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第2部 ユグリア王国の秘儀書 26.ザック:ハイラーエの究極

「レムリーの至宝? ひょっとして、おまえが庭園でいった話――王様がおまえに期待してるものってそれか? それはいったいなんだ?」  オスカーの口調は半分呆れ、半分問い詰めているという調子だった。それなのに鳶色の髪に取り囲まれた美しい顔をみつめるとザックの心は浮き立った。  こんな状況なのに、魔法技師が自分だけに集中しているのが嬉しいとはどういうことだ。誰かを求めるとは、欲しくてたまらないとは、こういうことか。でもオスカーは――  ザックはよけいな思考をよそに押しやった。 「レムリーの至宝はハイラーエに残された古代人の究極の宝――らしい。俺が持っている手記にはそれ以上のことは書かれていないが、アララド王は秘儀書を読めた。手記は覚え書きにすぎない」 「――つまりその王様は先代に祝福されて紋章を受け継いだから、究極の宝についていろいろ知っていた。でも今の王様はそうじゃない。祝福されたのはおまえで、今の王様が望むものに手が届くのもおまえだけ。秘宝狂いなんだから、もちろん知りたいし、その宝が欲しいってことだな」  一気にまくしたてたあと、オスカーはふうっとため息をつきながら膝の上の本を閉じる。 「ディーレレインにいたときからおまえには何かあると思っていたが、こんな話だとは思わなかった」 「オスカー、前もいったが約束は――」 「謝ることじゃない。僕は自分が施術に失敗したんじゃないかと気になって、北迷宮までおまえを追いかけていった。全部がおまえのせいじゃない。それに……」  オスカーはふいに口ごもった。なぜかまぶたの下がほんのり紅く染まっている。 「どうした?」 「いや。この本、大事なものだろう」  差し出された書物――アララド王の手記をザックは受け取ったが、オスカーはザックから顔を隠すようにうつむいている。ザックは書物を無造作に机において、長椅子のまえにかがみこんだ。 「オスカー? 大丈夫か?」 「……なんでもない」 「マリガンに会ったといっただろう。ひょっとしてあいつに何か……」  衝動的にオスカーの顎に手をかけ、自分に向けさせる。長い睫毛の下で宝石のような眸がまばたきする。 「ザ、ザック、僕は……」 「大丈夫か? 宮殿でおまえに何かあったら、俺は」 「いや、そうじゃないんだ。その……離れてくれ。近すぎる」  はっとしてザックは手を離した。同時に扉を叩く音がして、メイリンの声が部屋の外から響いた。 「お食事の用意ができました」  そのとたん、ぐぅっと小さな音が鳴った――オスカーの方から。オスカーの頬が真っ赤に染まり、ザックはそっと体を起こした。 「昼食だ」  何もきこえなかったように扉の方へ向かう。食事の間から漂ってくる料理の匂いを嗅いだとたん、ザックも自分が空腹なのに気づいた。  昼食をおえたザックはオスカーを離宮に残し、父を見舞いに行った。  ヘイス・ラバルバの突然の訪問には呆れていたし、憤ってもいた。父が王に人質にとられているも同然のときに、ダリウス王への反感をあからさまにするなど、本心にしろ、ザックを試しているにしろ、腹立たしいことだ。  メイリンは離宮で怪しいものが聞き耳を立てないように細心の注意を払っているから、会話が外に漏れることはないだろうが、ヘイスがザックの前で膝をつき、ダリウス王を排したい者が自分以外にもいるとほのめかしたときには、貴族や官吏の動向にも気がかりを覚えた。ダリウス王はザックが思っているよりも周囲の支持を失っているのだろうか。  寝台に横たわった父は丸太のようにぴくりともしない。死人のような顔色だが脈はある。世話をしているのは王宮づきのメイドと、ロイランド家の侍女ふたりだ。王宮づきのメイドに聞かれることを恐れて、ザックは眠る父に言葉をかけるのも控えていた。  グレスダ王に忠誠を誓っていたとはいえ、ザックはダリウス王が治めるユグリア王国で騒乱が起きることなど願い下げだった。王が迷宮の秘宝にいれこむあまり、国庫を食いつぶすとか、民のためにならないことが起きているなら別だが、王の「秘宝狂い」がそんな領域にまで至るとはザックは思っていなかった。  しかし眠り続ける父と、その原因――王が手ずから作り上げた機械、サタラス――はさすがにザックの見方を変えた。ダリウス王に常軌を逸したところがあるのはもう否定できない。ラニー・シグカントの病がグレスダ王のそれに似ているのも不安だ。  メイリンにすら見せないようにしていたが、ザックの腹の底ではダリウス王への怒りが熾火のように静かに燃えていた。だが父はユグリア王国が王位に対する反逆で混乱し、民が争いで疲弊するのを望まないだろう。父は何よりもグレスダ王の臣下で、ユグリアの民が豊かであることがグレスダ王の望みだった。  