように眉をさげ、口元をゆがめてかすかに笑った。

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