それにザックがグレスダ王の子であったとしても、グレスダ王のように国を治められるわけではない。ヘイス・ラバルバはそう思っていないようだが。  無言で頭を垂れていると、侍女がそっと近寄り、ささやいた。 「ザック様、陛下がお召しです」 「主宮殿にはすぐに参る」 「いえ、小宮殿にとのことです」  ザックは立ち上がったが、心は重かった。小宮殿はすぐそばだ。扉の前には衛兵がいたが、ザックをみるなり姿勢を正した。巨大な扉をくぐりぬけたとたん、王の声が響く。 「ザック、来たか」  前にここへ呼びだされたとき、内部はフェルザード=クリミリカの壁が放つような白い光で輝いていた。しかし今日はジェムの黄色い光が壁できらめいているだけだ。王は白い玉座から立ち上がった。ザックは膝をつこうとした。 「やめよ。私の考えが正しければ、そなたは私に他の者のような礼をとる必要はない」  王の声にザックは姿勢を正した。ダリウス王は立ち尽くすザックをじっとみていた。居心地の悪い沈黙のあいだもザックは微動だにしなかった。王がいった。 「ここへ来るのだ、ザック」  王は玉座の背後に立っていた。そこには祭壇があった。人の頭ほどの大きさの丸い球体が置かれている。 「早く来るのだ」  王が苛立ったように手を振る。ザックは王の隣に立った。王は足をずらし、ザックが透明な球体の正面に立つよう、無言でまた手を振った。ザックはいぶかしく思いながら球体の正面に立ち、自然に中をのぞきこんだ。球体に自分の顔が映っている。  ――そう思った時、正面から金色の光が射した。球体がまばゆく輝き、剣のようにまっすぐな光がザックの眉間をつらぬくようにのびる。そのとたん頭の中に絵が浮かんだ。  風景――それがフェルザード=クリミリカのどこかだと理性が働いたのはほんの一瞬にすぎなかった。ザックはたちまち、それまでみたことのない無数の景色に圧倒され、飲みこまれた。  白く輝く迷宮の景色と自分の記憶が混ざりあう。手がつるつるの岩肌を撫でるのを感じ、両手両足がわずかなくぼみをとらえてバランスをとる。ボムのありかはすべてわかっていたし、岩をつらぬく昇降機がこの先にあるのもわかっていた。古代人はハイラーエを低層から高層まで自在に移動していたのだ。ザックは首をのばし、はるか高みをみようとする。もっとも高いところにはレムリーの至宝が封印されている。それをひらく鍵は、ここに……。  導かれるようにザックは球体の上に右手首をかざし、金色の蛇がするすると姿をあらわすのを見守った。赤い眼がザックをみつめたと思うと、縦に伸び縮みする。らせん状になった金色の胴体がザックの頭をとりかこみ、踊るように揺れる。  この蛇のことは知っている。迷宮で、あの夜――オスカーを抱いてしまった夜、そそのかしたのはこの蛇だ。  ザックは右手をぐっと握りしめた。蛇の赤い眼が横に長くなって、ザックをからかうようにみつめたが、そこには敵意ではなく温かさがあった。蛇がすうっと手首の中へ戻っていく。  そのとき突然脇腹に衝撃を感じた。みるとダリウス王がザックを押しのけようとしている。 「そこを退くのだ!」  ザックは静かに場所を譲った。球体はまだ金色の光で満たされ、王はその光に頭をつっこむように前にかがんでいる。しかし光が剣のように王をつらぬくことはなかった。逆にすうっと球体の光が薄れていく。 「待て、待て!」  王が叫んだ。 「迷宮の秘密を継承するべき者は私だ! 私にもみせるのだ! 待て――」  王の声にひそむ狂おしいほどの渇望にザックの心は揺れたが、球体はすでに輝きを失っている。王は両腕で顔を覆った。 「……ほんとうに、ほんとうにグレスダはおまえに渡したのだな。本来なら私が継承するものを……」  ザックはどうしたらいいのかわからなかった。 「陛下こそがユグリアの王なのです。これは望んだことでは――」 「何をいうか! 王位などくれてやる、レムリーの至宝に届くならな!」  そのとたん祭壇がまた明るくなった。水で満たされるように球体の中に金色の光が溜まっていく。王の顔に笑顔が浮かぶ。 「見ろ――」  しかし球体がすべて金色で満たされると同時に、そこからのびた光の矢がつらぬいたのは王ではなくザックだった。右の手首から金色の蛇の鎌首がもちあがる。蛇は長い胴をくねらせながらザックではなく王の周囲をとりかこんだ。赤い眼が光り、口があざわらうような形にくわっとひらく。蛇の胴がくるりとまわり、するどい牙が王の首をかすめ、消えた。  ザックは王からそっとあとずさり、片膝をついて王をみあげた。王の手は震えていた。唇がわなわなと小さく動いた。引き絞るような声が漏れる。 「……私はあきらめぬぞ。秘儀書が私を拒んでも……」 「陛下」 「今日はもう良い。去れ」  ザックは立ち上がり、足の痺れをこらえながら小宮殿を出た。

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